ファッションから見た映画と社会
連載第8回 ジェイムズ・ボンドはなぜ「男の永遠のあこがれ」なのか? その2助川幸逸郎

〇最強の「なりきりアイテム」・ボンドスーツ

ショーン・コネリーがボンドに扮していたときのガンフォルスターやアタッシュケース。それらのレプリカを、「いい齢をしたおじさん」があらそうように買った話は、前回書きました。
「コネリー=ボンドになるきるためのアイテム」は、それだけではありません。高価なところでは、『ゴールドフィンガー』や『サンダーボール作戦』でコネリーが駆ったアストンマーティンDB5の改造車(映画で使用された実車は2010年、290万ポンドでアメリカの富豪に落札され話題になりました)。手のとどきやすいところでは、シリーズを通して「ボンドの銃」でありつづけているワルサーPPKのモデルガン。
こうした「コネリー=ボンドなりきりアイテム」のなかでもっともポピュラーといえるのが、「ボンドスーツ」です。
コネリー以外のボンド俳優は、TPOに応じてさまざまなスタイルのスーツを着用します。これに対しコネリー=ボンドは、いつもおなじカタチの服を身にまとう。肩幅がひろく、胸まわりにもゆとりのあるシングル二つボタンの上着。パンツにベルト・ループはなく、両脇にボタン式のアジャスターがつく――スーツだけでなく、タキシードもジャケパンルックも、この上着にこのパンツの組みあわせです。
ボンドという「キャラ」のアイコンのように、コネリー=ボンドは、ひとつの型のスーツだけを着つづけました。結果、「ボンドのスーツ」といえば、コネリー=ボンドが着ていたそれである、という「常識」が世界的に定着します。
英国にもアメリカにも日本にも、ボンドスーツを着て「なりきり感」を味わおうとする「007マニア」は後を絶ちません。かくいう私のクローゼットにも、ボンドスーツが一着ぶらさがっています。

 

〇ボンドスーツは『ローマの休日』の「弟」

コネリー=ボンドの服は、アンソニー・シンクレアというテーラーが手がけていました。シンクレアは、007映画第一作を監督したテレンス・ヤング御用達の仕立師です。
ロンドンの高級紳士服店は、よく知られているとおり、サヴィルロウと呼ばれる通りにあつまっています。アンソニー・シンクレアが開業していたのは、このサヴィルロウではありません。サヴィルロウと直交するコンデュイット通り。シンクレアは、そこにアトリエをかまえていました。
彼がコネリーのためにつくったスーツも、正統的な英国調とは趣を異にします。着るひとのからだにタイトに添わせるのが、英国式フィティングの基本。これに対し、たとえばイタリアでは、要所をからだに合わせつつ、ゆとりを持たせた仕立てが好まれる。
肩や胸まわりを大きめにとるボンドスーツには、「イタリアの流儀」の影響がみとめられます。
島国英国のテーラーが、イタリアのテイストをとりいれてつくったスーツ――「コンチネンタルスタイル」と呼ばれるこの種の服が、1960年代はじめのロンドンでは「ホット」でした。これは、現代史の大きなうねりの余波として生まれた流行です。
第二次大戦における敗北によって、イタリアは大きな打撃をうけました。そこから立ちなおる策のひとつとして、観光客の誘致がおこなわれます。
たとえば、オードリー・ヘップバーンを主演に迎え、1953年に製作された『ローマの休日』。この作品は、ローマ市当局の全面的なバックアップのもとに撮影されています。
映画は大ヒット。オードリーがめぐった「聖地」をこの目で見ようと、世界中から観光客がローマに押しよせました。その余慶は、ローマ市民を存分にうるおしたのです。
イタリア政府のこうした肝煎りによって、1950年代には、たくさんのロンドンっ子が彼の地をおとずれました。そのなかの「服好き男子」たちが、「英国では見かけないスタイルのスーツ」に目をとめます。
現在でもイタリアのテーラーは、料金設定が英国の相場よりリーズナブルです。さらに、敗戦の傷の癒えないこの時期、イタリアのリラは、ポンドにくらべて「弱い通貨」でした。
破格の安値で、「英国ではつくれないタイプのスーツ」が手にはいる――ロンドンの洒落モノたちは、競うようにイタリアでスーツをつくります。彼らはやがて、ロンドンの仕立屋でも、イタリア服の特徴をとりいれたオーダーをするようになる。こうして1950年代末に、「コンチネンタルスタイル」は確立されました(*1)。
ボンドスーツは、生まれてまもない「コンチネンタルスタイル」を取りいれています。当時のアンソニー・シンクレアは、「粋人があつまる新興テーラー」。その服づくりの精神は、サヴィルロウの「歴史ある名門」とは一線を画していました。伝統的な英国調にとらわれず、「いま、求められるもの」を追いかける――そんな意気ごみが、ボンドスーツのあのカタチにはこめられています。

*1 「コンチネンタルスタイル」ということばは、いくつかの意味でもちいられます。
①英国調やアメリカントラッドの服に対して、たんに「ヨーロッパ大陸風のスタイル」をあらわす。この場合、さらに国別に特徴を細分化し、「ジャーマン・コンチネンタルスタイル」などの言いまわしがつかわれることもある。
②1950年代後半から60年代にかけてロンドンを中心に流行したスーツのスタイル。1950年代なかばにローマで着られていた服が元型になっている。このスタイルは、「イタリアン・コンチネンタルスーツ」といわれることもある。
③『ローマの休日』のグレゴリー・ペックのスーツに魅せられて、アメリカ人が着るようになったイタリア風の服。「アメリカン・コンチネンタル」とも称される。

ここでは、②の意味で「コンチネンタルスタイル」ということばをつかっています。ちなみに、②の原型になった「ローマで着られていた服」の代表はブリオーニ。③の流行のきっかけとなった「グレゴリー・ペックの服」もブリオーニのスーツです。
②と③は、こまかい仕様はちがうのですが、起源は共通しているのが興味ぶかいところ。
ブリオーニといえば、ピアーズ・ブロズナン時代のボンドは、一貫してここのスーツを身に着けていました。ブロズナン=ボンドは、「原点」のそのまた先に回帰していたわけです。

 

〇ボンドスーツはコネリーにしか似あわない?

ボンドスーツは、「実用性」の観点からも「スパイの服」にふさわしいといえます。要所のみをからだにあわせ、ゆとりを多めにとった上着は、銃を隠しもつにはうってつけです。
しかし。
ボンドスーツは、実は着るひとを選ぶ服です。
イタリアの服は、英国スーツより生地が柔らかめ。芯地もカチカチになるほど入れません(場合によっては、芯地をまったくつかわないこともある)。
こうした服は、「ゆとり多め」でも万人のからだに寄り添います。「あまった部分」が膨らまず、悪目立ちしないからです。
これに対しボンドスーツは、英国製のヘヴィな生地をつかい、芯地もしっかりしたものをもちいている。ゆったり大きめにつくってあることが、傍から見ていてすぐわかります。それゆえ、「着ているひとが、オーバーサイズの服のなかで泳いでいる印象」をもたらすこともしばしばです(*2)。
コネリーのように胸板が厚く、肩幅も広い。そういうひとならば、ボンドスーツを身にまとっても、貧相には見えません。むしろ当人の「マッチョなからだつき」を強調した感じになり、「ワイルドな男臭さ」がかもし出される(*3)。
けれども標準的な日本人は、体格ではコネリーにかないません。胸まわりが未発達で、骨格もきゃしゃで――そんな「一般的日本男児」がボンドスーツを着用すると、巨大なコロモのなかに、貧相な身が包まれている格好になる。「そば屋のエビ天」状態です。こうなると、「着ているひとの弱々しさ」ばかりが目に立ちます。
「ボンドスーツは、みなさん着たがりますが、似あっている方はまれですね」
私がボンドスーツをつくった店の販売員が、そうつぶやくのを耳にしたことがあります。
かくいう私も、一着は無理矢理仕立ててもらったものの、それ以上のオーダーには応じてもらえません。
「スケガワさんには、もっとぴったりのスタイルがあるから」
そういわれて、いつもほかのデザインをすすめられてしまいます。
ボンドスーツを着ることで、だれもが「ボンドになったつもり」になれる。にもかかわらず、ボンドスーツを着てボンドになれるのは、ショーン・コネリーただひとりなのです。

*2 ネットで検索をかけると、「コンチネンタルスーツの上着はタイト」という記述にひんぱんに出会います。
しかし、実物を見ると、その仕立てはあきらかに「ゆったりめ」。ブログなどに書かれたコンチネンタルスーツのついての記述は、どれも言いまわしそのものまでそっくりです。これは、おなじネタ元からの引用がくり返されていることを意味します。だれかがコンチネンタルスーツの上着についてまちがったことを書いた。その記述はそれなりに権威ある媒体に載せられていたため、検証されないまま何回も引用された――そのようにして、コンチネンタルスーツの上着はタイト、という説がひろまったと、私は解釈しています。

*3 肩幅をひろくとり、胸の厚みを目立たせると強そうに見える――これは、古今東西を問わない服飾上の大原則です。裃をまとった武士、アニメに出てくるロボット。いずれも、戦闘能力を誇示するために胸や肩を強調しています。1940年代の欧米では、メンズもレディスも、肩パットの入った大きめの服が流行りました。第二次大戦の影響で、「強く見えること」が男女を問わずもとめられていたからです。

助川 幸逸郎(すけがわ こういちろう
1967年生まれ。東海大学文化社会学部文芸創作学科教授・岐阜女子大学非常勤講師。おもな著書に『文学理論の冒険』・『光源氏になってはいけない』・『謎の村上春樹』・『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』・『教養としての芥川賞』(共著)・『文学授業のカンドコロ』(共著)などがある。