娯楽と中国文化―白話小説のキャラクターたち―第4回
戦うヒロインのその後―十三妹『児女英雄伝』(三)石井宏明

前回から引き続いて、十三妹の変化を見てみましょう。その前に、前回、十三妹がいつから女強盗をやっていたのか、見てみましたが、それについて、少々補足があります。前回は、安老爺の発言から、十三妹が父親と死別したのは、彼女が数え年で十七歳、満年齢の十五~十六歳のときと考えられ、だいたい、その頃から十三妹は女強盗をしていたと考えました。しかし、十三妹が自身の過去を振り返っている場面があるのですが、そこでは、

この何玉鳳(筆者注:十三妹の実名)は、十二の時から一口(ふり)の刀で、この何年かを切り開いてきて、たいていのことは見たことがある。(第二十一回)[1]

ここでの十二歳も数え年でしょうから、満年齢では、十~十一歳となるでしょう。もちろん、この世に強盗を始める適正年齢などというものが存在しないことは当然なことではあります。しかし、そうであるとは言え、また、本人の回想であるとは言え、これでは女強盗を始めるには、少々幼すぎるような気もします。安老爺の発言と十三妹の回想、どちらが正しいのでしょうか。その答えは簡単に出るものではないでしょう。ともかく、どちらが正しいにせよ、これは設定上のミスであると言えるでしょう。このような設定上の矛盾点があることは白話小説において珍しいことではないのかもしれません。白話小説の代表格である『西遊記』を例に、このことに関して、見てみましょう。『西遊記』を聞いたり、見たり、読んだりし、三蔵一行が長い旅[2]をしていることを知ったとき、声に出さなかったとしても、少なくとも心の中で突っ込みを入れたことがあるのではないでしょうか。「徒歩でなく、孫悟空の觔斗(きんと)雲(うん)[3]で行けばいいじゃないか!」と。そして、考えたのではないでしょうか。「まあ、ただのお話だし、悟空が三蔵を觔斗雲の術を使って連れて行ったりしたら、お話がそれで終わっちゃうから、仕方ないか!」と。確かにほとんど徒歩で旅をする理由として、次のような設定があります。

お師匠様は、知らぬ国々をひたすらめぐらなければ苦しい世の中を解脱することができない。それで、寸歩を運ぶさえ骨が折れるという訳だ。(第二十二回)[4]

三蔵が世俗を解脱するために、長旅が必要とされていますが、それでも、觔斗雲の術を使って三蔵を運ばない理由としては弱いかと思います。觔斗雲の術を使わないことについて、ちゃんと別の理由が設定されているのです。中野美代子は下のように述べています。

申すまでもなく、悟空がその神通力にかけてはピカ一で、ひとつ觔斗(とんぼがえり)すれば十万八千里、ひとっ飛びという、すばらしい觔斗雲の術をもっている。悟空がひとっ飛びできる十万八千里とは、じつは、長安から釈迦まします西天は大雷音寺までの距離に等しい。ならば、悟空が三蔵をおんぶしてひとっ飛びすれば、よさそうなものだが、いかな悟空でも、凡胎[5]の人間をおんぶしては飛行できないということになっている(中野美代子『西遊記―トリック・ワールド探訪―』岩波新書p.22)。

この設定があるからこそ、三蔵たち一行は移動に觔斗雲の術が使えず、長い旅をほとんど徒歩で行くということになるのです。ちなみ觔斗雲の術の“觔斗”とは中国語で「とんぼ返り、宙返り」を意味します。孫悟空は雲でとんぼ返り(宙返り)を一回すると、十万八千里飛ぶことができます。これをメートル法で換算しますと、『西遊記』がテキスト化された明代の一里は559.8mだそうですので[6]、十万八千里は60,458,400m、つまりは60,458.4㎞となります。赤道の一周が約40,000㎞と言いますので、孫悟空はとんぼ返り一回で赤道を約1.5周できるということになります。このような便利な術がありながら、三蔵に使えないからこそ、『西遊記』という物語が成立するのであって、この設定が揺らぐということは、『西遊記』という物語の根本が揺るがされかねないことになります。しかし、この設定が崩れていると中野美代子は述べています。

明刊の世徳堂本[7]においても、孫悟空の雲に乗れないはずの三蔵の凡胎をめぐる矛盾が見られる。ひとつは第46回、三蔵は車遅(しゃち)国にての三道士との法力くらべにおいて、五十脚のテーブルと一脚ずつ積みあげたそのてっぺんで座禅することになった。そこにのぼるには、「手を使ってはだめ、また梯子(はしご)を用いても」だめ、「それぞれ一朶(いちだ)の雲に乗」ってのぼらなければならない。そこで悟空は「五色の祥雲をつくると、三蔵をつかんで空中へ、まっすぐ東側の台のてっぺんに坐らせ」た。もうひとつ、第71回、妖怪の賽(さい)太(たい)歳(さい)にさらわれた朱(しゅ)紫(し)国の皇后をめでたく救出し、その妖怪の住まいから三千里もの朱紫国まで連れてかえるのに、悟空は「一匹の草龍」を編んで皇后にまたがせ、「いつもの神通力」つまり觔斗雲に乗せた。皇后、もとより凡胎である。この二例とも、凡胎の俗人をおんぶしては悟空といえども飛行できないという『西遊記』の大原則から逸脱した矛盾である。………この矛盾は、おそらく、世徳堂本を最終的に集大成した人物が複数いたがために生じたミスであろうと思われる(中野美代子『西遊記―トリック・ワールド探訪―』岩波新書p.27~p.28)。

『西遊記』の場合、テキストとなる以前に、講釈師が講談で語っていた歴史もあり、その後にテキストにまとめられたという事情があるため、設定上の矛盾があっても仕方がないのかもしれません。それに対して、『児女英雄伝』には講談で語られていた歴史はありませんが、文康によって書かれた後、書き写されて読まれていた時期があり、それが後の光緒4年(1878年)に北京の聚珍堂から出版されたという事情があります(孫楷第「關於児女英雄傳」『国立北平図書館館刊』第四巻第六號p38)。作者文康がこの物語を書き上げた時に、すでに上で見た設定上の矛盾があったのか、それとも、書き写されているうちに、設定上の矛盾が発生したのか、その辺りの事情については、筆者には何も分かりません。しかし、『西遊記』の物語の根本を揺るがす設定上の矛盾に比べ、『児女英雄伝』の設定上の矛盾はそれほど、深刻なものではないとも言えるのではないでしょうか。ここは、前回、太田辰夫が十三妹の怪力設定について、200余斤などと具体的な数字を挙げずに、重い石として読めば、不自然とは感じない(『中国語文論集 文学編』p631)と言っていたのに倣い、「十三妹は少女のころから女強盗をやっていた」と読み換え、物語を先に読み進めたいと思います。

安老爺の説得により、北京に行くことになった十三妹は、母の棺に縋りつき、棺をたたき、胸をうち、足ずりをして、声をあげて痛哭いたしました。その泣き声は、鉄の仏も心をかきむしられ、石の人間も涙を落とすばかり。………この痛哭こそ、おそらく、父の死後から今日に至るまで、永年抑えてきた最初の熱い涙であったと申せましょう。(第十九回)

十三妹は安老爺たちの前で激しい感情をあらわにします。安老爺に続いて、彼の妻である安太太が色々と十三妹の世話を焼き、十三妹は家庭的なぬくもりを感じたことでしょう。さらには、安老爺は十三妹と話を終え、それを見ていた十三妹の師匠にあたる鄧九公が安太太たちに日が暮れようとしているから、引き上げることを提案すると、十三妹は、思わず言います。

「どうして、今日は、お泊りになれないのです?」というのは、姑娘(筆者注:十三妹のこと)は、安老爺に言い聞かされてから、児女のおだやかな心情をよみがえらせ、それまでの、殺したければ殺し、許したければ許し、集まりたければ集まり、散りたければ散る、といった十三妹とはまるっきり変わってしまっていたからでございます。ですから、行かなければならない、というのを聞くと、未練たっぷりで、目の縁を赤くし、まるで安公子が悦来老店で見せたようなしょげ方でございます。(第二十回)

この時点で、十三妹は、普通の女の子より、もっと弱々しい女の子となって描かれています。安老爺との再会からこの時点までの十三妹の変化は不自然なところなく描かれていると思います。むしろ、これは変化ではなく、生きるために、かたき討ちをするために、十三妹が抑え込んでいた、彼女自身の本質の一面であるのかもしれません。能仁寺で安公子を救うため、悪徳僧たちを次々と殺害していった十三妹がツンだとしたら、今の十三妹はデレとでも言えないでしょうか。しかも、これは極度のデレではないでしょうか。前回、魯迅が『児女英雄伝』について、性格や言動の異常を来たし、不自然な技巧がいたるところで眼に触れる(『中国小説史略』2 p290)と述べているのを見ました。魯迅の批判が具体的にどの場面を言っているのか、はっきりしないのですが、もし、上で見た十三妹の反応を批判しているならば、その考えには筆者はなかなか首肯することができません。むしろ、ツンデレのように二つの両極端の性質を合わせ持つキャラクターに慣れている我々にとっては、この十三妹の描写はさほど不自然とは思われないのではないでしょうか。それはともかく、十三妹のデレはこの後も続きます。

さてさて、その後の十三妹のデレぶりは如何に?且聴下回分解!(この項続きます)

 

参考文献
『児女英雄伝上』中国古典全集第29巻 訳 奥野信太郎、常石茂、村松暎 1960年 平凡社
『児女英雄伝下 鏡花縁』中国古典全集第30巻 訳 奥野信太郎、常石茂、村松暎1961年 平凡社
《儿女英雄传》一、二 文康 中州古籍出版社2010年
『西遊記』中国古典全集第13・14巻 訳 鳥居久靖 太田辰夫 1960年 平凡社
《西游记》上中下 人民文学出版社 1991年
『角川新字源』改訂版小川環樹 西田太一郎 赤塚忠1994年
「關於児女英雄傳」孫楷第『国立北平図書館館刊』第四巻第六號1930年
『西遊記―トリック・ワールド探訪―』中野美代子2000年4月岩波新書
『中国語文論集 文学編』太田辰夫 汲古書院 1995年
『中国小説史略』2魯迅・中島長文訳 平凡社1997年7月9日
《中国小说史略》《鲁迅全集》第九卷 人民文学出版社 1982年
[1]今回も訳は『児女英雄伝』中国古典全集第29、『児女英雄伝下 鏡花縁』中国古典全集第30巻を使用し、一部筆者が手を加えました。
[2] 物語では14年かけての大旅行となっています(『西遊記―トリック・ワールド探訪―』岩波新書p.23)。
[3] 日本では一般的に「觔斗雲」は「筋斗雲」と表記されると思います。「觔」は「筋」の別体字で、同じ意味ですが、『西遊記』の原文では「觔」が使われています。
[4] 訳は『西遊記』中国古典全集第13・14巻を基本的に使用し、一部筆者が手を加えました。
[5] 俗人のからだを凡胎という(『西遊記―トリック・ワールド探訪―』岩波新書p.21)。
[6]『角川新字源』改訂版p1228
[7] 明の末期の万歴二十年(1592)、南京の世(せい)徳(とく)堂(どう) が刊行した、現存する『西遊記』の最古のテキスト(中野美代子『西遊記―トリック・ワールド探訪―』岩波新書p.4)。

石井宏明(いしい・ひろあき)
[出身]1969年 千葉県生まれ
[学歴]中華人民共和国 北京師範大学歴史系(現:歴史学院)博士生畢業
[学位]歴史学博士(北京師範大学)
[現職]東海大学/東洋大学 非常勤講師
[専攻]中国語学(教育法・文法) 中国史 
[主要著書・論文]『東周王朝研究』(中国語)(中央民族出版社・北京、1999年) 『中国語基本文法と会話』(駿河台出版社、2012年) 「昔話を使った発話練習」(『東海大学外国語教育センター所報』第32輯、2012年) 「「ねじれ」から見た離合詞」(『研究会報告第34号 国際連語論学会 連語論研究<Ⅱ>』2013年)