アゴラまでまだ少し 第4回
広げた翼と、欲望のコレクトコール葛生賢治

僕はアメリカで大学講師をしたり、日本でも大学や塾、専門学校で講師をしてきたので、悩み多き10代の人たちと接することが多くあった。みんな若者の特徴であるモラトリアムと怠惰を抱え、大人が造り上げた社会にウンザリし、世間を斜に構えて見るその顔の裏に言葉で表せないほどの不安を抱えていた。それら全て、結局は「自分が誰なのか分からない」という迷いに集約されるように見えた。これから一体何をしたらいいのだろう。将来何になればいいのだろう。自分は何に向いているのだろう。何に向いていないのだろう。本当は何が好きなんだろう。何をしたいのだろう。全ては、「自分の生きる道はこれだ。自分はもうこれでいいんだ」という言い切りが出来ない焦りからくる不安だ。言い切ることが出来ないからもがく、バタバタする、ひねくれる、絶望する、LINEとインスタから流れてくる友達の笑顔を見て落ちる、の繰り返し。でもそんな姿は見せられない。全力で虚勢をはる。

言い換えれば、彼らはコーリングを見つけられないでいたのだ。

英語のコーリング(calling)という言葉、日本人には馴染みが薄いかもしれない。もともとは聖書にある言葉で、神様からのお召し、イエス・キリストの国への導きという意味がある。ある特定の職業や生き方への強い衝動、内的な欲求を指す。日本語では「衝動」「欲求」「天職」などと訳されることが多い。要するに、「誰が何と言おうとも、たとえ世界中が反対しようとも、全く意味が無いとわかっていても、私はこれでいい。これで行く」と言い切れるもの、その意志。

それが無くてもがく彼ら・彼女らの不安は痛いほどよく理解できる。僕だってそうだった。ある意味、これは全ての人間が抱える根源的な不安かもしれない。

その不安による悲劇を描いた映画がある。サム・メンデス監督「レボリューショナリー・ロード / 燃え尽きるまで」(2008)だ。こんな話。

船の荷下しをする肉体労働者のフランクは、パーティーで出会った女優志望の美女エイプリルと恋に落ち、結婚する。しかし女優としての才能が無かったエイプリルは夢を諦め、妊娠し主婦となり、フランクは機械製造会社の営業マンとなり、2人はコネチカット州郊外のレボリューショナリー・ロードに新居を構える。時代は50年代のアメリカ。フランクは勤務先のニューヨークまで毎日長時間電車に揺られ、何の興奮も感じない仕事をこなし、エイプリルは家事をこなすだけの日常生活を繰り返す。終わりなき日常に耐えきれなくなったエイプリルはフランクにパリへの移住を提案する。外国で新しい仕事・生活を始めましょう、人生は一度きりだから、あの頃のわくわくしていた自分達を取り戻しましょう、と。フランクは賛成し、2人は明るい未来に向かって胸躍らすが、直後にエイプリルが妊娠したことがわかり、パリへの計画は一気に頓挫する。同時にフランクは職場で昇進の話を持ちかけられる。パリへ移住したところでいまいち自分が何をするか見えていなかったことも手伝って、彼は目の前に出された昇進のチャンスへと心変わりする。やがて2人の心は断絶。夢に敗れたエイプリルは究極の悲劇にまで追い込まれていく。

この作品は第二次大戦後の好景気を迎えた50年代のアメリカを舞台にして、人々が資本主義経済の濁流に飲み込まれ、自分だけにしかない生き方を喪失していく姿を描いていると言えるだろう。日本でも高度経済成長期に団塊の世代が、「個」として生きるより「会社のために」生きるのを優先していったのとオーバーラップしないだろうか。いわゆる「社会の歯車」として生きることの悲劇である。(ちなみに、フランクはレオナルド・ディカプリオが、エイプリルはケイト・ウィンスレットが演じ、彼らにレボリューショナリー・ロードの新居を紹介する不動産業者のおばちゃんはキャシー・ベイツが演じている。「タイタニック」の純愛カップルがもしも結婚していたら?という裏テーマが浮かび上がるだろう。)

けれどもこの話を「そういう時代だったんだ。あの頃の人はそう感じていたんだ」と特別扱いすることは出来ない。いつの時代も人は「自分は本当にオンリーワンな存在なんだろうか?」という自問自答を繰り返すはずだ。女優になろうとするエイプリルは自分に演技の才能が無いことを知り、落胆する。自分は他の誰でもないオリジナルな存在ではなかった。フランクは、誰がやっても同じ、自分の替えはいくらでもいるような仕事に携わり、自分の存在すら「替えは他にいくらでもある」と感じる。2人は「パリには何かある」と信じた。パリに行けば自分が「他の誰でもない何か」になれると信じた。その希望が果たして本当に希望なのか、幻想なのか。パリに行けばコーリングがあるのか?誰にも分からない。「自分の居場所が無い」「どこかに自分が本当の自分になれる場所があるはずだ」ともがく21世紀の我々の姿とぴったり重なりはしないか。

日本に住む我々にとって、コーリングの不在状況は深刻だ。事態はとてもややこしくねじれてしまっている。「自分の居場所が無い問題」を解決しようとすればするほど、我々の居場所が無くなっていく。

メディアから垂れ流しにされる「ナンバーワンよりオンリーワン」教、「かけがえの無い自分」原理主義とでも呼べるようなものに我々の生活が浸されてしまっているから。「自分探し」なんて言葉が空虚に回転する中で、「夢は叶う」「自分を信じて」「翼広げて」と馬鹿みたいなJ-POPの歌詞が繰り返される。極め付けは最近のスマホゲームのテレビCMだ。「さあ冒険へ旅立とう」「わくわくする時空へ」「まだ見たことの無い世界へ」等々。なんて自由で夢と希望に満ちた言葉なんだろう。それら全てが手のひらの上で数センチ四方の画面に集結し、それを社会全体が黙々と見守る姿はなんて滑稽なんだろう。少し前に日本に遊びに来たチリ人の友達は、東京で朝の出勤時間の電車に乗り、その光景に衝撃を受けていた。みんな死んだ目をして黙々とスマホをいじっている。全員がいっせいに、と。

日本はある意味とても「自由」な国であるはずだ。街を歩いていきなり空爆やテロに見舞われることがないのは当たり前として、生き方の選択肢がたくさんある。格差社会だなんだと批判があるけれど、欧米の「格差」に比べればかわいいレベルのもの。僕がアメリカで目撃した格差はすさまじかった。人種による「アパルトヘイト状態」の賃金格差や差別がバッキバキにまかり通り、日本のような社会保険制度を作ろうとしたオバマケアも今や消滅しようとしている。受けられる教育のレベル、医療の質、賃金、社会的ステータス、交流できる人間の範囲等々、深く分断された社会の「下のレベル」に入りこんだ人間に対する「生き方への制限」は、日本人の想像をはるかに超える。メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン。

日本人はどういう風に生きても「自由」だし、どこに住んでも「自由」、病気をしてもちゃんと病院に行けるし、教育だって学生本人のやる気次第で様々な選択肢が用意されている(もちろん、教育に金がかかることはどの国でも一緒。だから「安く教育が受けれられる」とは言ってない。やる気があれば選択肢が広がる、ということ)。日本に帰ってきて驚いたのは、そんなたくさんの選択肢がある社会に守られていながら、若い人たちがほとんど何の選択もしないまま、画一的な人生に「自分を信じて」「冒険の未来へ」「翼広げて旅立って」行くこと。東京のある大学で英語の授業を担当したとき、学生のほとんどが受講理由を「公務員試験を受けるのに役立つから」と言っていた。いや、別に公務員が悪いというわけではなくて。僕がサラリーマンを辞めてアメリカへ留学しようとした1996年は日本でインターネットが使えるようになった直後で、SNSやウィキペディアはおろかグーグルも存在していない時期だった。アメリカの大学院へ留学、しかも哲学科へ。どこをどうやって調べればいいのか、どう受験すればいいのか全く分からない。困り果てて都内にある日本で一番古い留学予備校に相談したら、「うちでは創設以来、哲学なんて学びに留学した人がいないのでデータがありません」と言われた。あの頃が今のように「何でもある」時代だったらどれほど楽に事が進んだろう、と思う。

「何でもある」のに「何もない」ような現象。「全てが存在」することが「何も存在しない」ことと奇妙に短絡し、「ある」ことが「無い」ことになる逆説。「自分の居場所はどこにでも作れる」という希望がそのまま「どこにも居場所がない」幻滅へと変換されるパラドクス。

「日本の若者が平和ボケした」なんて、今どきワイドショーのコメンテーターでも言わないような精神論を言っているわけではない。ここ大事。個人個人がもっと頑張れば、気合いを入れれば解決する、という「気持ち」の問題ではないのだ。もしそうだったら例の「日本を元気に」という、メディアから垂れ流しになる企業メッセージと企業努力ですぐにでも解決するはずだ。元気にすれば良いのだから。

 

問題は気持ちレベルではなく、構造的に入り組んでいるのである。ポイントは2つ。

まずひとつには、選択肢がたくさんありすぎるということ。たくさんあること自体はもちろん、素晴らしいことである。でも極端に多くの選択肢があると、選択に意味が無くなるという現象も起きるのだ。繰り返しになるが、たくさんありすぎてうんざりする、という「気持ちの問題」ではない。選択肢がいくらでも存在するということは、「何でも選択肢のひとつとして存在を認められる」と同義なり、自分の選択肢すら実は選べない事態に陥るのである。

先日、NHKが宮崎駿のドキュメンタリー番組を放送した。長編映画制作からの引退宣言をした宮崎監督がCG短編アニメの制作に取り組む姿、そしてまた長編作品を制作する可能性に含みをもたせた発言など、多くの人が注目する内容で話題になった。中でも特にネットを中心に話題になったのは、ドワンゴ川上会長との緊迫した場面だ。川上氏はAIによるアニメーション制作の実験映像を宮崎監督にプレゼンした。コンピューターに人間の体のデータを入れ、「最も速く歩く」という課題を与えてCG人間を歩かせる。画面に映し出されたのは仰向けになり、手足をくねらせ、頭を足のように地面にこすり付けて這うように歩く人間の姿。川上氏によれば、コンピューターは「痛み」の概念を入力されていないため、このような歩き方を考え出すという。例えばゾンビの動きにこれを応用できるかも、と。宮崎監督はその姿を身体に障害を負った知人と重ね合わせ、川上氏に激怒する。生命に対する侮辱を感じる、こんなものが自分の仕事につながるとは思えない、と。鋭い口調の監督。凍りつく一同。川上氏は「あくまで実験段階なので、これを世間に公表する意図はない」と弁解するも、監督の怒りは収まらなかった。

これほど的確に「全てが選択肢として認められる社会」のあり方を見せてくれた例も少ないだろう。僕は宮崎氏に共感して「川上氏の行為はモラルの欠如、人間性への冒涜だ!」と言いたいわけではないし、川上氏側に立って「あれはあれで実験段階をプレゼンしただけで、そこまで言われる筋合いはない」と言いたくもない。実際にネット上では、川上氏かと思われる人物によるこの件への反論めいた文章や(とはいえ、その確証はない)、それに乗っかるかたちで宮崎批判をする文章など、どこまでが本当でどこまでが憶測か判断できない「議論めいたもの」が存在した。しっかりとした双方の言い分が出揃っていないものに対して、ドキュメンタリー番組の一場面だけを取り上げてどちらの言い分が正しいか議論するのは危険だろう。僕が指摘したいのは、たとえ多くの視聴者が宮崎監督に共感して、川上氏の行為は人道的に見て反省すべきものだと思っても、「それはそれで、そういう立場の生き方だ」という主張が存在してしまう世界に我々は生きている、ということだ。

当日、その場には川上氏だけではなくゾンビ人間のCGを制作したと思われる人たちが数名いた。彼ら開発者たちはそのCGを制作する段階で監督が激怒する理由など想像もつかなかったのだろう(想像ついていたらプレゼンするわけはない)。ゾンビ人間のCGが身体に障害を持った人たちの冒涜につながると思わないコミュニティーが存在し、冒涜につながると思うコミュニティーが存在する。それらコミュニティーの大きさにどれだけの違いがあったにせよ、それはそれで「異なるコミュニティーではこのCG人間の動きをそれぞれ違って解釈する」という、解釈の問題へと変換されてしまう。ナイフとフォークで食事する人間の方が箸で食事する人間よりも数で上回っているからといって、箸を使うことが野蛮だと結論づけることが出来ないように。いわゆる「相対主義」というものが究極まで推し進められた段階。

そこまで「選択肢」の幅が広げられると、どうなるか。

「選択」自体が意味を持たなくなるのである。

これも前にどこかで書いたが、みんながそれぞれ自分の生き方を選択して丸く収まる社会とは、ピザのホールを均等に分けてそれぞれが自分の一切れを所有するようなものである。私のトッピングはチーズ多めのマルゲリータ、あなたはバーベキューチキンとオニオン、あっちの田中さんはジャーマンポテト。みんなそれぞれ自分が好きなスライスに満足すべきで、他人のスライスをとやかく言う権利はない。誰も田中さんのバーベキューチキンを「そんなマズいものよく食うなお前」と言う権利が無いということは、田中さんも、山崎さんの「味噌煮込みうどんトッピング・ピザ」にケチをつけてはいけないということだ。だとすると、川上氏が「このCG作品に問題はない」と主張したら、それはそういう生き方・個性であって、他人がとやかく言えるものではない、となる。それを「おかしい」「そんなもの主張でも価値観でもない」と言うのは、川上氏をピザから排除することになる。だから排除するのを諦めて川上ピザを認める、川上氏にピザの一切れを渡すとする。すると、宮崎監督の「それは生命に対する侮辱だ!」とする意見が、ある程度までは主張されるけど本気では主張できないことになる。つまり自分の価値観の中で「絶対に悪だ」と思うモノに対して、「それもひとつの主張として認めるよ」と言ってしまうと、そもそもの「絶対に悪だ」という主張が意味をなさなくなる。絶対ではなくなるから。2ちゃんねる黎明期に頻繁に使われた「オマエモナー」というフレーズがあったが、全てを主張として認める社会、全てを「選択肢」として許容してしまう社会というのは、あらゆる批判が自分にブーメンランとして返ってくる社会なのだ。だから何も言えない。何も選べない。

選択肢が消滅する理由のもうひとつは、自由な選択が「自由な選択でなければならない」という強迫観念に汚染されてしまっていること。誰からも命令されることもなく選択できるからこそ「自由」であるのはもちろんのこと、「自由」にはもうひとつ、別の次元で大事な側面がある。自由にしてもしなくても、どっちでも自由、というメタレベルの自由。

これから何を食べようか、というとき、牛丼でもパスタでもシーザーサラダでもチゲ鍋でもガーリックトーストでも、何でも選べる状態がまず最初の自由。誰から命令されるわけでもなく、ずらっと並べられた選択肢からひとつを選ぶことができるこの自由を「横方向の自由」と呼ぶとする。メタレベルの自由とは、その横方向の自由を楽しんでもいいし、誰かに決めてもらう方法をとってもいい、という自由。「ねえあなた、今日の晩ご飯何が食べたい?」と奥さんに聞かれて「うーん、そうだなあ。さっぱりしたもの、例えば刺身とかでもいいけど、俺は何でもいいよ。お前が決めても」と答えられる旦那さんは2種類の自由を謳歌している。横方向もあり、メタという「縦方向」の自由もある。奥さんが同じ質問をするときに、その質問が終わらないうちから読みかけの新聞をバッと投げ捨て「じゃ、き、きょ、今日はチャーハンで!」と何かに怯えるように大声で叫ぶ旦那さんは、「自由であることを強制されている」状態だ。横方向に自由を獲得しているように見えて、縦方向への逃げ場が無いことで逆に強烈な不自由を感じている。旦那さん、何かやらかしたんだろうか。想像するだけで
怖い。

僕の稚拙な例だけではなく、他の哲学者の声も聞いてみよう。このエッセイではおなじみの現代哲学者スラヴォイ・ジジェクによる、映画「サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)」(1965)のある場面の分析。

ジュリー・アンドリュース演じる修道女のマリアは、その自由奔放な性格とあふれんばかりの生命力で修道院の敬虔な信仰生活からはみ出してばかりいる。妻を亡くしたトラップ大佐の子供達の家庭教師をしたのをきっかけに、彼女は大佐に恋をしてしまう。修道女としてあるまじき事態に陥った彼女は悩み、修道院長に相談する。院長様、どうしたらいいでしょう。私はこのまま修道生活を続けるべきでしょうか、と。この映画はミュージカルなので、院長はそこでこの作品のテーマとなる「すべての山に登れ(Climb Every Mountain)」を歌い出す。こんな歌詞。

Climb every mountain すべての山に登れ
Search high and low 高きも低きも探し
Follow every byway すべての脇道をも辿り
Every path you know すべての道を進め

Climb every mountain すべての山に登れ
Ford every stream すべての川を渡り
Follow every rainbow すべての虹を追え
‘Till you find your dream 夢を見つけるまで

ジジェクは言う。これはカソリック教会による周到な、そしてとても卑猥な戦略である、と。表向きに見ればこれは、とても「理解のある」修道院長がマリアに「自由な」人生の選択を許した場面、カソリックの厳格な戒律に縛られた生活からマリアを解放した場面だ。でもここに隠れたメッセージが存在する。そもそも修道女が禁じられている「男性との恋愛」とは何か?プラトニックな恋する想い?そんなわけはないだろう。だったら心の中で愛する男性を想い続け、修道生活を送ればいい。はっきりいって、貞操を破ることだ。セックスをしてはいけない、ということ。それを踏まえて上の場面を思い出すと、何が浮かび上がるか?

「院長様、私はどうしたらいいのでしょう?」
「すべての山を登りなさい」

「山」って何だろう?もうお分りだろうか。これは、神が性的欲望のままに生きることを禁止するのではなく、逆にそう生きるよう命令する場面なのである(とジジェクは分析する)。欲望・衝動・欲情、何と呼ぼうとかまわないが、理性でもって抑えつけるべきマグマのようなものに対して、理性の側にいるはずの最も強烈な権威がGOサインを出すのだ。それまで絶対的な「ダメ!」の声で人間存在を「外から」抑圧してきた存在が、人間の最も動物的な「中の」領域に入り込み、そこでGOサインを出したらどうなるか。

欲望が欲望でなくなるのである。「欲望」の中に「強制」が溶け込むから。自分はそんなに「欲」を持つことができない。そこまで非理性的に動物化することは出来ない、と心が疲弊する。なんてったってGOサインを出しているのは神なのだから。しかもそれは既に自分のもっとも内的な「感情」と、もはや識別できないレベルで一体化してしまっている。神レベルの欲望が「自由に!」と叫ぶ。自分は「自由に」行動したい。でも、出来ない。自分が自分の感情に追いつかない。追いつかない自分の姿に、誰を恨むこともできない。ジジェクによれば、共産体制下のポーランドでは公開当時、この修道院長の歌う場面は検閲で丸ごとカットされた。隠れたメッセージの威力に気づいたからだ。

この分析をふまえて日本のメディアで繰り返される「自由に生きようよ」メッセージを見ると、あらゆる企業がこぞって「隠れた神」を立ち上がらせているように見える。誰にも邪魔されず自由に生き「なければならない」、翼を広げ「なければならない」、見たこともない冒険へ旅立た「なければならない」、癒しを求め「なければならない」、こんな時代だからゆるーく行か「なければならない」、メディアのメッセージなんて無視し「なければならない」。表立ったメッセージは、もちろん存在しない。メッセージ(強制)なんて存在しないんだよ、というメッセージの繰り返しがさらに強烈なメッセージとなる逆説。

逃げ道はひとつ。自分で自分を裏切ること。自分の本心に対して、距離を置くこと。嘘をつくこと。俺ってこういう風に思うんだけど、実際のところそう思ってるわけじゃないんじゃね? ていうか本心なんてどうでもよくね?

コーリングが「自分はこれでいい」と言い切る姿だとすれば、この「どうでもよくね?」という自分への諦めは、とてつもなく遠いところにあると言えないか。

でも、である。ここでさらにもう一段階、考えを進めてみたらどうだろう。「自分はこれでいい」という達観と、「なんかもう、どうでもよくね?」という諦観は、それほど遠いものだろうか? それらが奇跡的につながる可能性は無いだろうか?

ミロス・フォアマン監督の「アマデウス(Amadeus)」(1984)はモーツァルトの生涯を描いた映画だが、これは2人のコーリングが見つけられない男の物語としても理解できる。

オーストリア宮廷作曲家のサリエリは、自分がどう努力しても天才モーツァルトの「神から与えられた」才能にはるかに及ばないことに嫉妬し、モーツァルトの存在を「神の自分に対する裏切り」と信じこむ。裏切られた神への復讐として、彼はモーツァルト殺害を企てる。一方でモーツァルトは、彼が音楽家として成功することを夢見る父親への期待に応えれられない自分に焦り、父の影に怯える。それを利用したサリエリの策略により、モーツァルトはいとも簡単に最悪の事態へと追い込まれていく。神という父に見放されたサリエリと、父親の期待を裏切ることでしか生きられないモーツァルト。2人は「父と子の断絶」を映し出す2枚の鏡のように向き合う。父(答え)から断絶するということは、コーリングから切り離されるということだ。自分はこう生きる、これで正解だ、と言い切れない。糸の切れた凧のような状態。

そんな2人が最終的に向き合う場面が映画のクライマックスだ。サリエリの陰謀により不眠状態で作曲活動をさせられたモーツァルトは、もはや瀕死の状態。ベッドに横たわり顔面は蒼白。そこへサリエリがさらに追い打ちをかける。いま作曲中の作品を朝までに仕上げるようにモーツァルトを追い込む。もうベッドから起き上がることの出来ないモーツァルトは、サリエリに口述で旋律を伝え、楽譜に書きとらせる。揺らめくランプの薄灯りの元、2人の共同作業によって曲が仕上がっていく。最初は弦のパート、そして低音の弦のパート、それから金管楽器、と瀕死のモーツァルトがそれぞれ口述する旋律がパズルのように合わさり、音楽史に残る名曲が次第に浮かび上がる。曲は未完のまま、ついにモーツァルトは息絶える。残ったその曲は未完の鎮魂歌(レクイエム ニ短調)だった。

この場面にあるようなことはもちろん史実には無く、フィクションである。でも特記すべきなのは、サリエリによる冷血で非道な殺人計画の実行場面でありながら、そして死の淵に立つモーツァルトの苦悩を描きながら、それと裏腹に旋律の一つ一つから魂を鷲掴みにする曲が浮かび上がってくるスリリングな展開だ。何か「超越したもの」が生み出される瞬間に立ち会う興奮に観客は引き込まれる。「神に見放されて人生なんて最悪だ」と思っている男が、「父に見放されて人生なんて最悪だ」と思っている男を殺しているのに、そんな次元をはるかに超えて、2人のモラトリアム男を嘲笑するかのごとく、新しい価値が生み出されていく。悲惨なのに感動的なのである。

ここでひとつの仮説を作ることができないだろうか。「正解なんて得られないから、もうどうだっていい」という地点から、「だからこそ、自分はそれでいい」というコーリングの地点まで、新しい価値の地点まで、実はあと一歩なのかもしれない、と。

もちろん、サリエリとモーツァルトの場面はそんな一歩が存在することの証拠でも何でもない。こじつけと言われれば、それまでだ。悲惨な場面は多くの場合、ただ悲惨なだけである。けれども、新しい価値が生まれる瞬間、行き詰まりを突破して何かしらの超越が生まれる瞬間というのは、概してひどく悲惨な経験の真っ只中ではないだろうか。我々はそれを感覚的に掴んでいるからこそ、上の場面に感動をおぼえるのではないか。

最低で最悪で出口無しの状態から、出口が無くてもいいと思える段階までのシフト。コーリングが無い、「ぴたっとハマる何かが探し出せない」という迷いから、「ぴたっとハマるものなんて無くても良い」という納得までのシフト。いっぺん回ってそのシフトが可能だとしたら? コーリングの意味を「コーリングが無くても、それで良しとする生き方」という逆説的に書き換えることは出来ないだろうか。そもそも最初から「何かを見つけた奴」なんていなかったんじゃね?と。

コーリングを見つけた人間をうらやましく思う気持ち、それから決別することが出来るなら、そこで聴こえるレクイエムは何かの始まりを暗示するのかもしれない。

葛生賢治(くずう けんじ)
1970年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒用後、サラリーマン生活を経て渡米。2000年ボストンカレッジ大学院哲学科修士課程終了。2007年ニュースクール大学院哲学科博士課程終了。ニューヨーク市立大学哲学科非常勤講師を経て、現在東京にて執筆活動中。フリーウェブ雑誌「OUR」チーフエディター。専門はアメリカンプラグマティズム。博士論文の表題は「ジョン・デューイ哲学における宗教性」。趣味は駄洒落づくり。代表作は「オジー・オズボーンの叔父におスボーン履かせてちょうだい」。