十分でわかる日本古典文化のキモ 第1回 南総里見八犬伝助川幸逸郎

〇はじめに

グローバル化が進み、国籍や文化を異にする人びととビジネスをする機会は増えています。

そうした「遠来のビジネスパートナー」との会食――ここで、仕事の話ばかりするのはむろんNGです。商売上の交渉とはちがう場を、わざわざ設けた意味を無にすることになります。かといって、政治や宗教について語るのも好ましくない。政治的・宗教的信条には、理屈では片づかない微妙な部分があります。そこに触れることは、大切な取引相手の感情を致命的に損なうことになりかねません。ことに外国人と同席する場合、政治や宗教にからんだ「地雷」がどこに埋まっているかわからない。

異国の仕事仲間と食卓を囲むとき、もっとも口にするにふさわしいのは、文学・演劇といった文化にかかわる話題である。これは、しばしば指摘される「常識」です。ことに、自国の伝統芸能や古典文学を明快に解説できると、ポイントが激しく上がるのは必定。

とはいえ、現役ビジネスパーソンは多忙です。日本の古典文化に精通することが、「たしなみ」として重要なことはわかってはいる。けれども古語で書かれた文章を大量に読んだり、足しげく能や歌舞伎を見に出かけたりするのは無理である。そういうケースが大半なのではないでしょうか。

この連載では、縁あって古典文学を研究している筆者が、近代以前の有名作品の勘所について解説します。日々の仕事に追われる方がたがスラスラ十分で読める。しかもその内容に興味を抱いて、書いてあったことを周囲に語りたくなる。そんな連載にできればと考えます。

 

〇曲亭馬琴? 滝沢馬琴?

『南総里見八犬伝』の作者は曲亭馬琴。この「曲亭馬琴」はペンネームで、本名を初め「滝沢興邦」といい、のちに「滝沢解」と改めました。

「八犬伝の作者は「滝沢馬琴」のはずだったが?」

そんな疑問を抱く読者も少なくないと思います。「滝沢馬琴」は、明治になってから広まった呼称。本名の「姓」と、ペンネームの「名」をつなげたものですから、当人の生前にはまったく用いられなかった呼び方です。三島由紀夫の本名は「平岡公威」ですが、彼を指して「平岡由紀夫」という人はありません。それと同様、「滝沢馬琴」は本来なら「ありえない名前」です。

その「ありえない名前」が広まったのはなぜでしょうか? 書画文筆をたしなむ折、「姓」はそのままに「名」に代えて「号」を使う。そういう伝統が、近代以前からありました。たとえば、松尾芭蕉の本名は「松尾宗房」。「芭蕉」は「号」です。夏目金之助が小説を書くに際し「漱石」を称し、森林太郎が自著に「鴎外」と署名する。この「漱石」とか「鴎外」も「号」に当たります。

明治時代には他にも、島崎藤村(本名・島崎春樹)や永井荷風(本名・永井壮吉)など、「号」を用いる文学者が多くいました。彼らの名声が上がるにつれ、「曲亭馬琴」の「馬琴」も「号」であると誤認された。このため、八犬伝の作者は「ありえない名前」で呼ばれることになったのです。

 

〇「資本主義」と「大衆文化」が生まれた江戸後期

馬琴が生まれたのは、明和4年(1767年)。その2年前、『東海道中膝栗毛』の著者・十返馬舎一九が生を享けました。馬琴と一九。彼ら2人が、日本で最初の「職業文筆家」だというのが定説です。

「職業文筆家」というのは、「原稿料や印税を収入源として生計を立てている人物」を指します。そういう存在は、「不特定多数の人間が、お金を払って文字媒体を読む社会」でしか生きられません。識字率が高く、大衆が「文字で記されたコンテンツ」を読む--これを充たす環境があって、初めて「文筆で食べていくこと」が可能になります。

馬琴や一九が活躍した時代、日本の識字率は世界一でした。寺子屋での初等教育が普及していたためです。

このころすでに、日本の経済は資本主義化していました。「ある事業に投資して利益を得る。その儲けをさらに投資して利益をもっと大きくする」――資本主義経済は、このサイクルを無限にくり返すことで廻っていきます。資本主義化した社会では刻々、経済規模が拡大し、物価が上昇する。ところが、徳川時代の武士階級は、一定不変の「米による現物収入」で生計を立てなければなりません。コンスタントに物価上昇が続くと、必然的に武士は困窮します。

このため、江戸後期の各大名家は、財政改革の必要にせまられました。従来の年貢以外に収入を確保して、経済規模の拡大に対応する。具体的には、「藩の特産品」を育成したり、新田を開拓したり――そういうことに取り組まざるを得なくなったのです。

新しく事業を起こすには、ビジネスセンスのある人材が欠かせません。計数に明るいメンバーもいないと困る。こうした状況では、親が財政上の重職に就いていたというだけで、子にそれを継がせるわけにはいきません。ビジネスセンスや計数能力を身につけるには、「生来の資質」や「特殊な訓練」が必要です。親は抜群に優れていたのに、子にまったくその素養がない。そういうケースも当然あり得ます。

逆にいえば、ビジネスセンスや計数能力を武器に、「階級上昇」を遂げる余地が生まれたわけです。下級武士の家に生まれた者が、藩の財政のキーパーソンになる。そういう例も、この時期には珍しくありませんでした。二宮尊徳(1787~1856)などは、元は農民でありながら、幕府の財政を左右する地位に至っています。

当人の能力次第で「階級上昇」できる――となると、親は子どもの教育に力を入れます。これが、江戸後期に寺子屋教育が普及した第一の理由です。「読書する大衆」はここから生まれ、馬琴や一九のような「職業文筆家」を出現させました。

江戸後期の「庶民の楽しみ」は、「文字で記されたコンテンツ」だけに留まりません。

このころの小説本には、大量の挿絵が入っています。印刷された浮世絵の流通もさかんでした。歌舞伎などの、劇場で演じられる出し物も大人気だったようです。

評判になった小説を歌舞伎にする。花形役者の肖像を浮世絵に描いて売りに出す。そういった、今でいうメディアミックスも活発でした。

現代のアイドル文化に通じるような現象も、このころすでに起こっています。

「どこそこの茶屋の看板娘はかわいい」

という評判を作家が本に書き、それを読んでたくさんの客が茶屋に殺到する。看板娘の顔は絵師が浮世絵にする――そうした「アイドルビジネス」のようなものまで成立していました。

 

〇「元祖・戦隊シリーズ」としての『八犬伝』

日本の大衆文化の原型が形成されたのが馬琴の時代であった。私はそういう見方をしています。『八犬伝』をひも解いてみても、現代のゲームやアニメ・特撮に通じる要素の連続です。

安房国の半分を治める里見義実は、飢饉に苦しむ隙を突かれ、安西景連(あんざい かげつら)の軍に侵略されます。景連は、安房国の残る半分の領主です。追い詰められた義実は、「景連を討ち果たしてくれたら、娘の伏姫をお前にやろう」と愛犬・八房に語りかけます。

その日の夜更け、八房が血みどろの首をくわえて義実のもとに現れました。景連を噛み殺し、首を食いちぎって戻ったのです。指揮官を失った景連軍は混乱。いくさは義実方の勝利となります。

戦功第一とされた八房はしかし、いかなる恩賞も拒んで、何ごとかを義実に乞う様子。この犬が求めているのは伏姫だ――そう感づいた義実が城から追い出そうとすると、八房は凶暴化し、伏姫のもとに駆けこみました。

事情を知った伏姫は、「君主に二言は許されない」と父を諌めます。そして八房を連れ、富山(とみやま)の洞窟にこもるのでした。読経三昧の日々を送り、八房と起居を共にしながら肉の交わりを許さなかった伏姫。にもかかわらず1年後、その体に妊娠の兆候が現れます。

不思議な童子が伏姫を訪れ、「気の感応によって、そなたは八房の子を身籠った」と告げました。異類の子を宿した屈辱に耐えきれず、伏姫は自害を決意します。そこへ二発の銃弾が飛来。一発は八房の喉を綱抜き、一発は伏姫の胸に命中しました。弾を放ったのは、かつて義実に仕えていた金碗大輔です。

大輔は、里見領が飢饉に見舞われた折、救援を乞う使者として安西景連の城に遣わされました。景連が里見領侵攻を決めたのは、大輔の口から義実の窮状を聴かされたからです。大輔はこれに責任を感じ、景連滅亡後も義実のもとに戻れずにいました。

八房を殺して伏姫を連れ帰れば、義実へのつぐないになる――そう考えた大輔は富山に潜入、八房に銃口を向けたのです。その「八房を狙った銃弾」の一発が、図らずも伏姫を傷つけたのでした。

「主君の愛娘」を撃った責めを負い、大輔は切腹しようとします。それを止めたのは、神仏の告知を受けて富山に駆けつけた義実でした。

伏姫は意識を取りもどすと、義実と大輔の前で腹に懐剣を突き立てます。その傷口から一筋のオーラが煌めいて、伏姫が愛用していた数珠を包む。その数珠は伏姫が幼少の頃、役(えんの)行者(ぎょうじゃ)から授けられたもので、この世ならぬ力が込められていました。全部で108個の珠からなり、そのうち8つに

「仁(=思いやり)」・「義(=正しさ)」・「礼(=適切な振るまい)」・「智(=判断力)」・「忠(=主君に対する従順さ)」・「信(=偽りのなさ)」・「孝(=親に対する愛)」・「悌(=兄弟姉妹が力を合わせること)」

という文字が浮かんでいます。

数珠はいったん中空に昇ると、文字の浮かんだ8つの珠は四方に飛散、残りの100個の珠は地に落ちました。伏姫は、自らの腹中に八房の子が宿っていないことを見届け、安堵のうちに息絶えます。大輔はその場で髪を剃り、名をゝ(ちゅ)大法師(だいほうし)と改めて、8つの珠の行方を追うのでした。

これらの珠を手にした8人の勇士――八犬士――は、運命に導かれ、諸々のドラマを織りなしながら里見家の家臣となります。そこで、事あるごとに八犬士たちに野望を阻まれてきた扇谷(おおぎがやつ)定正(さだまさ)は、里見家打倒を画策する。山内(やまうち)顕(あき)定(さだ)や関東の支配者・足利(あしかが)成(なり)氏(うじ)の助力を得て、里見領に押し寄せる定正。しかし、八犬士の活躍によって定正軍は粉砕されます。

義実を継いで里見家の当主となっていた義(よし)成(なり)は、定正との戦いの功を称え、八犬士を8つの支城の城主に任じました。さらに、みずからの8人の娘と八犬士を娶せます。八犬士に支えられて義成は善政を施き、里見家を繁栄に導くのでした。

『八犬伝』のストーリーは、事実と虚構を交えながら紡がれていきます。里見義実は実在した「安房里見家の当主」。その息子である義成は、「成義」と表記されている文書もあります。近年では架空の人物と見る説が有力ですが、馬琴の時代には「義成=成義」は「本当にいた」と信じられていました。八犬士の宿敵・扇谷定正、その協力者となる山内顕定、足利成氏も歴史上の人物です。ただし、『八犬伝』における彼らの言動は、現実のそれとは大きく異なります。伏姫や安西景連は、馬琴のまったくの想像の産物。こうした虚実の混ぜあわせ方は、現代の歴史シュミレーションゲームなどを思わせます。

『八犬伝』は、現代の「戦隊もの」に通じる「英雄群像」が活躍する物語です。馬琴はその着想を、中国の口語体小説『水滸伝』から得たようです。『水滸伝』には、108人の「豪傑」が登場。ただし、その1人1人に対する「スポットライトの当て方」には大きな差があります。『八犬伝』では主要人物が8人に絞られている。そのぶん、8人全員がしっかり描き出されます。

「戦隊もの」に限らず、現代日本では、「傑出した1人の主人公」より「群像」に焦点を当てたものの方が支持を受けやすい。「日常系」と呼ばれる「学校仲間」を描いたアニメ。『セーラームーン』をルーツとする「少女戦士もの」。アイドルも、男女を問わずグループが主流です。「同じぐらいの重さを与えられた何人かの若者」――そこに焦点を合わせるという、21世紀のこの国で主流になっているコンテンツのあり方を『八犬伝』は先取りしていました。そしてそれは、『水滸伝』の影響ではなく「馬琴オリジナル」の着想です。

八犬士のひとり・犬坂毛野は「女装美少年」だし、犬江親兵衛は子どものくせに「俺サマキャラ」。「ギャップ」が「キャラクターの魅力の源泉」になっているところも、今どきのゲームやアニメと似ています。

 

○『八犬伝』を読みたくなったら

『南総里見八犬伝』は、「日本最長の古典文学」といわれます。現在もっとも入手しやすい新潮古典集成版で全12巻。同じシリーズの「源氏物語」が全8巻ですから、『八犬伝』のボリュームは圧倒的です。

『八犬伝』の原文の全てを、ネットを通じて無料で読むこともできます。(http://www.fumikura.net/text/hakkenden.html)。

とはいえ、忙しい現役ビジネスマンが踏破を目指すのはいささかきつい。現代語訳も、今のところダイジェスト版しか刊行されていません。

『八犬伝』の世界に直接触れてみたい――そういう意欲が起きた方には、「ビギナーズ・クラシック」という入門書シリーズの一冊『南総里見八犬伝』がおすすめです(角川ソフィア文庫)。主な名場面の原文と現代語訳、双方を味わうことができ、解説も充実しています。

助川 幸逸郎(すけがわ こういちろう
日本文学研究者・著述家。1967年生まれ。横浜市立大学・東海大学などで講師をつとめる。
主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)・『光源氏になってはいけない』(プレジデント社)・『謎の村上春樹』(プレジデント社)・『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)などがある。