アゴラまでまだ少し 第14回 家族とノイズを笑う時間 (前編)葛生賢治

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スティーブン・スピルバーグ製作のSFオムニバス映画『トワイライトゾーン / 超次元の体験』(1983)の中に「こどもの世界」というエピソードがある。新たな職場となる学校へ車で移動中の女教師ヘレンは田舎町のバーに立ち寄よる。そこでひょんなことから10歳の男の子アンソニーと知り合った彼女は、彼の家を訪れることに。彼の家はマンガに出てくるような怪しい作りの一軒家で、ヘレンを迎え入れた彼の家族はみな極端に丁寧でどこかよそよそしい態度で彼女を歓迎する。アンソニーの家族と過ごすなかでヘレンはある事実を知る。彼は意思のままにすべてをコントロールできる超能力者で、そこにいる彼の父、母、姉、叔父はすべて他人だった。彼らはヘレンと同じようにアンソニーの家を訪れたまま彼の超能力によってその家に隔離されてしまい、次の被害者を迎え入れるために彼の家族を装っていたのだ。アンソニーに少しでも反抗する者は彼の能力によってあっさりと消されてしまう。映画では明確に描かれてはいないが、彼の本当の家族はすでに彼の能力の被害者となっていたことが暗示される。アンソニーの能力は暴走していく。しかしヘレンは教師としての使命から彼に向き合おうと努力する。

印象的なシーンがある。アンソニーの家族(のふりをした人質たち)がヘレンにディナーを振る舞う場面。その家族はすべてアンソニーの超能力に支配されているわけで、出てくるディナーもすべてアンソニーが子供心で考えた「豪華なディナー」となっている。ピーナッツバターがべとべとに塗られたハンバーガー、キャンディーコートした林檎、ポテトチップス、そしてアイスクリーム。アンソニーの「力」を恐れる彼らはそれをムシャムシャと食べる。彼らが本当はそんなもの食べたくないことは、それより前のシーンで示されている。ヘレンを玄関に迎え入れた彼らは彼女の手荷物をすべて「こちらで預かっておきましょう」と言って半ば強引に奪ってしまう。アンソニーがヘレンを家の奥へ案内し、その場から2人が見えなくなると、彼らは一斉にヘレンのハンドバックを物色し、彼女のプライベートな写真を取り出してあれやこれやと詮索し、彼女のタバコに火をつけて吸い始め、家の外の世界を懐かしむ。支配者アンソニーの目の届かないところで「鬼の居ぬ間」の休息のシーン。

映画の中でアンソニーの「家族」は、客の私物を勝手に物色する自分勝手でモラルの低い大人として描かれ、超能力のために他の子供たちからも家族からも孤立してしまったアンソニーから見て「頼りない大人」「信頼できない人間」を象徴する存在であり、同時に「他人なのに家族のふりをする人間」の象徴として描かれる。アンソニーが実の両親から愛情を受けられなかった可能性が示唆される。だからこそ彼は超能力で大人たちを支配し、復讐をしているのだ。彼はその力でディズニーランドのアトラクションにでも出てくるようなモンスターを次々と登場させ、籠の鳥となった「家族」を翻弄し、テレビに映ったアニメの中に閉じ込め、アニメのモンスターに食わせてしまう。注目したいのは、この荒唐無稽なファンタジーが現実を「飲み込む」スピルバーグ的世界はそのまま現代の文明批判となっている、ということ。例えば日本。いまやこの国のテレビでは、どう見ても家族には見えないほどわずかな年齢差の俳優たちが「親子」として登場する家電CMやドラマが毎日のように流され、現実味を持たない「ファンタジーとしての家族イメージ」に我々は飲み込まれようとしている。現実がファンタジーに満たされれば満たされるほど、「家族のフリをする他人どうしの集まり」が我々の家族観を侵食する。塵ひとつ落ちていないモデルルームのような家の中で食卓を囲むイケメンと美女だけで構成された「家族」。薄っぺらな「イメージとしての家族」に脳を洗われるようなメディア体験と、この原稿を書いている現在(2019年2月中旬)連日のように報道されている千葉県野田市の小学4年生女児虐待事件に代表されるような「家族として機能しなくなった家族」が存在する現実。アンソニーのエピソードが描く「ピーナッツバターのように甘ったるいファンタジー」と「他人どうしで構成された家族」が同居する世界がそのまま具現化されてはいないだろうか。

家族というファンタジー

家族をめぐる様々な悲劇をニュースで知るたびに思うのは、「家族こそまさにファンタジーである」ということ。誤解しないでもらいたいのだが、僕は「みんな現実を見ないでファンタジーに没入しているから早く目を覚ますべきだ」といっているのでない。むしろその逆で、我々は家族をファンタジーとしてしか捉えることができない。ファンタジーという言葉に抵抗があるなら、「虚構」と言い換えてもいいし、「物語」と呼んでも、「イメージ」と呼んでもいい。我々は何かしらのイメージ無しには「家族」という人間集団を形成することができない。家族に限らない。あらゆる社会的な役割、人と人との間に存在する関係を認識するには、ある種のイメージが必要なのだ。例えば社会の中で「会社員」として振る舞うとき、その人は「会社員とはこういうことをする人、こういう振る舞いをする人」というイメージを通じて自らの言葉遣い、行動、考え方を調整し、周りからの期待に応えるのである。ただルールと概念だけを箇条書きに並べられて「はい、会社員とはこういうものです。だからあなたはこういう風に振る舞いなさい」と言われただけでその人は「会社員とはこういうもの」と納得し、「会社員」として振る舞う意欲が湧くだろうか?成功者としてメディアに登場する具体的なビジネスマンの顔、声、振る舞い、自信に満ちて自らのサクセスストーリーを語る姿に触発されず「会社員」になることができるだろうか。逆に、仕方なく会社員として振舞っている人ですら、その「仕方ない」という意識の底にあるのは具体的な会社員の仕事に対する嫌悪感ではなく、「会社員というイメージ」に自分を投入することへの反発心ではないだろうか。我々は現実を生きながら、同時にイメージの中を生きているのである。元サッカー日本代表選手の中田英寿はマンガ「キャプテン翼」に影響を受けてサッカーを始めた、というのは有名な話。奥泉光の小説『バナールな現象』に「人は虚構のなかでしか生きられぬのであり、また虚構を通してしか他人と出会えない」という言葉が出てくるが、まさに我々が生きている「現実」を大きく形作るものこそ虚構でありイメージでありファンタジーであり、ファンタジーこそが現実を支配している、といえるのだ。理想「像」に合致した自分の姿に無上の喜びと充実感を味わい、そのために多くの時間と労力を注ぎ、「像」が現実にならないと分かるや幻滅し鬱になり、自死にまでおよぶ。これほど確固とした「現実」が他にあるだろうか。

家族こそファンタジーだ、と僕が言うのはその意味においてである。「母親」「父親」として、「娘」「息子」として、「妻」「姑」「祖父」「従兄弟」として、現実に家族が家族と向き合うときにすでにその中に生きてしまっているファンタジー。「娘としてのふるまい」「妻としてのふるまい」「夫としてのふるまい」とはこういうものだ、という我々の感覚を形作ってしまっているイメージ。それが今とても陳腐で薄っぺらなものになっていることに問題がある。そう、問題は「ファンタジー」が「現実」を隠していることではなく、「本当の現実」にたどり着くために「うそのファンタジー」を取り除く必要性でもなく、そもそも「ファンタジー/現実」という単純な二項対立でしか自分たちを捉えられなくなってしまった我々の想像力の劣化にあるのだ。「ファンタジー/現実」という極端な紋切り型の想像力こそまさに薄っぺらな「ファンタジー」の一種なわけで、いま我々に求められているのは、他でもない「ファンタジー」の充実、再構成、アップデードなのである。東浩紀が『ゲンロン0 観光客の哲学』の第2部「家族の哲学」で展開するのも、新しい家族像のアップデートだ。生まれてくる子供には親は選べないのと同様、親にだってどんな子供が生まれてくるのか、究極には選ぶことができない。それでも我々は関係を結ぶ。親子の関係こそまさに、社会から「最も濃く、最も強い権限を持ち、最も根源的である」というプレッシャーを浴びながらも、サイコロをふって出会うような不確定性をその根幹に宿している奇妙なつながり、東氏の言葉を使うなら「弱いつながり」なのだ。不確定でありながら、いや不確定であるからこそ、その存在に自分を開く態度。そこから「家族」を再構築する試みだと言える。

先に触れた千葉県野田市の事件に対して、ある既視感をおぼえた人も多かったかもしれない。2018年3月に東京の目黒区で起きた5歳女児虐待事件。少女が覚えたばかりのひらがなで残した「反省分」が見つかり、ニュース番組で女性アナウンサーが涙に声をつまらせながらその全文を読み上げたことも記憶に新しい。エッセイストの犬山紙子が発起人となりツイッターのハッシュタグ「#こどものいのちはこどものもの」のもと、真鍋かをり等の著名人や有識者たちと連携し様々な署名運動や自治体・官公庁への取り組みが行われているなかで、わずか1年も経たないうちに先の事件が起きた。もちろん、そうした草の根的運動へは最大のリスペクトを払うし、今回の事件における市の教育委員会の言葉を失うほどあきれた対応にはさらに辛辣な批判をあびせる必要があると思う。でもそうした実践とは別の次元で、より根本的な次元で、我々がすでに心の奥まで浸されてしまっている「親子とはこうあるべきだ」「子供は結局のところ親にあずけられるべきだ」「親と子の間に入れるものなど存在しない」「なんだかんだ言っても親と子のつながりに勝るものはない」というファンタジーをどうにかする必要がある、と考えるのは僕だけだろうか。凝り固まったファンタジーはカルト宗教の教義より始末に悪く、「親子のつながり絶対だ教」が巻き起こす集団ヒステリーこそ、草の根的実践に対する見えない逆風となり、現代の子供をその見えざる手で袋小路に追い込んでいるのではないか。

家族というアイロニー

「これが絶対だ」というイデオロギーに抵抗するには、「そんな絶対は間違っている」という批判をいくら並べても意味がない。必要なのは、「それ以外もある」というオルタナティブを提示することだ。

日本人の家族観と深いつながりのあるテレビドラマ、とりわけホームドラマを例にとって考えてみたい。取り上げるのは1970年代にTBSでシリーズ放送された「時間ですよ」と、1989年に新春スペシャルドラマとして放送された「わが母の教えたまいし」。ともに日本のテレビドラマ史の黄金期を支えた演出家・久世光彦の演出による作品である。

「時間ですよ」は東京の五反田にある銭湯「松の湯」を舞台に繰り広げられるホームコメディ。松の湯の女将・松野まつ(森光子)とその夫・松野祥造(船越英二)を中心に息子の一郎、その妻の芙美、松の湯の従業員や常連客、近所の住民たちの日常に起きる些細な出来事を中心にドラマが展開する。そしてこのドラマ最大の特徴は堺正章・樹木希林(当時は悠木千帆)・浅田美代子・天地真理らによるドラマの本筋とは無関係に入れられるナンセンスギャグのコント、松の湯の屋根の上でするギターの弾き語り、さらには女湯の脱衣所のシーンで必ず入る若い女性のヌードだ。ぶっちゃけて言うなら、「時間ですよ」といえば多くの人にとって「若い女性の裸が映るドラマ」として記憶されているはずだ。70年代においてゴールデンタイムのテレビ番組に女性のヌードを流すことがどれだけラディカルな行為だったか、現代の読者にどこまで伝わるだろうか。当時は「ワースト番組」として批判を受けたほどのドラマなのである。

ドラマのメインとなるプロットでは落語の人情話的物語が描かれる。大企業のサラリーマンである息子の一郎は下町で銭湯を営むまつと祥造とは根本的に価値観が合わずに衝突を繰り返すが、毎回両親の思いやりに触れて良き息子・良き夫としての平穏な日常に立ち戻る。松野家に詐欺をはたらこうと近寄ってくる客人はまつ達の人情に触れて自らの行動を恥じ、改心して去っていく。住み込み従業員のミヨコ(浅田美代子)がナンパな男にデートに誘われ、松の湯のみんなの反対を押し切って待ち合わせに向かうも、途中で思い返してデートを諦め、松の湯へと笑顔で帰っていく。「家族的な思いやり」「ひとつのちゃぶ台をみんなで囲んで笑い合う」「話し合って問題を解決する」という美徳に帰結する物語が繰り返し語られる。対照的に、物語とは全く無関係に挿入される堺正章たちのナンセンスギャグ、ギターの弾き語り、脱衣所のヌードは予定調和的人情話に対する異物として存在する。異物の混入は下町人情の温かみに心を浸そうとする視聴者に冷や水を浴びせかけ、ドラマが「おはなし」でしかないことを思い出させ、夢物語から目を覚まさせ、「人情で全てがうまくいく」という信仰を外から眺める視点、メタな視点を導入する。要するに、これらの異物は「人情があれば全てうまくいく?んなわきゃないだろう」とツッコミを入れているのである。

予定調和の世界観と、それを突き放すメタな視点。僕がそう解釈しているわけではなく、「時間ですよ」はそもそもこれら2つの要素が混在するドラマとして制作されている。時代劇・日本映画評論家の春日太一氏によるこのドラマを取り巻く時代背景の分析を見てみよう。

「時間ですよ」がシリーズ放映された70年代は日本のテレビドラマの黄金期にあたる。その頃のテレビドラマ界には、当時すでに斜陽産業となっていた映画界から優秀な人材が流れ込み、倒産した映画会社の人材を集めて設立された会社がテレビ番組を制作したり、かつての映画クリエイターやスタッフたちが自分たちの方法論で映画的作品をテレビドラマとして放送するという大きな流れの中で生み出されていた。アメリカン・ニュー・シネマの影響を強く受けた「傷だらけの天使」などはそのいい例である。そこへ、当時のTBSの制作が「テレビでしかできない独自のものをクリエイトしよう」という新たな流れが生まれた。

しかし遡ってみれば、そもそもテレビ界には60年代から「テレビ独自のドラマ」を作る路線が存在していた。アメリカの劇作家・脚本家チェイエフスキーを代表とする「日常的な小さな出来事、市井の人の生活をありのままに描いて心の細かいヒダを表現する」という「スライスオブライフ(Slice of Life)」というテーマの作品群がそれ。これを体現するのはホームドラマだ、という結論に行き着き、ホームドラマこそテレビにしか作れないドラマの究極の形である、と多くの作品が生み出されていたのが60年代。脚本家・小野田勇氏が掲げていた「ホームドラマ4原則」がその思想を端的に表している。「1. 隣近所を含めて登場人物が多い 2. 登場人物の全員が善人である 3. 事件が小さい 4. ハッピーエンドで終わる」というもの。つまり、民主主義である。そもそもテレビとは、アメリカの民主主義イデオロギーを日本人に根付かせるために導入されたメディアであったわけだ。

けれども60年代とは、「全員が善人である」とか「いろいろあってもみんなで話し合えば最後はハッピーエンドになる」という民主主義的世界観の裏側が暴露された時代。ベビーブームで生まれた子供達が70年前後には成人となり、社会の矛盾を目の当たりにする時代だった。テレビを消して外の世界を見れば、ベトナム戦争と安保闘争が目に入ってくる。高度経済成長と並行して湧き上がる公害問題、都市への人口集中による核家族化、都市住民の孤独化。アメリカに信じ込まされてきた民主主義神話の崩壊を前にして、砂糖菓子のような甘い世界観のホームドラマをそのまま再現しても「人間ドラマ」として成立しない時代に入っていた。

では、どうするか。かつての「人は話し合いで全てが解決できる」という理想が崩壊した今、それでもなお「家族的つながり」を正義とし「日常の出来事とありきたりの人間関係と話し合いでコミュニティを存続させる」世界観にどう向き合えばいいのか、当時のTBSドラマプロデューサーたちは考えた。そこで70年代のTBSドラマを牽引する3人のプロディーサー・演出家が登場する。石井ふく子、大山勝美、そして久世光彦である。それぞれが「戦後民主主義の理想が崩壊した今、もう一度ホームドラマを作るにはどうしたらいいのか?」という問いに対してそれぞれの答えを出すように、独自のアプローチで作品を制作していく。石井ふく子は「ホームドラマのもつ家庭的つながりの価値と日常の美徳をそのまま再構築して復活させる」路線で「ありがとう」などを制作。この伝統は現在の「渡る世間は鬼ばかり」に至るまで脈々と受け継がれていく。大山勝美は「ジャーナリスティックな視線・社会の視点から家庭という人間関係に潜む危うさを描きだす」路線として「岸辺のアルバム」等を制作していく。そして久世光彦は、「あえてアメリカ的民主主義が流れ込む以前、戦前の日本の家庭感にまで遡り、それと現代の若い世代とが絶対に相入れない姿、世代間ディスコミュニケーションのリアルを描き、それをギャグにして笑い飛ばす」という路線で「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」などを制作する。「時間ですよ」は70年代に既に過去のものとなっていた銭湯が舞台、「寺内貫太郎一家」は石材店、「ムー」は足袋屋の話である。それぞれが相入れない若い世代の代表として、グループ・サウンズ出身の堺正章、長髪にベルボトムのジーンズを履いた西城秀樹、王子様キャラのアイドル郷ひろみを抱え込み、古き良き時代の家庭感が成立しないありのままの現実を笑いの対象として提出する。

春日氏の分析に従って以上のように読み解けば明確だろう。そう、「時間ですよ」は「ホームドラマ的(民主主義的)世界観」が崩壊した現実を笑い飛ばすための「ホームドラマのパロディ」なのである。パロティとしてホームドラマそのものを突き放すメタ視点を導入するために、堺正章らのギャグや脱衣所のヌードが絶対に必要なのだ。

しかし、話はここで終わらない。「時間ですよ」は単なるパロディに止まらず、パロディを通じて民主主義的価値観を再構築する試み、イデオロギーが崩壊した現実を笑い飛ばしながらその現実にもう一度向き合う試みなのである。もはや民主主義のパロディとしてしか存在しない現実を、パロディ的ドラマを通じて描き出す試み。現実がすでに冗談なのだから、冗談のドラマを描くことで「現実が冗談として存在してしまうという現実」を直視するのである。ここではもはや、「ドラマの外にある現実/ドラマの中のファンタジー」という単純な二項対立は成り立たない。テレビを消して窓の外から見える現実が既に「話し合いによって問題を解決すること」が不可能となった「うそ」の世界であって、その「うそ」をドラマという「うそ」で忠実に再現することによって「本当のこと」を浮かび上がらせる、マイナスとマイナスをかけてプラスを生み出す実験が「時間ですよ」なのである。現実がダメだからといって盗んだバイクで走り出したところで、「ダメな現実」と「現実からの逃避(ファンタジー)」という出口のない二項対立を強めるだけで、そこから何も生まれることはない。自由になれた気がした15の夜はあくまで自由になれた「気がした」だけなのである。

(後編に続く)

葛生賢治(くずう けんじ)
1970年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒用後、サラリーマン生活を経て渡米。2000年ボストンカレッジ大学院哲学科修士課程終了。2007年ニュースクール大学院哲学科博士課程終了。ニューヨーク市立大学哲学科非常勤講師を経て、現在東京にて執筆活動中。フリーウェブ雑誌「OUR」チーフエディター。専門はアメリカンプラグマティズム。博士論文の表題は「ジョン・デューイ哲学における宗教性」。趣味は駄洒落づくり。代表作は「オジー・オズボーンの叔父におスボーン履かせてちょうだい」。