娯楽と中国文化―白話小説のキャラクターたち―第9回 戦うヒロインのその後―十三妹(シーサンメイ)『児女英雄伝』(八)石井宏明

前回は人間の家族関係に例え、『水滸伝』が曽祖父とするならば、『児女英雄伝』はひ孫にあたると言え、曽祖父の『水滸伝』は唐話学習のテキストとして使われたのと同様に、そのひ孫にあたる『児女英雄伝』も北京語の学習テキストとして使われた、あるいは使おうという意図があったということを見ました。また、これも前回触れましたが、曲亭馬琴(滝沢馬琴)が『水滸伝』から構想を得て『南総里見八犬伝』を書いた[1]ように、または、『水滸伝』から『金瓶梅』が生まれたように、『水滸伝』から別の作品が生まれています。このような現象はひ孫である『児女英雄伝』にも見られます。次からは筆者の目に留まった『児女英雄伝』から生まれた作品を挙げてみます。

『児女英雄伝』から生まれた作品

ここでは、『児女英雄伝』から生まれた作品を紹介しますが、取り上げる作品は筆者の目に留まったものだけであり、恐らくはまだあるかと思います。

〇『女賊の哲学』 著者 武田泰淳 小説
筆者が見たものは2013年に出版された『淫女と豪傑―武田泰淳中国小説集』に収められたものですが、同書に記載されている「作品初出一覧」によりますと、この小説は1948年に雑誌『八雲』に掲載されたものだそうです[2]。文庫版の15頁ほどの短編小説です。
物語は、『児女英雄伝』と同じ時代でありながら、内容は『児女英雄伝』とは違い、安公子が県長(県知事)になっています。十三妹の武器はさして注目されていませんが、十三妹は剣を使っています。

〇『十三妹』 著者 武田泰淳 小説

上で紹介した『女賊の哲学』と同じ作者です。筆者が見た中公文庫版『十三妹』は2002年が初版となっていますが、「あとがき」の最後に1966年朝日新聞社刊とあり、郭偉によると、この小説は元々、「中国忍者 十三妹」という題名で、1965年7月12日から同年12月28日まで、朝日新聞紙上で連載されたものだそうです[3]
中公文庫版は挿画が鶴田謙二、註釈と巻末の解説は田中芳樹となっています。田中芳樹はその解説で、この作品について「日本人によって書かれた武侠小説の先駆」であるとし、また、この作品が『三侠五義』、『児女英雄伝』、『儒林外史』の三つをリライトしたものとしています[4]
三つの小説をリライトしたものであると言っても、やはり主要登場人物として、安公子、張金鳳、そして十三妹(何玉鳳)が登場します。そして、この作品でも十三妹は日本製であるの長刀と短刀を愛用しています。時代と舞台は300年ほど前の中国とされていますので、つまりは清代の中国が舞台となっています。このことも『児女英雄伝』と同じです。ただ、この物語は、安公子、十三妹、張金鳳の三人がすでに結婚した後から始まり、『児女英雄伝』とは違い、安公子の旅は三人が結婚した後に行われるといったように別のストーリが展開されます。解説で田中芳樹が、この作品のラストは、やや中途半端な印象を与える[5]と言っているように、物語がこれから始まるというところで、話が終わってしまっているという何とも残念なことになっています。作者の武田泰淳自身が「あとがき」で述べているように、続編を計画していたようですが[6]、結局、それはなされなかったようです。その事情について、田中芳樹は「解説」で、

作者の健康などの事情もあっただろうが、ありていにいって、作品があまり売れず、続編の要請もなかったからではないだろうか。作品がつまらなかったからでは、けっしてない。おもしろさが読者にわかってもらえない時代というのが、たしかにあるのだ。いささか安易な表現だが、「先駆者の悲哀」を感じざるを得ない[7]

としています。

 

〇『十三妹絵物語』 著者 山川惣治 角川書店

絵物語とは絵本と漫画の間のような形態と言えると思います。この作品は全2巻「龍の章」、「虎の章」で終わっています。2巻とも1985年出版されていますが、それぞれの最後のページによりますと、元々は、「龍の章」が『小説王』第一号から第八号に、「虎の章」が第九号から第十五号に連載されたものだそうです。この『小説王』また『月刊小説王』[8]は角川書店のウェブサイト[9]によりますと、1983年9月の1号から1984年11月の15号までが発行されたようです。
作者は「少年ケニア」の原作者でもある山川惣治です。「龍の章」のカバーのそでには「巨匠・山川惣治が十六年ぶりに描く、歴史冒険絵物語」とあります。この作品の主人公は十三妹ですが、彼女の父親の名前が石何紀(シーホ―キ)となっており、彼女自身の名は玉鳳とされていますので、本名は石玉鳳となると思います。
ちなみに、十三妹の「十」と「石」は中国語では「shí」(シー)となり、同じ発音となります。『児女英雄伝』では、安老爺が十三妹という名について次のように解説しています。

 この三字(筆者注:十三妹という三字)は、たぶん、あなたのお名前にある『玉』の字から来ているのでしょう。あなたは折字法を使って、その『玉』の字の真ん中にある『十』の字と、横にある点とを取り去った。すると『二』という字になるでしょう?それから、『十』の字を『二』の字の上におき、点を横棒にして『二』の真ん中に補うと、『十三』という二つの字になるじゃありませんか。しかも、九・十の『十』と金・石の『石』とが同音異字なのを利用してうまく見せかけたのです(石三妹、石家の三番目の娘、という名前のようにみせかけた、の意)(「第十九回」)

恐らく、作者・山川惣治はここからヒントを得て、十三妹の本名を石玉鳳としたのでしょう。物語では、『児女英雄伝』では、簡単に触れただけの父の敵からの十三妹母娘の逃避行が描かれています。十三妹の武器ですが、彼女の曽祖父が和寇(倭寇の表記が一般的だと思われますが、『十三妹絵物語』の表記に従いました)を破り、その日本の敵将から五郎正宗作の名刀が贈られ、曽祖父はその名刀に「白龍天」と名付け、それを家宝として子孫に伝えます。彼女の武器は曽祖父が伝えたこの刀と、同じく家宝の弾弓です。日本刀と弾弓を武器とするのは、前に見た『児女英雄伝』の十三妹、そのままです。全二巻ですが、「虎の章」の帯にある作者の言葉には、

 この第二巻でひと休みし、しばらくは英気を養い、ぜひ完結させたいと思っている。

とあるように、二巻で話が完結していないのですが、続きが書かれることはありませんでした。

〇『黄土の嵐』(おうどのあらし)全一巻 著者 国友やすゆき 脚色セルジオ関 双葉社

この作品で十三妹は十三手観音の生まれかわりとされています。カバーのそでに「中国に舞台をとり、十三手観音の生まれかわり〝十三妹″と、眉目秀麗の白玉堂の大恋愛を一途に、かつエッチに描く⁉国友やすゆきの歴史、ギャグ感覚が素晴らしい‼」とあるように、セクシー路線で売りたかったのか、十三妹は話の途中までビキニ姿です。ただ、この作品でも十三妹は「倭の国の刀」を使って活躍します。
ただ、一冊にギャグ、恋愛、アクション、内戦などを詰め込みすぎたせいか、どれもが中途半端に終わってしまっているように筆者に思われます。『児女英雄伝』では十三妹の本名であるはずの玉鳳という名が安公子の妹の名前として使われています。
この漫画と同じ題名でテレビドラマ『黄土の嵐』があります。筆者はこのドラマは見たことがありませんので、ウィキペデイアを見て見ますと、日本テレビ制作で、1980年10月26日から1981年1月25日まで放送されていたそうで、安公子、十三妹が登場し、敵として逆臣包公などが登場し[10]、漫画との共通点もあるようですが、漫画とドラマの関係については分かりません。ちなみに、漫画(ドラマでもそのようですが)で敵役として描かれている包公という登場人物がいますが、中国で包公と言ったら、通常、公明正大の宋代の役人包拯を指します。清廉潔白な役人の代名詞とも言える包公こと包拯は、今での中国の人びとに敬愛されています。

 

〇『児女英雄伝』 著者 松本零士 潮出版社(漫画)(以降『松本児女』とします。)

1・2巻の奥付によりますと、この作品は元々、『月刊コミックトムプラス』98年5月号から99年7月号に掲載されたようです。1・2巻で第15話までが収録されています。作者・松本零士のオフィシャルサイト[11]でも、1・2巻しか紹介されていないのですが、第2巻の最後のページに第3巻に続くとあり、99年11月号の『潮』に

 松本さんが今、月刊『コミックトムプラス』に連載中の中国美女剣侠浪漫『児女英雄伝』は、満を持して新領域に挑む注目の力作だ。すでに単行本も十月二十五日に二巻目が刊行されるが、………[12]

とあり、これによれば、2巻刊行の時点でも連載が続いていることになりますので、16話以降の単行本化されていない話が存在すると思われますが、筆者は実見しておらず、拙稿では1・2巻に収録された15話までの話に基づきます。
『松本児女』においても、能仁古刹で捕らわれていた安公子(『松本児女』では安公子の本名「安驥あんき」が使われています)を十三妹が救い出します。十三妹が使っている武器は仙人が彼女に与えた「龍鳳の剣」またの名を「七星の剣」(1巻p103)と、安公子救出直前に拾った石弓(弾弓)を使います。その後、二人で旅することになり、その途中、仙人より「倭の大刀」が安公子に与えられます。二人旅をしている途中で十三妹とそっくりな女性・張金鳳が殺されそうになっているところを救い、三人で旅を始めます。物語はこれから盛り上がるであろう所で、2巻は終わっています。

『児女英雄伝』から生まれた作品について見てみましたが、それら作品が中途半端で終わってしまっていることは否めないと思います。では、その理由な何でしょうか。田中芳樹の言うように、時代と合わなかったということもあるでしょう。しかし、それだけが理由とも思われません。

魯迅は『中国小説小史』で『児女英雄伝』を義侠小説に分類しています[13]。しかし、それにしては戦いの場面は回想を含め3度しかなく、アクションものを描こうとした場合、取材できる内容が少ないことは否めません。上の作品が中途半端に終わってしまった理由は、このようなところにあるのではないでしょうか。

この小説の魅力の一つは、拙稿の第一回で取り上げましたが、キャラクターの設定にあると思います。その証拠として、十三妹の刀で戦うヒロイン像は各作品で共通していることが挙げられるでしょう。田中芳樹「解説」で、

一九六〇年代のフィクションの世界では、「強い女性、戦うヒロイン」はまだ珍しかった[14]

としています。一九六〇年代つまり、上で紹介しました『十三妹』が朝日新聞紙上で連載されていた時代のことになりますが、もし、田中芳樹の指摘が正しいならば、日本刀を武器とするヒロインは、日本ではこの小説が先駆けとなるものの一つ、つまり、現在、アニメなどの日本刀を武器とするヒロインの源流の一つに十三妹があるのではないでしょうか。

『水滸伝』が後世に与えた影響とは比べることができないほど、『児女英雄伝』の影響は限定されたものであると思います。それでいながら、『児女英雄伝』は巨匠と呼ばれる作家に筆を執らせ、その登場人物や設定に基づき物語を作らせています。このことからも『児女英雄伝』は曽祖父『水滸伝』の遺伝子を引き継ぎ、影響力は限定的とは言え、『水滸伝』、さらには『三国志演義』や『西遊記』と同様に後代の娯楽に影響を与えた白話小説の一作品と言えるでしょう。

奥野信太郎、常石茂、村松暎訳1960『児女英雄伝上』中国古典全集第29巻。
奥野信太郎、常石茂、村松暎訳1961『児女英雄伝下 鏡花縁』中国古典全集第30巻。
山川惣治1985 『十三妹絵物語』①龍の章 ②虎の章。
国友やすゆき セルジオ関1987『黄土の嵐』双葉社。
高島俊男1991『水滸伝と日本人 江戸から昭和まで』大修館書店。
魯迅・中島長文訳1997『中国小説史略』2平凡社。
平林敏彦1999「現代の顔 中国歴史浪漫『児女英雄伝』に挑む〝アニメの帝王″松本零士」『潮』11月号。
松本零士1999『児女英雄伝』第1巻 第2巻。
武田泰淳2002『十三妹』中央公文庫。
武田泰淳2013『淫女と豪傑―武田泰淳中国小説集』。
郭偉2005 「武田泰淳と胡適―「十三妹」を中心に―」『立命館言語文化研究』16巻3号。

[1] 高島敏夫1991p136~p.387。
[2] 武田泰淳2013p256。
[3] 郭偉2005p237。
[4] 武田泰淳2002p334。
[5] 武田泰淳2002p336。
[6] 武田泰淳2002p330。
[7] 武田泰淳2002p337。
[8] CiNii図書の書誌情報https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB03630651では、『月刊小説王』とされ、収録内容に「十三妹(しいさんめい)」 / 山川惣治絵小説が挙げられている。角川書店のウェブサイトでも『月刊小説王』となっている。
[9]https://www.kadokawa.co.jp/product/search/?sort=0&kw=%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E7%8E%8B
[10] https://ja.wikipedia.org/wiki/黄土の嵐。
[11]http://leijimatsumoto.jp/?s=%E5%85%90%E5%A5%B3%E8%8B%B1%E9%9B%84%E4%BC%9D。
[12] 平林敏彦1999p224。
[13] 魯迅1997p287~p303。魯迅1997では「侠義小説」という語が使われているが、拙稿では「義侠」とした。
[14] 武田泰淳2002p338。

石井宏明(いしい・ひろあき)
[出身]1969年 千葉県生まれ
[学歴]中華人民共和国 北京師範大学歴史系(現:歴史学院)博士生畢業
[学位]歴史学博士(北京師範大学)
[現職]東海大学/東洋大学 非常勤講師
[専攻]中国語学(教育法・文法) 中国史 
[主要著書・論文]『東周王朝研究』(中国語)(中央民族出版社・北京、1999年) 『中国語基本文法と会話』(駿河台出版社、2012年) 「昔話を使った発話練習」(『東海大学外国語教育センター所報』第32輯、2012年) 「「ねじれ」から見た離合詞」(『研究会報告第34号 国際連語論学会 連語論研究<Ⅱ>』2013年)