バター抜きは「ドライ」 第1回:批判と浄化とジョーカーと葛生賢治

成田空港の出口から外へ出ると、全身を包みこむ熱気と湿気。一瞬にして全身から汗が噴き出す。2014年の9月、10数年ぶりに帰ってきた東京で僕を待ち伏せていたのは冗談のような暑さだった。

それからもう1年半ほど、故郷である東京に暮らしてみて分かったのは、この街は「どこか違うもの」になってしまっているということ。生まれてから28歳で渡米のため離れるまでのあいだ暮らし、庭のように慣れ親しんでいた東京ではなく、その夏の熱帯雨林的気候と同じくらい「こんなんだったっけ?」と首をかしげさせるような街。そして人たち。

このエッセイは、そんな違和感を抱きつつ東京で暮らす僕がアメリカの大学院へ留学して哲学博士号を取得するまで、そして卒業後、ニューヨークの大学で学生に哲学を教えながら感じたこと、そこから見えてきたモノゴトを回想記的に綴るものです。シリーズタイトルは僕がニューヨークのダイナーで経験したことから。オムレツを注文するとき、一緒についてくるトーストにバターをぬらずに出して欲しい場合、「without butter」とは言わずに「dry」と言う。日本の受験英語では絶対にお目にかかれない表現なわけで、アメリカでしか経験できなかったこと。そんな風に、日本から出ない限り見ることが出来なかったこと、考えることすら出来なかったことを綴っていければと。ちなみにトーストにはジャムをぬるのが好きです。ジム・ジャームッシュの映画も好きです。

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“Then, thank you for your contribution to diversity.”
(それなら、授業に多様性を加えてくれてありがとうと言うしかないわね)

ついに、肩をすぼめるようにしてB教授は言った。学生との丁々発止のディスカッション、というよりもディベートと呼ぶべきやりとりの最後に。B教授は古代哲学専門で、僕は彼女のアリストテレス哲学の講義を受けているところだった。学生の1人が、教授の説明するプラトン哲学の解釈に賛成できなかったらしく、おもむろに手を挙げると「あなたの論じるほどプラトンは開かれた思想の持ち主ではない」と反論を始めた。B教授はイタリア人で、ニュースクールの哲学科では古代哲学のエキスパート。僕はいつも彼女の鋭利な刃物のような議論に圧倒されて講義を受けていた。そんな相手に、その学生は真正面から反論を展開。後で分かったけど、彼はギリシア人だったらしい。おそらく本国でのプラトンの評価と、エキスパートの解釈とのあいだには微妙な差があったのだろう。お互いに一歩も引かない。まさに火花散る議論、という感じ。教室全体が2人のやりとりを見守っていた。熱を帯びた議論もクライマックスを迎え、学生がそれでも頑なに自分のスタンスを変えないことが分かると、最後にB教授が放ったのが上の言葉。あなたの言い分は分かった、でも私も自分の立場が正しいと思う、だからお互いに違う立場ということで、多様性を生み出すことが出来て良かったじゃない、ありがとう、と。

貴重なものを見せてもらった気がした。たとえ相手がエキスパートの教授だろうと誰だろうと、納得いかないことがあれば全力で議論する。異を唱える。一歩も引かない。かたや教授も、よろしい相手になりましょうと、こぶしをボキボキ、全力で応戦。1ミクロンも引かない。引かないでバッキバキにやってきたから今の地点にいるのだ。

クリティカルシンキング(critical thinking)とはこういうものか、と思った。

この「クリティカルシンキング」という言葉自体、今回帰国してみて結構メディアに出回ってるのに気づいたんだけど、あんまり日本では活用されてない気がした。もちろん、その意味をちゃんと理解してる人もいるのだろうし、実践してる人、推奨してる教育機関もあるのだろう。

でも、である。

アメリカの大学、大学院では、教授をファーストネームで呼ぶことが珍しくないくらいである(あ、アメリカ全体がどうかはちょっと自信ないです。少なくともニュースクールではそうだった)。そもそもアメリカでは年齢やジェンダー、職業や社会地位の差が、言葉にほとんど表れない。社会全体がそういう空気に包まれていて、なおかつアカデミックな場では、相手がどんなに有名な教授だろうが何だろうが、論の前には、理性の前には、真実の前では全ての者が等しくあるという態度が守られている。クリティカルシンキングとは、そういう場にあってお互いが火花を散らしながら「我々がしてることは本当に正しいのか?なぜ正しいと言えるのか?」と問い正す手続きなのである。

これが日本では、いまだにぼんやりとしか受け入れられていない。

そもそも、「クリティカルシンキング」なるものを日本語で理解する場合からして、ちょっとした障壁があって。クリティカルって、「批判的」って訳されることが多い。日本語の「批判」って、なんかこう、相手を否定するようなニュアンスが強く含まれる。もちろん、上に書いた火花散る議論だって、相手の意見を否定することから始まっていた。NOと言うところから。でもそれだけでなく、相手への批判を通じてその先を見る態度に貫かれていた。シンプルに「なぜそうなのか?」を突き詰める態度に。「自分」対「相手」というところから始まって相手を「批判」するけれど、決して相手を悪魔やジョーカーと見て排除しようとするのではなく(時としてそれが必要な場合もあるけれど)、「自分はなぜそう思うか」をもう一度考え直す、最終的な「なぜ」のボトムにまで降りていく態度。そもそもなぜ自分はそう思うか?理由付けをする最初の地点、ゼロ地点まで自分を持っていく。理由付けの最終地点は、必ずしも自明なものではなく、場合によっては「そもそも自分の考えは本当に正しいか?」と、自分自身を疑問視する必要に迫られる。そもそも、なんで?と。

そもそもマリファナってアルコールに比べて「有害」なのか?

同性愛者の結婚はなぜ「違法」なのか?

表現の自由のもとに表現されたことが特定の人の自由を奪うことがあるのはなぜか?

「絶対的」とされるものが複数存在するのはなぜか?

そもそも、なぜ働くのか?

なぜ4人だけ黒いネクタイなのか?

なぜセンテンススプリングなのか?

ゼロから問い正す、ゼロまで問い詰める、そしてゼロから再構築する。クリティカルに考えるとは、自論を構築する際に溜まってしまう錆びのようなものを、理性のゼロ地点へ立ち返って落とし、そこからまた自らの理解を再生するような、浄化にも似た行為なのだ。

僕が目撃したB教授と学生の議論は、確かに最終的には「物別れ」というか、お互いがお互いの立場を譲らず「両成敗」という形に終わった。でもそこで大事なのは、お互いが一歩も引かず最後まで、議論がクライマックスを迎えるまで、ある種のカタルシスを迎えるまで突き詰めたという事実なのだ。何が正しくて何が間違っているか、自分は何を理解していて何を理解していないか、議論の前に理解することはあり得ない。クリティカルなやり取りに参加してみて、そこで何かにぶつかりながらある種のピークを迎えてみて、初めて分かるのである。議論を始める前と終わった後で、たとえ自分の立場は変わらなかったとしても、自論のどこか不明瞭でどこが強みか、これからどこをさらに深めればいいか、自分はどこへ向かうべきか、必ず変化がある。何かが見える。それをもたらすものこそ、クリティカルなシンキングなのだ。逆に、それが無ければクリティカルとは言えないし、それ無くして哲学もあり得なければ、そもそも人間性もあり得ない。

別の教授が、古代ギリシア哲学の講義の中でプラトン哲学のメッセージを簡潔に言い表していた。

“Use your own logos.”(自らのロゴスを使いなさい)

ロゴスとは、古代ギリシア語で「理性」と同時に「言葉」を意味する。あなた自身の理性でもって、自分の頭で考えなさい。そして考えたら、今度は自分の言葉でそれを説明しなさい。自分の言葉で説明できない限り、自分の言葉で「なぜそうなのか」他人に言えない限り、理解したとは言えないのだから。

大学院で学んだことの中で僕にとって最も重要で、その後の人生に多大な影響を及ぼすことになったのは、こういう理性の使い方だった。クリティカルに考えることこそ「考える」ことそのものである、という。ともすれば、考えることは理性的なことで理論的なことだから、何か巨大な建造物でも作り上げるイメージで「理論武装」「理論構築」をしなければ、と強迫観念に囚われていた僕にとって、まさに別次元にたどり着いたような経験。

ニュースクールの教授たちは自分たちの大学院時代のことを語るとき、そろって「私がトレーニングを受けていたときは」と、学ぶことを「トレーニング」と呼んでいた。知識を得たり特定の哲学者の議論をおぼえたりというちまちました作業はもちろん必要だけれど、それらを通じて何かを訓練する。「考える」訓練をする。どう考えるのか?クリティカルに考えるのである。理論を追うのではなく、なぞるのでもなく、「なぜ?」を通じてゼロ地点にまで立ち返り、そこから何かをひねり出す。場合によっては自らのパンドラの箱を開けることにもなり、取り返しのつかない事態になるリスクをも受け止めながら、それでもゼロまで返って、何かを持ってくる。それらをトータルに可能にするだけの力(ちから)、それを鍛える。「考える」とは、頭を使いながらもどこか肉体的なところがあり、毎日きちんとトレーニングをしていれば、衰えるどころか無制限に高めることができるパワー、フォースなのだ。

B教授の講義はその後もエキサイティングな経験の連続となり、僕はニューヨークでイタリア人にギリシア哲学を教わりながら、なぜか四国のお遍路さんを想起させるような浄化を味わうことになる。

ちなみに、帰国して少しのあいだ都内の留学予備校で講師をしたんだけれど、ちょっとしたミーティングに参加した際、社員の一人が「会社の利益をあげるため、みんなでクリティカルシンキングでアイデアを出しましょう。まだやれることはあるはずです」と言っているのを聞いたときには椅子から転げ落ちそうになったなあ。

葛生賢治(くずう けんじ)
1970年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒用後、サラリーマン生活を経て渡米。2000年ボストンカレッジ大学院哲学科修士課程終了。2007年ニュースクール大学院哲学科博士課程終了。ニューヨーク市立大学哲学科非常勤講師を経て、現在東京にて執筆活動中。フリーウェブ雑誌「OUR」チーフエディター。専門はアメリカンプラグマティズム。博士論文の表題は「ジョン・デューイ哲学における宗教性」。趣味は駄洒落づくり。代表作は「オジー・オズボーンの叔父におスボーン履かせてちょうだい」。