アゴラまでまだ少し 第13回 私のマインド、私へのリマインド葛生賢治

ある女性からの贈り物

マンハッタンはユニオンスクエア近くのカフェに僕はいた。いつものようにアイスカフェラテを飲みながら本を読む。帰国する直前だと記憶しているから、おそらく2014年あたりだろう。ニュースクールでの大学院生時代からNY市立大学での講師時代に至るまで、季節を問わず僕はよくそのカフェに通った。いつも学生たちで賑わっているものの、紅茶とコーヒーの充実したメニューと落ち着いた内装が特徴のその場所は僕にとって憩いの空間だった。客の多くはラップトップコンピュータを広げてウェブサイトを見たり何やら文章を打っている様子。いつもと変わらない緩やかな時間が流れる平日の午後。

先ほどから僕の近くの席に座る女性の様子が気にかかるようになっていた。コンピュータの画面に向かって素早くキーを叩きながら、どことなく様子がおかしい。ひとりでいるにも関わらず何か喋っている。よく見ると画面に向かって話しかけているようだ。その画面に開いたウィンドウには彼女自身の姿が映し出されていた。スカイプで誰かと話しているのか、と思った瞬間、そうではないと理解した。彼女は自分の履いていたブーツを脱いでそれを手に取り、コンピュータの画面に映るように顔のあたりまで持ち上げて笑顔でポーズを取った。画面にリアルタイムで映る彼女の姿の横にはおびただしい数のチャットのような文字が流れていた。彼女はいわゆるチャットレディーの仕事をしていたのだ。ネットでつながった画面の向こうのオーディエンスたちと会話しながら、リクエストに答えて何かしらのアクションを取って彼らに「ある種の娯楽」を提供する仕事。挙げ句の果てに彼女は僕に「私の友達があなたにこれを持たせてみてって言っているんだけど、いいかしら?」と言って僕にブーツを渡してきた。カフェでニーチェの『善悪の彼岸』を読んでいたらいきなり女性から脱ぎたてのブーツを手渡されるなんて、自分はエドガー・アラン・ポーの小説世界にでも舞い込んだのかと思った。その時はいささか狼狽したのを覚えている。ブーツを持たされ画面に写り込んでしまった東洋人の男をそのオーディエンスたちはどう思っただろう。

 

直結されてしまった私たち

いまやニコ生やらツイキャス、星の数ほどあるアプリやSNSを通じて誰でもたやすく自分を「世界に配信」することが可能な時代だが、これは同時に我々のプライバシーのあり方が根本的に変化した時代の到来を意味する。多くの評論家や哲学者が指摘するように、プライバシーとはもはや「侵害されないように守るもの」ではなく、人々が「自発的に晒すもの」になってしまった。僕が遭遇したチャットレディーなどは、まだプライバシーの侵害を防ぐことに常識のベクトルが向いている時代にあって自らのプライバシーを晒しても構わないとする稀な存在だからこそ、そこに商品価値が発生して商売が成り立っていた。それが今や、ツイキャスなどで若い女性が自分の化粧する姿をこぞって配信している現象を見れば一目瞭然だが、もはや暴くことで商品価値が生まれるようなものとしてプライバシーを捉えることが困難になっているのだ(かつては電車の中で化粧をする女性を中年男性が叱りつけていた、なんて話を現在の若者は信じることができないだろう。でも公共の場での女性のお化粧問題は入り組んでいるのでここでは深く掘り下げない。また別の機会に)。

乗客の少ない時間帯の電車内でアダルトビデオの撮影をしていた男女が逮捕されたニュースが流れたことがあった。驚くべきは逮捕された者たちよりも、その乗客たちである。誰もその場ですぐに通報せずに、「見て見ぬふり」をしていたという。2016年11月のアメリカ大統領選挙の決戦直前、トランプ氏による「自分が気に入った女性にはまず女性器を鷲掴みにしてやればいい」との趣旨の発言を録音したテープがメディアによって暴露された。これで勝負あったと彼の敗北を確信したヒラリー・クリントン支持者やリベラル派たちに衝撃を与える形でトランプ政権が発足した。ウィキリークスによるアメリカ機密文書の暴露事件が起きたのはそれより6年も遡る2010年11月のこと。当時のマスコミの大騒ぎを目の当たりにした人のうち、一体どれくらいが今日の世界的右傾化とポピュリズムの席巻を予測できただろうか。国家権力の裏の顔が暴露されたからといって「悪が滅び正義が勝つ」とはならなかった。それどころか、暴露された裏の顔がもはや市民権を得たかのように、民主的手続きによって選ばれた世界各地の自称「保守派」リーダーたちに促され、差別的・排他的な言葉となって社会の表側に噴出されている。「ぶっちゃけた方が勝ち」とでも言うような空気がこの惑星をすっぽりと覆い尽くしてしまったかのように。

もちろん、多くの人にとってプライバシーとは今でも守るべきものである。個人のレベルでは、誰もが自分のプライバシーを晒されたくない、侵害されたくない、という意識が働いている。けれども個人の頭の中から一歩外へ出て他者とつながる領域、つまり社会的な領域においては、プライバシーは「晒すもの」「いつ晒されてもおかしくないもの」「晒されたとしても文句の言えないもの」「晒されることを覚悟した上で日々の生活を営むべきもの」という隠れた前提が存在していないだろうか。原則としてあらゆる情報がデジタル化されオンライン上のどこかに保管することができてしまう社会とは、その保管された情報がいつ流出しても「仕方がない」と覚悟しなければならない社会なのだ。自宅の地下室にある金庫に保管した金の延べ棒と、不倫相手とラインでやりとりした秘密の会話、どちらが「晒されずに済む」ものだろう。「晒されても仕方がない」とは今この瞬間を生きる我々に共通する前提であり覚悟であり、同時に諦めでもある。

我々に残された道は何か。絶対的なプライバシーの保護という概念を諦めざるを得ない社会において、人としての尊厳を守るために我々に残された最後の手段こそ、「見て見ぬふり」ではないか。電車内で白昼堂々とわいせつ行為を披露する者の横で寝たふりをする乗客のように、もはや我々はそれぞれのプライバシーが直結された・直結されてもおかしくない状況下で生活空間を確保し、お互いがお互いの恥部を「見てしまっているけど、見ていないものとして振る舞う」といった矛盾した挙措によってかろうじてコミュニティーを保っているのだとしたら。そこでは、かつて多くのモラリストたちが現代を「合理主義・科学崇拝・情報化によりコミュニティーから生身の繋がりが消滅し、人々が分断され孤立する時代」と分析した言説は当てはまらない。むしろ、いま世界中で起きているのは逆のこと。我々はかつて無いほどに、もっとも共有したくないプライバシーの領域において繋がってしまっている・繋がってしまうことを認めざるを得ないのだ。

そこでは「公共」が失われる。プライバシーの領域があって、そこから外へ出て他者と向き合う場としての公共があるのがコミュニティーのあり方だとすれば、全てのプライバシーが繋がってしまう社会は「公共なき社会」、つまり「社会ではない社会」と呼べるだろう。我々は自分たちの繭の中に閉じ込められ、同時に他人の繭の中に放り込まれ、お互いの恥部を晒しあう恐怖に怯えるのである。

社会全体が渇望するイノベーションとは「未知の領域を切り開いて何かを知る方法」ではなく、「全てが知られてしまった事態の中で未知の領域を生み出す方法」ではないだろうか。未知とは他者である。我々は本当の意味での他者を失ったのだ。それにぶつかることで自分を振り返り、自分の限界を認め、新たに自分をクリエイトする機会となる他者が消滅した。奇妙にも、国際政治では「壁を作ること」が論争の的となっている。もはや自己と他者と分けることが不可能になった我々の焦り・不安・諦めが物理的に壁を作る欲望となって噴出しているとしたら、これほどの皮肉はないだろう。

知られること、知られるかも知れないこと

隠されるべきものが隠されず、繋がるべきでない領域で繋がることに不安を覚える我々は、必然的にある種の世界観を共有してしまう。世界の事実というものが全てフラットに並べられ、それが「世界のすべて」、それ以上でもそれ以下でもないものとして、全く等価値のものとして広大な平面に整然と並べられる世界観。さながらウィキペディアのような巨大なデジタル百科事典があらゆるデータをウェブ上に等価値なものとして保存するように、または(例によって下世話な例で申し訳ないが)逮捕された下着泥棒から押収した盗難品の数々が警視庁の柔道場の畳の上にズラッと並べられるように、どこかに「すべて」が均等に並べられる。並べられることで我々が味わう恥ずかしさなどお構いなしに、ただ整然と世界の事実が並べられ、それを誰もが閲覧できてしまう。たとえ2018年現在のテクノロジーではそれが不可能だと思っている人でも、いずれ世界がそのような姿へと着地する、という絵を描いていないだろうか。いずれは全てが知られる。我々はそれを止めることが出来ない。だから、知られることを知らないでおく。「世界」は無限に広がる平面上に並んだ盗難品のように、退屈なまでに単純な、たった一つの顔を持ってどこか「知らない」場所に存在する。それを我々は知っている。

この「繋がるべきでないのに繋がってしまう世界」の問題を「繋がってしまう問題」と呼んでみよう。さて、どうするか。我々が生み出したテクノロジーが生みの親である我々を苦しめる結果となった、というありきたりの近代文明批判を持ち出すのは避けるべきだろう。その手の話には常に落とし穴が潜んでいる。悪しきテクノロジーを生んでしまったのは我々の「失敗」であって、もしもその「失敗」さえ避けることができていれば、我々は依然としてピュアで品行方正で悪を憎んで正義を愛し、世界はJ-POPの歌詞のように「ありがとう」と「未来に翼を広げる」に満ちたものになっていた、という絵が前提となっているのだ。本当にそうだろうか?仮に、テクノロジーを生み出す「前」の我々は平和な世界に生きていて、テクノロジーが生まれた「後」に世界は困った場所になってしまったとしたら、その「テクノロジー」は何を指すのか?どこまでを「悪しきテクノロジー」に含めればいいのだろうか?インターネット?それなら、インターネット出現以前の世界は全てがスマイルだっただろうか?携帯電話まで含めるとしたら、携帯が存在する以前の世界は?電話の場合は?自動車は?電気は?蒸気機関は?製鉄技術は?稲作技術は?

問題は「我々の住む世界のどこかに『悪いもの』があって、それを除けば問題は解決する」という考え方そのものなのである。立川談志の言葉に「酒が人をダメにするのではない。人間はもともとダメだということを教えてくれるのものだ」というのがあるが、テクノロジーは人間の「本当の姿」をゆがめる「後付けの付属物」ではなく、人間の「本当の姿」を映し出す「人間以上に人間的な存在」なのである。

では逆に、「テクノロジーを上手に使うも下手に使うも、結局は使う人間次第だ」と考えるのはどうか。そんな凡庸な言説も、ここではほとんど意味を成さない。「繋がってしまう問題」を「人間のモラル問題」へと還元することはできない。悪いのはテクノロジーのせいだ、いや本当に悪いのは人間のモラルなのだ、と言ったところで、どちらもプラクティカルなレベルでの話をするだけなのだ。どうして我々はそんな世界観を持つようになってしまったか、どのようにして我々はプライバシーを本来の姿に変えることが出来るか、どうすれば知るべきことだけを知りそうでないものを知らずにいられるか、真実を知るにはどうしたらいいか、等々。いくら「How we can know(どのようにして知ることができるか)」「What we can know(何を知ることができるか)」のレベルで頭をひねっても、「What it is to ‘know’(「知る」とは何か)」の問題には到達できない。そして今まさに我々が直面するのは後者なのである。

知ることに潜む矛盾とは

知るとは何か、その根源を追究したデカルトの言説に立ち返ってみよう。彼は主著『第一哲学についての省察』の中で有名な「我思うゆえに我あり」の命題を展開し、自分の存在、神の存在、世界の存在を証明しようとする。ひとつひとつの命題を緻密に重ねあげながら存在の大結論に辿り着こうとするその論理には膨大な量の説明が必要だが、今回の「繋がってしまう問題」に関わるのはただ一つ。彼がその「我思うー」との命題を導き出す部分だ。

デカルトは問う。哲学が学問の確固たる基盤として真実に基づくものであるとするなら、我々はどのようにしてその真実を打ち立てることができるのだろうか。ガリレオ・ガリレイと32歳しか年の離れていない彼は、ガリレオと同様に聖書や教会の言う「真実」と現実の間にズレが生じていることを既に理解していた。それまで真実とされてきたことがそうでないとすると、すべては疑わしいものとなってしまわないか。彼は思考実験をする。一度全てを根こそぎ疑うことで、疑えないものに至ることはできるのではないか。少しでも疑えるものは全て徹底的に疑うことで、いかなる方法を使っても疑えないもの、つまり真実にたどり着けるのではないか。

彼はまず自分の外に広がる世界と自分の肉体を疑う。夢の中ではうその世界を本物だと見間違えることがあるとすれば、私は今この瞬間にも夢を見ているのかもしれない。目の前に広がる世界は存在しないとする。私の体も、視覚や感覚は時として私にうその情報を伝えるから疑わしい。この自分の手が「本当の姿」であると、どのようにして感覚だけで証明できるのか?物理的な存在は全て疑わしいのだ。私の体も存在しない。神はどうか?私(デカルト)は敬虔なクリスチャンではあるが、世の中には神を疑う無神論者が存在する。神の存在を議論する以前に、神は「疑うことができる」存在なのだ。ならば神の存在をも疑ってみよう。少しでも疑えるものは疑うのだ。神も存在しない。では、数学的な真実はどうか?「1+1=2」という真実は。これも、どこかに悪魔がいて私が毎回「1+1=」と考える瞬間に間違った答え「2」を私の頭に吹き込んでいるかもしれない。少なくとも、そのように「疑う」ことは出来てしまうのだ。ならばそれも存在しない。世界も、私の肉体も、神も、数学的真実も消えた。では、私自身はどうだろう。私はいま自分が存在していると思っているが、これも疑えるなら疑おう。可能性があるものは全て疑う。よし、私は存在しない。これで全てが存在しなくなった。いや、ここで私は存在を絶対に疑えないものに辿り着いた。「私は存在しない」と言っているのは誰だ?私である。すなわち、「私は存在しない」と否定した瞬間に、私は自分自身の存在を疑っている自分のことを認めなければならないのだ。私は私の存在を疑うまさにその瞬間、私の存在を証明した。

これが「我思うゆえに我あり」の意味である。

世界も自分の肉体も神も、全て疑いによって存在を否定することができたが、存在を否定する存在としての私、つまり「考える私」の存在は否定できない。どれだけ徹底的に疑っても疑うことが不可能なものこそが真実だとすれば、この「考える私」こそが真実なのである。真実の最終地点とでも呼べるような「考える私自身」に辿り着いたデカルトは、その地点からUターンして今度は先ほど疑うことで消し去ってしまった神の存在を証明し、さらには世界の存在を証明しようとする。『省察』は世界を根源から疑い、真実に至ることで世界を再構築するプロジェクトなのだ。

ここでデカルトはひとつミスを犯している。物質的存在や神など、全てを消し去って残ったものが「考える私」だとして、ではその「私」とはどんなものだろうか?目に見えるもの?触れるもの?色や形のあるもの?そうではない。物質的次元は全て否定された。その存在とは純粋に観念的な存在、思考する意識そのものである。それをデカルトは「思考する実体(thinking substance)」と呼ぶ。思考だから色も形もない、非物質的なものである。同時に、それは「絶対に疑うことができないもの」として「存在する」ものだ。では、「存在する」ってどういうことだろう?「ある」ってどういうことだろう。「ある」の意味を理解しようとするとき、説明しようとするとき、我々はそこから物質的な側面を全て取り除くことができるだろうか?できないのである。そもそも「ある」とは物質世界を記述する言葉なのだ。デカルトは究極の地点まで思考を巡らし「これこそが最終地点にある真実だ」と宣言したが、その瞬間にある矛盾を抱え込んだのである。すなわち、「絶対的に存在する『思考する私』は物質なんかではない、と同時にそれは物質である」と。

デカルトのミスには原因がある。疑わしいもの・疑える可能性のあるものの全てを疑う思考実験をする中で、彼が最初から疑っていないものがあった。「疑い」それ自体である。疑うとはどういうことか?目の前にあるモノの存在を疑うとはどういうことか?テーブルの上に置かれたコップの存在を疑ってみよう。「このコップは存在しない」と考える。その瞬間、我々は目の前にあるコップが所属している空間の全て、それの乗ったテーブル、テーブルのある部屋、部屋の外に広がる家の空間、家の外、道路、地球、全てから「私」を切り離し、その物質空間のどこにも存在しない・色も形もない「視点」へと変容させる。変容させた上で、物質世界の全てを一括りにして見下ろす形で「これらは存在しない」と宣言するのだ。一方に「物質的世界」の全てがあり、他方に「純粋に非物質的な視点」としての私が存在する、そんな絵を導入することによって初めて「疑う」手続きが可能になる。デカルトは暗黙のうちにこの手続きを疑いの対象から外し、思考実験を完結した。よく考えれば分かることだが、「物質世界の全ての上に浮遊するピュアな視点」という「絵」それ自体が矛盾しているのだ。非物質的でピュアな「視点」が物質世界の「上に浮遊する」として、その「視点」が存在はどのように証明できるのか?ここでも、「存在する=ある」の意味から物質的側面を取り除くことが不可能だ、という問題にぶち当たる。つまり、デカルトはそもそも最初から矛盾を解消しないままに自らのプロジェクトを開始し、ゴリゴリと厳密な論理を展開して結論に至ることで、その矛盾の深さを露わにしたのである。

単にデカルトというフランス人哲学者がミスを犯した、他の人間なら上手くやれた、というのではない。デカルトは我々のもつ理性のルールに完璧に則り、あくまで論理的に思考を進め、厳密な論理を展開することで、そもそも「理性」そのものに備わっている矛盾を逆説的に暴き出したのである。すなわち、我々は理性的・合理的・論理的に思考することを余儀なくされる存在であり、同時にその思考はそれ自身を破綻させる矛盾を内包し、矛盾とともに始まり、終わるのだ、と。デカルトが悪いのではない、理性がもともと矛盾してることをデカルトが教えてくれたのだ。

もうお分かりだろうか。デカルトの理論から浮かび上がってくる「ピュアな視点の絵」こそ、「繋がってしまう世界」の原型なのである。無限に広がる平面に盗難品がずらっと並べられ、それを離れたところから不安げに眺める、という「絵」はそもそも近代哲学の父たるデカルトの言説から始まっていたのである。

未知を抱え込むこと

「知る」とは何か?

「何を知るのか」「どう知るのか」というプラクティカルな問いの次元を超えて「知ること」そのもの意味を問い、それを基礎付けようとする瞬間に「私」の存在が消える。世界から切り離され、世界を外側から客観的に見るピュアな視点として存在するはずの「私」が、その存在を宣言する瞬間に自らの矛盾を暴露する。「私」の本質は闇に包まれ、切り離され独立して存在するはずの「世界のすべて」という絵も根底から覆される。それでも、我々が聖書と教会の言葉の外に真実を求めるならば、「世界」と「私」と、その両方をつなぎ留める不可能な絵を抱え込まなければならない。「知る」とはその拭い去れない矛盾、存在の根源に潜む矛盾に向き合う機会なのである。

「繋がってしまう世界」という世界観は、その矛盾の一部なのだ。矛盾と共に始まり、矛盾と共に生き、矛盾と共に死んでいく我々の生き方そのものをリマインドしてくれる絵なのである。「真実」などというものが実のところ「矛盾」と共に始まっているとするならば、我々の真実への探究はそもそも徒労に終わる運命だ。でも、我々にはそれを止めることができない。真実を明らかにすることは出来ないけれど、そうしないといられない。出会った全て人たちと死によって別れる運命なのに、出会わなくては生きていけない。最終的に全てが無に帰するのを分かっているのに、金や名誉や充実を求めなければ生きている心地がしない。死がやってくるのは絶対的な事実にも関わらず、絶対にそれを避けたい。存在しなくなるのに、存在しなければならない。

浮かび上がってくるのは、どうしようもない矛盾の真っ只中でもがく人間の姿、光の消えた空間をなんとかして前に進もうとジタバタする人間の姿である。それこそ我々すべてに等しく与えられた条件ではないだろうか。柔道場に並べられた盗難品がおかしいのではない。我々のおかしさが映し出されているのだ。繋がってしまった世界のおかしさは、そのリマインダーなのである。

プライバシーの全てが繋がってしまう世界・繋がってしまうかもしれない世界で失われるものは「公共」である。個人を超えて他者と出会うパブリックな瞬間。私のプライバシーが隣のAさんのプライバシーと直接繋がってしまう世界において「他者」に直面する瞬間を取り戻すにはどうしたらいいだろう。「我思うゆえに我あり」の中にひそむ矛盾、その「我」の本質にすら我々は辿り着けないという「未知」を、まさに自分自身の中に見出すことではないだろうか。自分にとってもっとも未知なものこそ、他でもない自分なのである。どうしようもない矛盾・他者・未知を抱え込んで生きている自分がふと顔を上げると、同じように矛盾を抱え込んだAさんと目が会う瞬間、AさんだけでなくBさんもCさんも同じようにこちらに視線を送るのを捕らえた瞬間、私たちは再び公共の場に集うことができるのかもしれない。

葛生賢治(くずう けんじ)
1970年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒用後、サラリーマン生活を経て渡米。2000年ボストンカレッジ大学院哲学科修士課程終了。2007年ニュースクール大学院哲学科博士課程終了。ニューヨーク市立大学哲学科非常勤講師を経て、現在東京にて執筆活動中。フリーウェブ雑誌「OUR」チーフエディター。専門はアメリカンプラグマティズム。博士論文の表題は「ジョン・デューイ哲学における宗教性」。趣味は駄洒落づくり。代表作は「オジー・オズボーンの叔父におスボーン履かせてちょうだい」。