バター抜きは「ドライ」 第9回 フレンチ・ジャーマン・コリアン・クッキー葛生賢治

「韓流ブーム」。いまやこの言葉を使うことに恥ずかしさすらおぼえる人もいるだろうか。日本で「ヨン様」やら「冬ソナ」がどうしたと大騒ぎになったのは2000年代の初めだったと記憶している。僕はニューヨークのブルックリンに住んでいて、ネットニュースで「ドラマの撮影地をめぐるツアーが大人気」とか「韓国への語学留学に応募が殺到」とか見るたびに、海の向こうの祖国では面白いことが起きているなあ、と若干冷めた目で見ていたのを覚えている。次から次へと韓国アイドルグループが日本へ営業に来たり、テレビの歌番組にゲストとして出演するのをYouTube動画で見たこともある。
同時に、2ちゃんねる等の匿名ネット掲示板では韓国人への「ヘイトスピーチ」的書き込みが熱を帯び、「ネトウヨ」という言葉を最初に目にしたのも、僕にとってはその頃だった。フジテレビで放送されたアニメ「サザエさん」のかつおの部屋にあるポスターが韓国アイドルのものだったとか、同局のドラマ番組に日本を侮辱したような隠れメッセージがあったとか。どこまでが真実でどこまでが妄想なのか分からないものまで、お隣の国に対するネガティブな言葉が濁流となってサイバースペースを覆っていた。

マンハッタンにある行きつけのカフェでレジに並んでいると、前にいた学生の集団が僕に話しかけてきたことがある。

「そのTシャツ、ひょっとしてあのBIG BANGのもの?」
「うん、そうだよ。」

「君を尊敬するよ!」

僕はそのとき、以前日本の友人からお土産にもらった韓国アイドルグループのロゴ入りTシャツを着ていた。話しかけてきたのは白人の学生たち。若い世代のアメリカ人にも「韓流」アイドルが認識されているのを知った。
僕が韓国の人たちに持つ感情は、ことさら特別にポジティブなものでもネガティブでもない。特定の国籍を持っている・文化に属している人に対して偏ったプラスやマイナスの感情を持つのは、人種のるつぼニューヨークでは珍しくないけれど、僕はそんなお気楽なステレオタイプで韓国の人たちを見れないくらい、彼らと深くかかわったことがあるのだ。

僕が通ったニュースクールの哲学科大学院には、韓国からの留学生が2人いた(日本人は僕の他に1人いたそうだけど、ほとんど見かけたことがなかった)。そのうち1人、Yさんは女性で、コンピューターエンジニアの旦那さんをもつ才女だった。フランス語が達者で、そもそもニューヨークではなくパリの大学院に進んでミシェル・フーコーを専門に研究したかったとのこと。パリが不合格だったのでうちに来た、と言っていた。
ニュースクールで博士号を取得するには英語と母国語以外の「外国語」の試験を2つパスする必要があって、フランス語を選んだ僕は彼女にいろいろ助けてもらった。彼女もフランス語のクラスを取っていたので、授業後にいろいろ教えてもらったり、ある時は彼女が行きつけのコリアンタウン(マンハッタンにある韓国料理店が並ぶ一角)にある韓国系カフェで一緒にフランス語を読み合ったりした。フランス語の試験というのは、フランス語で書かれた哲学書の原文を時間内にできるだけ多く英訳し(辞書の使用は認められている)、その分量と訳の正確さを判定されるというもの。試験時間は3時間。訳すフランス語も、「ピエールは火曜日にシャンゼリゼ通りのカフェに行きます」なんてものじゃなくて、「あらゆる言説は、たとえ詩的であってもそれ自身の中に類似したものを生む法則のシステムを内包しており、その意味で方法論の概要を備えていると言える」というような文章。なかなかのレベル。Yさんにいろいろ教えてもらいながら必死になってフランス語の基本的な文法と語形変化を習得し、なんとか試験をパスすることができた。僕はボストンで修士号を取得したときにもフランス語の試験をパスしていたからある程度の素養はあったにせよ、Yさんのサポート無くして果たしてこの高いハードルを越えることが出来ていたかどうか。ありがたい。一緒に勉強した韓国系カフェはいつも大勢の客でごったがえしていて、店内に大音量のBGMが流れていた。この騒々しい中でなんでこの人ここまで集中できるのかと思うくらい、テキストから1ミリも視線をそらさず黙々とフランス語を読み解いていく姿がいまでも記憶に残っている。いるところにはいるもんだ、こういう人って。
もう1人の韓国人の友人は男性のW君。彼にはドイツ哲学でお世話になった。学位取得のための試験のひとつに、数名の教授の前で行う口頭試問があった。問題は2問のみ。あらかじめリストの中から2つだけ問題を選び、半年から1年をかけて準備する。当日は教授の研究室に行き、数名集まった教授たちの前で用意してきた答えを15分でプレゼンし、その場で教授からの質問に答える。トータルで1時間の試験。僕が選んだ問題は、
「アリストテレスのいう『習慣』の概念とはどういうものか?」

「カントの『超越論的』と『理性の深淵』との関係はどのようなものか?」

というもの。それぞれの問題に対して数ヶ月を費やして答えを用意する。答えといっても、「○○です」と単純に答えられる種類のものではもちろんなく、持ち時間内でプチ論文を組み立てる必要がある。学生は試験を受けるときの教授を選ぶことが出来ず、哲学科が試験教授を決める。
試験からさかのぼること約半年前、事務所に貼り出された僕の担当教授リストを見て愕然とした。

カントとドイツ哲学のエキスパートにしてハンガリー哲学界を代表する哲学者アグネス・ヘラー教授がその中に入っていた。ホロコーストの生き残りでもある彼女は、ヨーロッパを中心に世界でその名を轟かせる哲学界の重鎮。ニュースクールという学校はそういう世界レベルの教授がごろごろいる環境だったのだ。ありがたいんだけど、試験に当たるとつらい。泣きそうになるくらいつらい。
僕はマイケル・ジャクソンの前でダンスを踊って採点されるような、アデルに歌を審査されるような、クリスチアーノ・ロナウドとメッシとネイマール3人をドリブルで抜かなければならないような状況に追い込まれた。もちろん、大学院の試験に「2回目」は存在しない。不合格の場合、その時点で全てが終わる。

また図書館に「暮らす」日々が始まった(前にも同じようなこと書いたけど、僕の大学院時代の生活は終始こんな感じだったのだ)。起きている間、食事とトイレとシャワー以外は全て試験の準備にあてる。24時間オープンしているニューヨーク大学の図書館で朝を向かえることもしばしば。もう、こうなったらやるしかない。でも難しい。そんじょそこらのドリブルでネイマールを抜くことが出来ないように、通り一辺倒の答えではアグネス・ヘラーには通用しない。むぐぐ。

青白い顔をして学校のラウンジで休憩していると、W君がふらっと立ち寄った。
「やあケンジ、元気? ずいぶんと疲れているようだけど。」

「やあ、久しぶりだね。実はこれこれこうで、、、。」

「そうなんだ。それは大変だなあ。カントの問題なの? 何か分からないところあるかい?」

そうだ、W君はドイツ哲学に強かったっけ。授業中も結構するどい質問を教授に投げかけていたのを思い出した。

「カントの中でも『理性の深淵』と『超越論的』に取り組んでいるんだけれど、どうもここがいまいち分からなくてね。」

「あ、そうなんだね。それは恐らく、こういうことだと思うよ。つまり、、、」

W君はカント哲学の核にあたる『超越論的』の概念について説明してくれた。僕は恥ずかしながら、その時までその概念をわずかに勘違いして理解していたことに気がついた。もちろんボストン時代にもカントはしっかりと読んだつもりだったが、本当に核の部分にはたどり着けていなかったのだ。

こういうこと。
我々は現実の世界を「現実だ」と理解するとき、世界を「客観的だ」と理解している。目の前にあるこの世界が夢ではなく「現実」の世界であるとうことは、「この世界が主観的な想像の産物ではなく客観的だ」ということだ。では、「客観的」ってどういうことだろう?
客観的(objective)というのは読んで字のごとく「客観」できるもの、object(物体)として、お客さんとして、自分とは別のモノとしてあちらにある、ということである。自分の頭の中で考えた「天使」「ポケモン」「ピッピロ・ピロピロ四世」などの想像ではなく、自分の「外」にあるお客さんとして、あっち側のモノとして、物体としてちゃんと独立している、ということ。

では、その「客観的」なものが「本当にあっちにある」となぜ言えるのか?

イマヌエル・カントが18世紀に登場するまでは、これが哲学上最大の難問だった。映画「マトリックス」の問題である。我々はどうやって現実(客観)と夢(主観)を正確に区別できるのか。現実が本当に現実であると、夢が本当に夢であると、どのように言えるのか?

五感から得られる感覚のデータによって現実の「客観性」が証明される、と考えた哲学者たちがいた。答えは「外」にある、と。我々は視覚や触覚や聴覚などそれぞれのセンサーを使い、外から受け取ったデータを脳が統合して「現実」を構成している。だから我々は現実を正確に捉えていると言える、と。でもここで大きな問題が。五感は時に間違う。インターネットで少し前に「このドレスは青と黒に見える?それとも白と金?」という画像が物議をかもしたように、怪談話を聞いた後に暗闇で見た枯れ木をお化けと間違えるように、夢の中で死別した人に出会ってもそれが「現実だ」と受け入れてしまうように。そんな不確かなセンサーに頼って作り上げた「現実」が、「世界」が、夢ではなくて本当に現実である、とその「現実」の中にいるのにどうやって証明できるのか。
外の世界をキャッチするセンサーが不確かであるなら、真実は「内」にある、と考えた哲学者たちがいた。答えは「内」にある、と。全ての物質世界は川の流れのように流転していて鴨長明の『方丈記』(行く河の流れは絶えずしてー)のごとく、永遠不変のものなんて存在しない。ならば心の中にあるもの、頭の中で確実に確かめられるものこそ、現実の土台であるのだ、と。けれども、ここでも大きな問題が。自分の「内」にあるものが確実にいつも同じものである、とどうやって証明できるのか? 今この瞬間、我々は頭の中に「1+1=2」という真実があるとしよう。その1秒後、頭の中を確認してみる。「1+1=2」という考えがある。でも、1秒前に見た「1+1=2」という概念と、いま確認した「1+1=2」という概念が「同じ」であるとどうやって証明できるのか? 出来る方法はたったひとつ。自分が自分の頭から「外」に出て、1秒前の「1+1=2」と1秒後の「1+1=2」を両方同時に比べてみて、そこで初めて判断できる。でもそれは不可能だ。何故か? そもそも「外」に出ることが不可能であるから。たったいま、「外」はすべて流転していて、それを捉えるセンサー自体も不確実だとしてこちらの推測を始めたのだ。一度「外」を捨て去ってしまうと、「内」の真実すら、本当のところは証明できないのである。
というわけで「客観性」は、外側の世界からも自分の内からも確かめることが出来ない。証明できない。ここで近代哲学は座礁した。
そこでカントの登場である。

カントはこの主観と客観の問題を、

「どうやって客観性を証明することが出来るのか?」

という問いから、

「そもそも我々のいう『客観性』とはどういう意味なのか?」

へと転回する。

そもそも哲学者たちは、現実に対するアプローチの仕方が間違っていた。問題の立て方が間違っていたのだ、とカントは考えた。
それまでの哲学者たちは「どれが現実でどれが非現実かを見極めるための究極の地点、絶対的な座標軸、神の目にまで自分の視点を持っていき、その絶対的な地点から全てを正しく記述しよう。そうすれば全てはちゃんと証明できる。その地点にたどり着く努力をしよう」と頑張っていた。

カントは言う。その「究極の地点」という考え自体、既に「主観/客観」という前提があって初めて成り立つものなのだ。つまり、そもそも理性のフレームが作り上げた「主観/客観」という枠組みを何の疑いもなく受け入れて、その枠の中でもって哲学者たちは「これは現実か?」「これは妄想か?」「これはどっちだ?」と、あーだこーだ議論してたのである。枠組み自体がどこから来てるのか、問うこともなく。
現実とは、理性のフレームが切り抜いた後の世界の姿なのである。

クッキーを作るときに、小麦粉を練ってつくった生地をクッキーカッターで星型に切り取るとしよう。切り取られたクッキーには型どおりの形が残る。残されたクッキーが我々のいう「現実」である。その星型の一角が「客観的なもの」であり、また別の一角が「主観的なもの」という具合に、くり抜かれた後に残されたコンテンツの形が「主観/客観」という、我々が世界を捉える根本となる考え方なのだ。その形を、我々は「現実」と呼んでいるのである。

だから残された「現実」というクッキーの中のどこを探しても、クッキーの中のレーズンを取り出しても、チョコチップをほじくり出しても、現実に型を与えたクッキーカッター(理性)自体を見つけることはできない。クッキーカッターこそ、クッキーを星型に作り上げることでクッキーを超える、理性の働きそのものなのである。哲学者たちはクッキー自体を見ては「この中のどこにクッキーカッターが含まれているのか?」と議論していたのだ。

現実に残された「主観/客観」という特定の「型」から、目の前にある現実を現実として成立させている「現実の舞台裏」の構造を理解する。それによって「現実」を超える。クッキーの形を見つめたまま、クッキーを超越するものを分析する。
これがカントの「超越論的」の核である。

現実に残された「くり抜き型」を見ることで「理性というクッキーカッターの働き」をぐるっと回って暴き出す哲学。彼が天才と呼ばれるのは、それまでの哲学の問題を根本的に逆転・転回したことによる。

もちろんこの説明は博士号を取得して10年近く経った今、僕がもろもろ補足したものだけれど(そしてこの短さでは到底説明し切れないけれど)、W君はこのエッセンスになる部分を僕に小一時間ばかりで説明してくれた。学校のラウンジで。彼のおかげでカント哲学のもつ「転回」を、180度違った方向から世界を捉え直す視点のシフトを、実にクリアに理解することができた。その後の試験準備がとてもとても楽になった。

約半年の図書館生活の後、いよいよアグネス・ヘラー教授たちとの口頭試問に挑む。失敗したら後は無い。留学生である僕にとって不合格は帰国を意味する。生涯でもベスト3に入る緊張の中、口の中をカラカラにしながらカント哲学の世界最高峰の前でカントをプレゼンする。答えの発表と質疑応答の1時間が終わり、研究室から外に出て待つように言われる。その場で教授たちが話し合い、合否が決まるのだ。5分ほどしてドアが開く。

「That was a very good examination, Kenji. Congratulations.」
(素晴らしい試験だったわよ、ケンジ。おめでとう。)
満面の笑みでアグネス・ヘラーが握手をしてくれた。泣きそうになった。

「韓国」と聞くと僕はいつもYさんとW君のことを思い出す。よく通った韓国系カフェのことも。K-POPやアイドルグループやイケメン俳優やヘイトスピーチや戦争責任などはどうでもいい。本当にどうでもいい。僕にとって韓国は決して忘れることのできない恩のある国であり、超絶的知性を持った僕の友人を生み出した国なのである。それ以上でも、それ以下でもない。
もちろん、僕が知る数名の、アメリカの大学院で西洋哲学を学んでいた「特殊」な学生でもって韓国人すべてを語ることは出来ない。それこそ偏った見方だ、なんてことを言う人間もいるだろう。
だから何だというのだ。僕が彼らと関わった経験は「客観的な現実」では捉えきれない価値があるのである。
それを超越する価値なんて存在しないと思うからこそ、僕は今日も哲学を続けているのだ。

葛生賢治(くずう けんじ)
1970年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒用後、サラリーマン生活を経て渡米。2000年ボストンカレッジ大学院哲学科修士課程終了。2007年ニュースクール大学院哲学科博士課程終了。ニューヨーク市立大学哲学科非常勤講師を経て、現在東京にて執筆活動中。フリーウェブ雑誌「OUR」チーフエディター。専門はアメリカンプラグマティズム。博士論文の表題は「ジョン・デューイ哲学における宗教性」。趣味は駄洒落づくり。代表作は「オジー・オズボーンの叔父におスボーン履かせてちょうだい」。