ファッションから見た映画と社会
連載第7回 ジェイムズ・ボンドはなぜ「男の永遠のあこがれ」なのか その1助川幸逸郎

〇ショーン・コネリーでもダニエル・クレイグでもなく「ジェイムズ・ボンド」

映画の007シリーズが始まってすでに半世紀。「ジェイムズ・ボンド」は、世界中の男性にとって、いまだに「自分のなりたい理想」です。

私の知りあいに、ボンドマニアの大学教授がいます。彼は、身長一八二センチで体重七六キロ。原作小説に記されているジェイムズ・ボンドとまったくおなじサイズです(これは、原作小説を書いたイアン・フレミングのスペックだとか)。彼はそのことを誇りにしていて、ウェイト過剰になると筋トレに励み、七六キロに戻します。

ボンドが名前を訊かれ

「Bond, James Bond」

と独特の口調で答える――007映画に、かならず一度は出てくる場面です。ボンドマニアの教授は、このシーンが大好きで、自宅でDVDを観ながら何度も「ボンドの口まね」をしていました。

そして彼は、学会でロンドンに出張しました。現地に到着し、ホテルのレセプションにむかう。フロント係が「What is your name?」と訊ねる。

教授はそこで反射的に、「Bond, James Bond」と応じてしまったのだそうです。ロンドンのホテルマンは、こういう反応に慣れているらしく、眉ひとつ動かさなかったようですが。

他にこんな話もあります。

青山に、私がときどきスーツをつくってもらう老舗のテーラーがあります。その店が、ショーン・コネリー時代のボンドが身につけているガン・フォルスターのレプリカをつくった。このレプリカは、数十組つくられたらしいのですが、たちまち完売したと聞きました

ガン・フォルスターをつかう機会など、ふつうの民間人にあるわけがありません。「ボンドとおなじ」というだけで、そんな「実用性ゼロ」のモノに数万円を払う男性がたくさんいた。冷静に考えれば、「大人のくせに馬鹿ではないか? 」という気もします。

幼児が、仮面ライダーや戦隊ヒーローの変身道具のおもちゃを身につける。それとまったくおなじノリで、「ジェイムズ・ボンド」になりきる「地位もお金もあるオッサン」がゴマンといる。これは、おどろくべき事実です。

ケリー・グラント、スティーブ・マックイーン、マルチェロ・マストロヤンニ。「実在の映画スター」のなかにも、現代の男性から「ライフスタイルのお手本」として仰ぎ見られる存在はいます。けれども彼らの影響力は、「ジェイムズ・ボンド」のようにわかりやすく強烈ではない。

たとえば、スティーブ・マックイーンは、いつもデザートブーツを履いていました。デニムを履くときも、タキシードを着る折も、足元はデザートブーツだったといわれます。

それでは、デザートブーツに足を突っこむだけで、

「今日のオイラはマックイーン」

という気分になれるでしょうか。そう思いこもうとしても、気恥ずかしさが先に立つはずです。

マックイーンは実際にこの世に生きていました。彼にあこがれておなじアイテムを身に着けても、「自分自身とマックイーンのギャップ」を意識しないわけにはいきません。これに対し、「ジェイムズ・ボンド」は架空の「キャラ」です。ボンドになりきるときには、「現実の自分」との落差を気にせずに済む(*)。

だからこそ現代男性が、「自分のなりたい理想」として、屈託なく頭にうかべるのは「ジェイムズ・ボンド」。ショーン・コネリーもダニエル・クレイグもその代わりにはなれないのです。

 

*アニメやゲームの研究では、「キャラ」と「キャラクター」を対比的にとらえます。「キャラ」は。

「数すくない強烈な特徴によって定義されるため、こまかい属性がいくらでも入れかえ可能になっている存在」

いっぽう「キャラクター」は、

「こまごまとしたリアリティが付与されていて、いかにも実際にいそうな存在」

を指します。

おなじ「虚構内人物」でも、「ドラえもん」は「キャラ」。夏目漱石の『こころ』の「先生」は「キャラクター」です。

ある小説のなかに、ドラえもんが

「アインシュタインの助手をつとめる天才科学者」

として登場したとする。読者はいちおう、それを「ドラえもん」としてうけいれるでしょう。しかし、

「女好きで、いつも夜遊びをしている「先生」」

はどうか。『こころ』の「先生」と「おなじ」とはだれも感じないはずです。

この区別にしたがうなら、ボンドは「キャラ」であり、マックイーンは「キャラクター」ということになります(実在の「有名人」と、「リアリティのある虚構内人物」は、「だれもが知っている現実味のある存在」という点で近い)。

だから、ガン・フォルスターをしただけでオジサンたちはボンドになりきれる。反対に、デザートブーツを履いたからといって、すぐさま「オイラはマックイーン」という気分はしてこないのです。

 

〇映画の「ジェイムズ・ボンド」は原作とはちがう

では、「ジェイムズ・ボンド」とは、いったいどういう「キャラ」なのでしょう。世界中の男性から「こうなりたい」と思われる「魅惑の源泉」は何なのでしょうか。

原作のジェイムズ・ボンドは、著者であるイアン・フレミングをモデルにしています。ボンドの身長・体重が、フレミングとおなじというのは先にのべたとおり。名門パブリックスクールを中退したあと海軍入りし、諜報活動にたずさわる。このボンドの経歴も、フレミングと重なります。

スクリーン上のボンドは、原作の設定を一部では踏まえつつ、独自に造型された存在です。

たとえば靴。

『女王陛下の007』の小説版には、「ボンドは靴紐を憎んでいた」という文言があります。原作のボンドは、「スリップオンばかり履いている」という設定なのです(これは、イアン・フレミングの好みを反映しています)。

いっぽう、コネリー演じる初代ジェイムズ・ボンドが好んで身につけるのは「外羽根式のプレーントゥ」。以後、このかたちの靴が、「映画版ボンドの靴」として定着していきます。

「紐靴」というのはもともと、「家の外で仕事をするときに履くもの」でした。これに対し「紐なし靴」は、「室内履き」を起源とします。

馬に乗ったり、野山をかけまわったりするときにはつかわない。脱げる心配がいらないから紐で締めあげる必要もない――それが「紐なし靴」本来の姿です。

タキシードや燕尾服に最適とされるオペラパンプスにも紐はありません。フォーマルな催しは、基本、室内で行われますし、礼服を着てやる「運動」といったら、ダンスぐらいだからです。

原作のボンドのような「紐靴を憎む」男には、屋外で動きまわる機会のすくない「洒脱な遊び人」のイメージがあります。

これに対し「外羽根式プレーントゥ」は、「紐靴」のなかでもいちばん汎用性の高いモデル。デニムの足元からビジネススーツ、場合によってはタキシードまで、このタイプの靴は幅広くあわせられます。このため、

「スペアの靴を持っていけない旅には、外羽根式のプレーントゥで行け」

としばしばいわれる。世界中を飛びまわり、あらゆる状況に

対応する諜報部員――そういう人物が履くのにふさわしいのが、映画版ボンドの靴なのです。

 

〇「ワイルドなコネリー」を「粋人監督」が鍛え、「映画のボンド」が生まれた

映画版ボンドには、原作にない独自の個性がある。それを定着させるのに貢献したのは、なんといってもショーン・コネリーの「ワイルドな魅力」です。そのコネリーの「野性味」に、映画版第一作の監督テレンス・ヤングが「洗練」をつけくわえました。

コネリーは一九三〇年、スコットランドの労働者階級の家に生まれています。義務教育を終えると牛乳配達夫となり、その後、何度か職を変えながらボディビルに打ちこみました。一九五三年に、ミスターユニバースの重量挙げ部門で三位入賞。以後、テレビドラマや舞台などにも出演をはじめます。

コネリーの履歴は、完全な「ガテン系」のそれです。ボンドにキャスティングされるまで、スーツなど着たこともなく、「美食」とも無縁に暮らしていました。

原作者のフレミングは、衣食住に贅を尽くす人物で、生まれも名門。コネリーが、みずからの分身であるボンドを演じると聞き、最初は大反対したといいます。

「コネリーみたいな野卑な男が、〈俺〉を演じられるわけがない」

フレミングはそう考えたようです。

原作ボンドとコネリーの大きすぎる「ギャップ」――それは、映画版ボンドを最初に演出することになった、テレンス・ヤングから見ても「リスク要因」でした。

ヤングは、フレミングに上をいく「粋人」です。

「テレンス・ヤングこそボンドそのものだった」

そういう証言も、しばしば耳にします。

「野人コネリー」に「粋なふるまい」を教える。そのためにヤングは、常人には思いつかない方法を考案しました。

自分が使っているテーラーをコネリーに紹介。その店でコネリー用に仕立てたスーツができあがると、「これを着たまま夜、寝るように。」とコネリーに命じたのです。

かつての英国貴族は、自分と体型の似た使用人をかならずやとっていたといわれます。おろしたての、いかにも新品という服を着るのは、かの国の上流階級の伝統に照らすなら「無粋」の極み。あたらしい上着やズボンができあがると、「こなれた感じ」が出るまで、「体型が近い使用人」に着させておいたのだとか。

コネリーを、スーツ着用のまま眠らせる。これには、「一石三鳥」の効果が期待できます。

 

【1】新調されたばかりのスーツを、撮影開始までに「なじんだ服」に見えるぐらい、適度にくたびれさせることができる(銀幕に登場する「ボンド」の服を、英国貴族の美学にかなったものにすることができる)。

【2】「スーツはそれなりにヨレていなくてはかっこわるい」という「常識」を、「スーツ初心者」のコネリーに教えることができる。

【3】スーツなれしていないコネリーを、構えずにスーツを着られるよう仕むけることができる。

 

こうしたヤングの「英国紳士養成教育」は、いちじるしい効果を発揮しました。コネリーは、持ち前の「野性味」に加え、「スマートさ」を漂わせるようになったのです。かくして、「力づよさ」と「クレイバーさ」が、コネリーの演じるボンドに融合された。その結果生まれたのが、

「手段を択ばず、ミッションを成しとげる非情なエリートスパイ」

という、映画版ならではのボンド像です。

コネリーに「外羽根式のプレーントゥ」を最初にすすめたのは、ヤングだと推測されています。ヤングとコネリーがつくりあげた「ミッションの鬼」としての「ジェイムズ・ボンド」。そういうスパイには、たしかに「紐なし靴」よりも「外羽根式のプレーントゥ」が似あいます。(この項、つづく)

助川 幸逸郎(すけがわ こういちろう
1967年生まれ。東海大学文化社会学部文芸創作学科教授・岐阜女子大学非常勤講師。おもな著書に『文学理論の冒険』・『光源氏になってはいけない』・『謎の村上春樹』・『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』・『教養としての芥川賞』(共著)・『文学授業のカンドコロ』(共著)などがある。