ファッションから見た映画と社会
連載第6回 オードリーとその恋人たち~その6~助川幸逸郎

○オードリーが「時代」とすれちがうとき

1967年、オードリーは、スタンリー・ドーネン監督の『いつも2人で』に主演します。

彼女がドーネンの演出を受けるのはこれが3回目。前の2作は、『パリの恋人』と『シャレード』です。いずれも、「父親のように齢上の男性と、オードリーが恋に落ちる話」でした(『パリの恋人』で相手役だったフレッド・アステアは、オードリーより30歳年長。『シャレード』で共演したのは、「齢の差25年」のケリー・グラント)。

「大人のファンタジー」だったそれらと、『いつも2人で』はおもむきがちがいます。この作品でオードリーにゆだねられたのは、「夫婦生活の危機に直面する中年女性」の役。そのころオードリーは、メル・ファーラーとの結婚生活に終止符を打つ直前でした。「生身のじぶん」にちかい、リアルな人物にキャスティングされたわけです。

ドーネン監督は、オードリーの衣装にも「現実味」をもとめました。

「合唱団の少女」が、「成功した建築家」の妻として30代に至る。そのプロセスを、ここでオードリーは演じています。オードリーとその夫――はじめのうちはボーイフレンド――が乗るクルマも、映画の進行とともにバージョンアップしていく。それでも、作中で「オードリー夫妻」が最後に乗るのはメルセデス・ベンツです。

スクリーン上でも私生活でも、オードリーは、ジバンシーのオートクチュールを愛用していました。それらでタンスをいっぱいにするには、「ベンツを買える財力」では足りない。ベンツより格段に高価な、ベントレーに乗るぐらいの「裕福さ」が必要になります(『いつも2人で』にも、「オードリーの夫に仕事を発注する大富豪」の愛車としてベントレーが登場)。40歳前の「堅気の建築家」を大黒柱とする家族に、そこまでのゆとりは普通ありません。まして、「建築家志望の青年とつきあっている女子学生」が、オートクチュールを着るのは不自然。ドーネン監督は、オードリーに「ジバンシー禁止令」を下します。

映画初主演作の『ローマの休日』で、契約条件に「衣装に意見がいえること」を入れさせた。オードリーはそれほどに、着るものにこだわりのある人でした。『いつも2人で』にふさわしいワードローブを、彼女は厳密にえらびぬきます。その中核となったのは、マリー・クワント、ミシェル・ロジエ、パコ・ラバンヌといった、当時の新興デザイナーが手がけた既製服です。

マリー・クワントは、ミニスカートやホットパンツを普及させた「張本人」。ミシェル・ロジエは、人工素材の活用を得意とするデザイナーです。パコ・ラバンヌは、宇宙服をモティーフにした「コスモルック」で知られています。

1950年代なかばから、若者をにない手とするあたらしい文化の台頭があった。そのことは、この連載の初回にのべたとおりです。この流れに、ハリウッド女優のなかでただひとり対応できた。オードリーが「希代のスター」となった大きな要因はそこにあります。

「既存の価値とはべつの何かをもとめる動き」は、60年代になっていっそうさかんになりました。ただし、1964年あたりから、あらたなファクターがそこにくわわります。

「人工性礼賛」――この風潮は急速にひろがり、60年代後半の文化を支配しました。

1960年代は、「人間が開発したもの」によって、先進国の住民の生活に変革がもたらされた時節です。たとえば、化学繊維の種類が豊富になり、機能が向上した。それにともない、「人工素材」をもちいた衣料が劇的にひろまります。

「子どものころ、スキーのアンダウエアは、濡れるとすぐグシャグシャになる木綿のメリヤスだった。それが高校生のとき、汗をかいてもベトつかないポリエステル製になって嬉しかった。」

60年代に青春を送った知人――大学に入って上京するまで雪国で育った――の証言です。

冷凍食品の消費量が大きく伸びたのもこのころでした。60年代に入ると、女性や有色人種といった「マイノリティ」を開放する動きが活発になり、「定職をもつ女性」が急増します。家事の「時短」が社会的にもとめられ、冷凍食品の需要は「右肩あがり」になりました。

また、健康のためにカロリーや栄養素をコントロールする志向も、60年代にめばえたものです。冷凍食品は、成分がさいしょからわかっているため、この流れに掉さす人びとからも歓迎されました。

さらに、この時代を特徴づける出来事として、アメリカとソ連による宇宙開発競争の過熱は見落とせません。1969年には、アポロ11号のクルーが人類初の月面着陸を達成。

「進歩した科学技術の力で、人類はあたらしいフロンティアをどこまでも開拓できる」

そういう意識が世界中に行きわたりました。

「ありのまま」より「人間が作為をくわえたもの」のほうに価値がある。こうした「時代の思潮」は、ファッションにも影響をおよぼします。

60年代後期を代表する「アイコン」として、ツィギーを思いうかべるひとは多いでしょう。「長いまつ毛」をはじめとする濃いメイク。不自然なほど細いからだつき。彼女は「人造人間のように見える」といって称賛されました。

オードリーが『いつも2人で』で身につけた衣装にも、「人工性をおもんじる傾き」に根ざしたものばかりです。

男性は、長髪にしてカラフルな服を着る。女性は、太ももが見えるぐらい丈のみじかいボトムを身につける。それぞれの性が、「タブー」とされてきた装いをすることで、「持って生まれた性別」を人為的に乗りこえる――60年代後半には、そういうトレンドが存在していました。そこに立脚してブームを呼んだのが、マリー・クワントのミニスカートやホットパンツです。

ミシェル・ロジエは、「化繊づかい」で一世を風靡したデザイナー。彼が手がけた「ビニル素材のスーツ」を、『いつも2人で』のなかでオードリーは着用しています。

パコ・ラバンヌの「コスモルック」は、宇宙開発競争を背景として生みだされました。『いつも2人で』のラストシーンで、オードリーは「銀色のプレートをつなぎあわせたドレス」を着ています。この服は、「コスモルック」を代表する一着です。

こうした「1967年当時の最先端アイテム」は、正直、オードリーに似あっていません。

自然とにじみ出る「育ちのよさ」と「ファッションセンス」――それらを武器にしてオードリーは、サブリナパンツもジバンシーも着こなしてきました。しかし、その種の「ほのかにただよう魅力」を、「人工」志向の服によって引きだすのはむずかしい。流行を意識した「濃厚メイク」も、オードリーの「素材のすばらしさ」を消す方向にはたらいています。

興味ぶかいことに、映画のクオリティを高めるうえでは、オードリーの服やメイクはマイナスになっていません。

「夫婦の関係が思わぬ方向にそれていって当惑している」

そういう「役の心境」をあらわすのに、オードリーの「似あっていない装い」は効果的なのです。

『いつも2人で』の撮影中、それまでになくオードリーは生き生きとしていたといいます。この映画での演技をみると、その話も納得できる。他の作品に出ているときにはない「迫真の存在感」を、ここでの彼女はみなぎらせています。

すでに触れたとおり、当時のオードリーは最初の結婚にピリオドを打とうとしていました。私生活においてあたえられた「怒り」や「悲しみ」を、虚構世界で爆発させる――そんな「役者の特権」を、このとき彼女は行使していたのです。

『いつも2人で』のオードリーは、「リアルな衣装」を追いもとめました。結果、「時代の流行」と「彼女の魅力」のあいだの「ずれ」が露わになった。その様子はフィルムに定着され、「演技者」としての彼女は、「生涯一度の成果」を得ました。

「かっこよく見える服」と「場にふさわしい服」はちがう――『いつも2人で』を見ると、私はそのことについていつもかんがえさせられます。

助川 幸逸郎(すけがわ こういちろう
日本文学研究者・著述家。1967年生まれ。横浜市立大学・東海大学などで講師をつとめる。
主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)・『光源氏になってはいけない』(プレジデント社)・『謎の村上春樹』(プレジデント社)・『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)などがある。