バター抜きは「ドライ」 第7回 妄想の摩天楼、あるいは王様のブランチと愛の物語葛生賢治

ときどき、何をどう間違ったのか僕のことをつかまえて「かっこいい」なんて言ってくれる人がいたりする。

「かっこいい」という形容詞が似合わない世界大会などがあれば北半球地区で5位くらいに入る自信があるのだが。何故だろう。おそらく、「16年アメリカで暮らした」「ニューヨークに住んでいた」「向こうの大学で哲学教えていた」あたりの事実を指して「かっこいい」となるのだろうか。んなバカな。

最近、2年ぶりにニューヨークに行く機会があった。マンハッタンを歩いてみて現地の友達と再会してみて、やはりニューヨークという街はエキサイティングだと再確認できた。そして自分に本当の意味で合った街であるということも。でも、それが果たして「かっこいい街」と言えるのかどうか、いまいちはっきりしない。

立ち並ぶ摩天楼の間をイエローキャブが走り、サングラクをかけたティーンがスケボーで交差点を信号無視して横切り、フードをかぶったブラザーが斜に構えて裏路地を練り歩き、高級スーツに身を包んだヤッピーがウォール街を闊歩する。そんな映像を思い浮かべて、「さぞニューヨークはかっこいところなんでしょうねえ」と想像する人が多いのは、まあ理解できる。僕も渡米するまでそういう「かっこいいニューヨークのイメージ」に憧れていた節もあるし。

でも実際に住んでみて、ニューヨークはそれほど「かっこいい」場所ではないと分かった。

確かにイエローキャブやらスケボー少年やらヒップホッパーやらヤッピーやら、存在してはいる。でも、それ以外にものすごくたくさんの、日本人のイメージには浮かばないものが渦巻いているのだ。イエローキャブの運転手の雑な対応と荒々しい運転、アフリカ系アメリカンたちが住まされいる地域の独特な雰囲気、場所によっては一歩通りを間違えれば身の危険を感じるような空気、中南米移民の居住地区での「ここは絶対にメキシコかどこかだろう」と人を信じさせるラテン感・朝からメレンゲのリズムが流れる異国感、ミッドタウンに立ち並ぶどうみても高級そうでない香水と宝石と電化製品を売ってる店の数々、日本人にはありえないレベルの道の汚さ、街角に設置されたゴミ箱にピザの食べ残しとガラス瓶とペットボトルと新聞と衣類と壊れた傘とが一緒に捨てられている様、朝から晩まで止むことがない工事現場·建築現場の騒音、どこからか漂ってくる鼻を突く生ゴミの臭い、テレビのニュースで「今日で銃による犯罪が起きていない日が連続して12日となり新記録を達成しました」と報道される事実、等々。

そういうごった煮の闇鍋に混じって、というよりも、そういうモノがほとんどを占めるなかで、ちらっとヤッピーやらヒップホッパーやらホッピーやらハイボールが顔を出す、それがリアルなニューヨークだ。電飾バリバリの看板と広告が四方を詰め尽くすタイムズスクエアや高級ブティックが立ち並ぶ5番街は確かに存在し、メディアに流れるニューヨークのイメージを代表しているだろう。でも、そういうベタな部分は観光客向けスポットでしかなく、そもそも地元ニューヨーカーは出向かない。僕が住んでいたクイーンズやブルックリンには決して観光ガイドに載ることがない地域が多くあって、2年前に帰国する直前まで住んでいたブルックリン・ブッシュウィックの僕のアパートのそばなんて、実家がある東京の荒川区よりさらにコテコテで小汚ない町だった(って荒川区民の皆さんごめんなさい)。

要するに、かっこいいって「格好いい」わけで、その格好はあくまで外側だけな場合が多いのだ。果たしてその実態はというと、端から見るのと全く異なる場合が多い。多くの場合、かっこいいは妄想である。

2000年に初めてニューヨークへ引っ越したとき、マンハッタンを生まれて初めて歩いてエンパイア・ステイト・ビルディングやイエローキャブを目の当たりにしてえらく興奮したけれど、その興奮は刹那的なものだった。すぐさま僕は現実の苦々しさ、ザラッとしたリアルに直面することになる。大学院の哲学科の勉強量は想像をはるかに超えて膨大で、睡眠時間を削っても間に合わない。しかも試験とレポートの評価がとてもとても厳しい。英語のネイティブスピーカー、英語のみならずフランス語やドイツ語を流暢にしゃべるアメリカ人学生もわらわらと脱落していく難解さ。しかも僕は貧乏学生で、マンハッタンに繰り出してクラブでオールなんて経験は一度もしたことがない。卒業するまでは友達とバーに飲みに行くなんて経験もほとんど無かった。おまけに僕はアジア人男性であるわけで、すごくモテない。これを読んでる人のうちどれくらいがご存知が知らないが、西洋ではアジア人男性はかっこ悪いの代名詞と言っていいほど、人気がない。アジア系アメリカ人のコメディアンは自分がいかにモテないかを自虐ネタにするのが定番になるくらい。そして僕は当時30代後半だった。アパートと学校と図書館の三角形をぐるぐる回るだけの哲学やってるモテない貧乏学生、しかも40手前のアジア人。もう終わってる。

でも僕も「ニューヨーカー」だった。かっこいいとはそういうことだ。

かっこいいが「格好いい」だとすれば、その本質は「実体が無い」ということになるだろう。

でも、それは決して「悪い」ことではない。

あらゆるかっこいいモノが、その実体を伴わず、あくまで端から見たイメージとしての「かっこいい」とそうではない実の姿、という二重構造を持っているとしたら。果たしてそれは悪いことなのか?実体が無いことがかっこいいの本質だとして、実体とイメージのギャップが存在することで初めてかっこいいが価値のあるものになるとしたらどうだろう。ギャップがあるから悪い、ではなく、ギャップがあるから良い、だとしたら。

例えば東京では中目黒や吉祥寺、高円寺などがかっこいい街と呼ばれることが多い。古着屋があったり、サブカルチャーに寄った書店があったり、店内はやたら狭いけど一捻り効いた美味いつまみを出す飲み屋があったり(まあ、最近ではもうこれらの街も商業主義が入り込んでいる、なんて声も聞こえるけれど)。

ここで大事なのは、「かっこいい」と「おしゃれ」は全く違うということだ。「おしゃれな街」と言えば代官山、青山、六本木、表参道といった具合。ヨーロッパ調のインテリアを並べたカフェがあったり、ハイファッションのブティックやら雑貨屋があったり、イタリアン・フレンチ・スパニッシュな料理や、まだそれほど多くの人に知られていないエスニック料理が楽しめたり。外はサクサクして中身はとろーりしたスイーツ。王様のブランチで紹介されて、LiLiCoがブログでアップしてたり。それに西内まりやがコメントしたり。よく考えて欲しい。本当に「おしゃれな人」がそういうところへ行くだろうか?それらは「おしゃれに憧れたおしゃれじゃない人たちが、自分たちの非おしゃれさを補う・隠すために行く場所」となっていないか。表参道にニューヨークから上陸したというチョコレート屋があって、長蛇の列が出来ていた。僕は日本に帰ってくるまでそのチョコレートの名前すら知らなかった。ニューヨークに住む人間は列に並んでいる間にチョコレートを食べる。チョコレート目的で列を作ることはない。35点くらいの人間が残りの65点をなんとか埋めようとして求めるもの、それが「おしゃれ」である。

かっこいい、は違う。そもそもかっこいいと呼ばれるもの、それらは格好良くない。というより、格好良くないことが「かっこいい」になることを理解する人間たちがやることが「かっこいい」である。

ちょっと古い話になるけれど、90年代に渋谷系と呼ばれる音楽ムーブメントがあった。フリッパーズ・ギターやらピチカートファイヴやらオリジナルラヴやら、藤原ヒロシやらカヒミカリィやらカジヒデキやら。ネオアコでギターポップでハウスでジャズで。彼らに共通するのは「格好良いは実体を伴っていないということを自覚した上で、あえて格好良いふりをする態度」だった。彼らの多くはサンプリングという手法を使い、もはやオリジナルで最初から最後まで実体として完成された作品を作ろう、という態度を放棄することを良しとした。パロディとパクリとオマージュとの境界が非常に曖昧になったのがこの頃からだったと思う。メロディーのフレーズを他から切り取り、新しい文脈で再構築することで、パロディともオマージュとも言えない、茶化しているのかリスペクトしているのか区別がつかない領域で音と遊ぶように、音楽の新しい可能性を開拓していった。

確固とした実体を作り上げようとせず、そんなことには意味がないとして実体を軽々と放棄し、所詮音楽というものはサンプリング・引用・パロディー・オマージュの連鎖で作られていくのだ、とでも言うかのごとく。実体が無いことを理解した上で、「あえて」実体がないことをしてみせる態度。それでいて、過去の音楽に無い新しさを見せていく。

その頃のミュージシャンやサブカルチャー系クリエイターたちは決して「おしゃれ」ではなかった。みうらじゃん、杉作J太郎、いとうせいこう、安齋肇、川勝正幸といった人たちはおそらく北欧インテリアを飾った部屋には住んでいなかっただろうし、フランソワーズ・サガンを読みながらボサノバ聴いてパスタ食べたりしなかっただろうし、梅宮アンナ・神田うのとは話が合わなかっただろう。当時のサブカルチャーを語る上で欠かせない雑誌「クイック・ジャパン」はアンダーグラウンドのとてもとてもダークでグロでバッドテイストなものを楽しむように流布していた。要するに、当時の「かっこいい」は根本敬やら「完全自殺マニュアル」を無視して語ることはできなかったのだ。自分たちは決して渋谷公園通りのような、パルコのCMのような、西武の堤さんが作り上げた「おしゃれ」な存在ではありえない、だからこそ「あえて」そのおしゃれをパロディー化することで、フェイクを超えた部分に触れるという戦略。夢の世界にいながら、夢であることを自覚し、あえて夢でファンタジーに浸って遊ぶ「ふり」をして見せる、という戦略。

ふりをする、というのは、ふりの向こう側にあるものを捉えた者ができる芸当なのである。

個人的な趣味で日本の90年代音楽シーンを例に挙げたけれど、この「あえて構造」はその時代の日本サブカルチャーシーンに限られたものではない。そもそも「クール」というコンセプト自体、「あえて構造」に貫かれている。

かっこいい、が「クール」だとすれば、その本質はマイルス・デイビスが1957年に発表したアルバム「Birth of the Cool(クールの誕生)」に代表されるような、独特に抑えた音に宿るグルーヴ感だろう。それは現代ヒップホップ全盛の音楽にも形を変えながら受け継がれている。現代哲学者ソーステン・ボッツボーンスタインはそうしたクールの本質を、アフリカ系アメリカ人が苦悩の歴史の中で身につけた「あえて抑えた態度をとること」と結論づける。奴隷として扱われ、解放された後も差別され虐げられてきた民族にとって、抑えた態度というのは発明なのだ。

あなたが学校のクラスの中で一人だけ、集団いじめにあっているとする。どう反応するだろうか。自分だけが世界から取り残されたショックから、孤立感からうつ状態になるか、そうでもなければじっとこらえて目に涙をためて歯を食いしばり、眉間に皺をよせて青ざめた顔で毎日を過ごすか。なんとか勇気をふりしぼっていじめに抵抗しようとしても、取る行動といえばいじめっ子にキレて暴力をふるって返り討ちにあうか、最終的には血を見る覚悟で刃物で攻撃するか。追い詰められ虐げられた者の末路は、そういうデッドエンドでしかない。

もしも顔色ひとつ変えず、口元にうっすら笑みすら浮かべて爽やかに毎日クラスで過ごしていたらどうだろう。絶望に飲み込まれ鬱になるでもなく、逆上して発狂するでもなく、あえて穏やかに、抑えた態度で淡々と、まるで何も無かったように振る舞う。いじめられている事などそよ風が小枝を揺らすほどの出来事でしかない。それどころか、そんな事実など存在しないとでも言わんばかりに。

めちゃめちゃクールじゃないか。かっこよくないか。それこそ最大級の反抗じゃないか。

大事件を大事件で終わらせない。悲劇を悲劇で終わらせない。悲劇を悲劇と認めたうえで「あえて」悲劇など存在しないように振る舞う。それが「かっこいい」である。事実(=実体)と、それを受けて取る態度(=表現)に明確な差を認め、自覚した上であえてやる戦略。あえて全く反抗しない態度で、逆に究極の反抗を示す戦略。それがクールの構造だ。

あらゆる「かっこいい」が、実体と表現のギャップを自覚する態度、一辺回って「あえてやる」態度を本質とするとしたら。武士は食わねど高楊枝。腹が減っていても満腹なふりをして、あえて爪楊枝くわえて涼しい顔。「粋」の世界である。そう、かっこいいとは涼しい(クール)ことなのだ。本当は暑いくせに涼しい。フェイクな態度。フェイクだから良いのだ。

僕がニューヨークの「全然おしゃれでない」現実を目の当たりにした時、体感したのはそのフェイクなイメージ・格好の裏にある「かっこよくもなんとも無いニューヨークのリアル」だった。どこへ行っても確実に存在して、消えるどころか年々強まっていく人種差別、絶対に崩れることのない格差、増え続けるホームレスの数、レストランの厨房で働く低賃金労働者の帰宅ラッシュで混雑する夜中12時過ぎの地下鉄。街全体を包み込む喧騒と爆音と生ゴミの臭い。

不思議とそれらザラッとした現実に嫌悪感は抱かなかった。これも現実。人生のリアル。人の営み。もちろん問題は無数にあれど、僕が目の当たりにしていたのはまごう事なき「自分にとっての今、自分にとってのここ」だったのだ。僕はそれらを受け入れた。哲学が知恵への愛だとすれば、知恵を愛すべき人間の様々な営みを学ぶ上でこれほど優れた教科書はあるだろうか?「格好いい」を超えて、それを壊し、その向こうにあるリアルを体現し、リアルと一体化し、なおそれを価値あるものとする。一辺回って着地したとき、ニューヨークは僕の街になっていた。

これは愛と同じ構造を持っている。愛と恋の違いは?恋は焦がれるもので、相手の魅力の虜になり、囚われ、陶酔し、盲目になる。愛は陶酔から覚め、相手のリアルを目の当たりにしても落胆せずあえてそれを受け入れ、相手のリアルが決して陶酔に値しないと分かっても、いや値しないからこそ、それを受け入れる。愛し合う二人は端から見れば「ラブラブ」だろうけど、二人の間に存在する本当のラブとは「おしゃれ」でも何でも無いのだ。

だからこそ、アイ・ラヴ・ニューヨーク。

葛生賢治(くずう けんじ)
1970年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒用後、サラリーマン生活を経て渡米。2000年ボストンカレッジ大学院哲学科修士課程終了。2007年ニュースクール大学院哲学科博士課程終了。ニューヨーク市立大学哲学科非常勤講師を経て、現在東京にて執筆活動中。フリーウェブ雑誌「OUR」チーフエディター。専門はアメリカンプラグマティズム。博士論文の表題は「ジョン・デューイ哲学における宗教性」。趣味は駄洒落づくり。代表作は「オジー・オズボーンの叔父におスボーン履かせてちょうだい」。