ロックと悪魔 第二十六回 地域文化との融合 北欧の場合黒木朋興

来たる2021年3月26日(金)、ブラック・メタルの中核的存在であるノルウェーのバンド、メイヘム(Meyhem)を描いた映画『ロード・オブ・カオス』が日本でも封切られる。この公開を記念して、今回は予定を前倒し、第二十六回目の原稿をアップすることにする。

本来は前回「メタル狩りとの闘争1』に引き続き第二十五回まで、アメリカのヘヴィメタル文化に対する弾圧運動を詳細に取り上げる予定であった。だが、映画の公開に合わせて、ブラック・メタルシーンだけでなくその背景となっている北欧文化について、整理しておくことは、メタルだけではなくこの映画のファンにとっても有意義ではないかと考えた次第である。

文化の受容

一つの文化が産まれた地を離れ異なる文化の中に組み込まれる際、元の文化には存在しないその地域に独自の要素が付け加わり、その土地の文化土壌に即した形で発展していく。文学研究の世界で「受容」の問題系として知られるテーマである。

キリスト教の悪魔は旧約聖書から新約聖書の時代にかけて、神に敵対する存在として発展したことは既に見た通りである。そして、同じキリスト教の流れの中でも、カトリックとプロテスタントでは悪魔表象の仕方は大きく違うことも、これまでに詳細に分析してきた。思想的背景が違えば描き方にも変化が生じるのである。

そもそもヘヴィメタルが、悪魔表象が盛んなプロテスタント圏であるイギリスの地で産声を上げたのも決して偶然ではない。また、同じプロテスタント圏であっても、福音派が強い勢力を誇るアメリカにおいては、当然ミュージシャンたちはキリスト教保守層との文化的闘争を通して自らの創作活動を行うことを余儀なくされる。特に、悪魔表象を積極的に行うメタル音楽はキリスト教原理主義者たちによって目の敵にされている存在なのだ。ヘヴィメタルはそれぞれの土地の文化に根ざした要素を取り入れつつ、各地で独自の発展を遂げている。

さて、ヨーロッパの重要なプロテスタント圏に北欧諸国がある。質の高いロックバンドを数多く輩出していることで知られているが、中でもヘヴィメタルのとても盛んな土地としても有名である。以下、北欧のブラック・メタルについて見ていこう。

北欧文化とは

北欧諸国は、現在でこそ質の高い教育制度を備えた社会民主主義的な国家体制を誇り、スウェーデンのIKEAやEricsson、フィンランドのNokiaなどで知られるハイテク産業が盛んな土地として知られている。ところが、地図を一見して分かるように、元々はヨーロッパの最果てにある辺境の地である。

東方貿易がもたらした文物を糧に発展したルネサンスと呼ばれるヨーロッパの文化運動は、まず多数の貿易港を備えるイタリアの地で起こり、それが南仏に広がり、アルプスを越えスイスの地に入るとライン川にそってフランスやドイツを通りオランダに到達した。鉄道のない時代には、河川は重要な交易路であった。ライン川やドナウ川のような国際河川もなく、また地中海から遠い北欧の地は、文字通り辺境だったのである。

ここで「確かな情報がない時にリスクを取ることは出来るのか?」( https://www.centre-cournot.org/img/pdf/prisme_en/Prisme%20N°16%20March%202010%20(331.3%20KiB).pdf )という確率論の論文でピエール=シャルル・プラディエが紹介している地図を見てみたい。12世紀にイスラーム圏からヨーロッパにもたらされた「リスク」という言葉がヨーロッパ各地にどのように広まったかを示した地図である。この言葉はアルジェリアのベジャイアの港からイタリアに届いた積荷に書いてあった「rizq」という言葉から派生したイタリア語の「resicum」を基としている。元のアラビア語の意味は不明だが、「resicum」はこの時代のヨーロッパで「fortuna」の同義語として使用されていたという。「fortuna」が「企画された航海が好ましい結末になるように願い求める神の御加護」に関わる言葉だったのに対し、「resicum」は「事業への投資の結果を引き受ける出資者に当てられた」言葉であった。「fortuna」が信仰に関わる言葉であり、「resicum」が商売の用語であったと言えるだろう。1193年が初出のこのイタリア語の「resicum」は、15世紀から16世紀にかけてパリやライン川沿いのフランス、ドイツやオランダの地に広まり、1557年にはイギリスのロンドンに到達する。対して、北欧諸国に伝わるのは1850年以降とある。また、プラディエによれば、この言葉のヨーロッパへの伝播の軌跡は、アラビア数字のそれと重なっているという。数字を使って、リスクを考慮し利益を計算する必要があった商人たちによって各地に広められたと言えるだろう。リスクと数字はまさに文化がヨーロッパ各地に伝播していく様の一例と考えて良い。この例から見ても、北欧が辺境であったことが分かるだろう。

また、17世紀フランスの哲学者デカルトが晩年にスウェーデン女王クリスティーナの要請でストックホルムに講義をしに赴き、その地で風邪をこじらせ亡くなるという逸話を思い出しておきたい。王族が講義のためにフランスの学者を招聘したということからも、北欧が決して文化の中心ではなかったことがわかる。

北欧文化といえば、何より、神話が挙げられる。現在もなお多くの芸術・創作関係者に偏愛されている重要な北欧文化である。北欧神話とは、ローマ帝国末期以降ヨーロッパ各地に定着したゲルマン人たちが、キリスト教化する以前に信仰していた神々に関する物語体系だ。北欧の地は、フランス、イギリスやドイツなどヨーロッパの他地域に比べてキリスト教化が遅かったおかげで、先住文化の神話が元の状態に近い形で保存されているとされる。北欧神話は、例えば、映画『ロード・オブ・ザ・リング』で有名なJ・R・R・トールキンの小説『指輪物語』を始め、日本においても諌山創の漫画『進撃の巨人』などの作品に影響を与えていることで知られている。また、ゲルマン人の筆記体系であったルーン文字も、アクセサリーを始め、様々な創作活動に応用されることが多い。例えば、前述の『指輪物語』や魔法使いを主人公としたJ・K・ローリングの『ハリーポッター』などが挙げられる。あるいは、北欧と言えばヴァイキングが有名だが、幸村誠の漫画『ヴィンランド・サガ』では、キリスト教化する以前のヴィキングたちの信仰世界、すなわちヴァイキングたちが名誉の戦死を遂げた上で主神オーディンの宮殿であるヴァルハラへ昇天することを望む様子が描かれている。

北欧神話は、キリスト教とは異なった、それ以前の信仰世界の基層にある異界の象徴である。キリスト教の説く理性的な信仰ではなく、土着の文化が持つ妖しくも魅力に満ちた異次元世界は、キリスト教を光とすればまさに闇を孕んだ部分として今もなお西洋の精神世界で重要な役割を果たしている。

理性の光の届かない闇、という文化が、創作活動に豊かな材料を提供してくれるのは確かである。日本の妖怪物語や西洋のファンタジー文学などが挙げられる。水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』やミヒャエル・エンデの『はてしない物語』などを見れば、闇の文化がいかに豊穣な実りをもたらしてくれるのが分かる。だが、文化の暗部だけあって、この闇はナチズムという文字通りの闇文化の温床ともなったことにも注意したい。『ニーベルングの指環』などに見られるように、ヴァーグナーが楽劇の題材としてゲルマン神話を取り上げたのは有名であるし、反ユダヤ主義に走ったこの楽匠の芸術をヒトラーが熱烈に愛聴したことも知られている。また、ルーン文字もナチズムのいくつかのシンボルマークに採用されているし、現在もなおヨーロッパの地で蠢くネオナチの諸団体にも好まれていることを指摘しておきたい。

ノルウェーのメイヘム(Meyhem)

北欧の地にメタル音楽が流入した時、彼の地に残る神話文化がミュージシャンたちの創作に多大な影響を及ぼしたことは想像に難くない。そもそも、神話の神々はともすればキリスト教によって悪魔の列に落とされる存在であることを思い出しておきたい。

ここではブラック・メタルを創始し初期のブラック・メタルシーンを牽引したことで名高いノルウェーのメイヘム(Meyhem)を取り上げる。ブラック・メタルはこのメイヘムを始めとして、ロック音楽が反キリスト教=悪魔文化の文脈のもとヨーロッパの極右運動と連動していった軌跡を示してくれる。商業主義に背を向け、アンダーグラウンドの領域でひたすら創作と自己表現に精進することを自らに課すブラック・メタルのミュージシャンたちの悪魔崇拝は、単なる演出や装飾の域を超え、やがてキリスト教会に対する過激なテロ活動へと発展していった。

ノルウェーは、995年に即位したオーラヴ一世と1015年に即位したオーラヴ二世によって、それまでの土着信仰が駆逐され暴力的にキリスト教が導入された歴史を持つ。20世紀末のキリスト教信仰一千周年を目前に控え、ブラック・メタルは攻撃目標を教会に定める。キリスト教こそが、元々ノルウェーの人々が信仰していた神々を排斥し土着文化を弾圧しに来た侵略者に他ならない、と考えたのである。こうして、ブラック・メタルとその支持者たちは教会の焼き討ちを開始する。1992年6月6日未明、ファントフト教会に火がつけられる。12世紀に建設された重要な史跡であった。以後、次々と重要な歴史的価値の高い教会が放火される。これらの凶行に手を染める若者たちはブラックメタル・インナーサークルと呼ばれ、当時のヨーロッパ社会に少ない衝撃を与えた。ブラックメタルのミュージシャンや支持者たちは、こうしてテロリズムに傾倒していったのである。しかしこれらの凶行は集団による組織的なものだったわけではなく各人が突発的で行うものに過ぎず、犯行は法則性が希薄で手掛かりも少なかったので警察の捜査は困難を極めたという。

そのノルウェーブラック・メタルの中心的存在がメイヘム(Meyhem)だ。メイヘムは1983年、オイスタイン・オーシェト、通称ユーロニモスによって結成される。1985年にはデモアルバム『ピュア・ファッキイン・アルマゲドン (Pure Fucking Armageddon)』をリリースする。1991年4月には当時ヴォーカルを務めていたペル・イングヴェ・オリーン、通称デッド(Dead)が剃刀と猟銃で自殺をする。それに続く1992年には、前述の教会焼き討ち事件が頻発し、1993年ファーストアルバム『De Mysteriis Dom Sathanas(サタン様の神秘について)』のレコーディング中に、ベースのヴァルグ・ヴィーケネスがユーロニモスを刺し殺すという事件が起こる。商業音楽のシーンに背を向け、ひたすらアンダーグランドの世界で活動を行なっていたブラック・メタルのミュージシャンは、コープスペイントと呼ばれる屍体や悪魔を模した化粧や過激なライブパフォーマンスを特徴とすることで知られていたが、メイヘムの場合、バンド内で実際に自殺や殺人事件が起こってしまったわけだ。このような事件にもかかわらず、このアルバムは被害者のユーロニモスが創設したデスライク・サイレンス・プロダクションから発売された。

ヴァルグ・ヴィーケネスは逮捕され、ユーロニモス殺害と三軒の教会への放火の罪を問われノルウェーでは最高刑となる懲役21年を言い渡される。また、エンペラー(Emperor)のドラムを務めるファウストも同性愛者を刺し殺した罪と教会への放火で懲役14年の刑を受ける。ヴィーケネスの逮捕をきっかけに、ブラックメタル・インナーサークルの犯行が白日の下となり、数々の暴行と教会への放火の罪で何人ものメンバー服役することになった。

彼らのうちのすべてが明確に悪魔主義の思想を掲げていたわけではない。しかし、彼らの攻撃対象がキリスト教の教会であることを考えれば、彼らの態度は反キリストということになる。反キリストが悪魔の同義語であることは改めて言うまでもない。また、彼らがキリスト教を土着の北欧神話に基づく信仰世界への侵略者と見なしていることも、多神教の神々の中にはキリスト教会によって悪魔の列に落とされたものがいることも既に指摘した通りだ。そもそも悪魔主義といったものが明確な定義を持った思想ではない。少なくともキリスト教とそれに基づく社会秩序に反発するものたちが、悪魔主義者のレッテルを貼られているというわけだ。

なお、バンドメンバーを刺殺したヴィーケネスであるが、服役中にメタル音楽とは決別し、思想的にはヨーロッパのネオナチへと傾倒していくことになる。ルーン文字などのゲルマン神話にまつわる文化がネオナチたちを魅了し続けていることを思い出しておきたい。

De Mysteriis Dom Sathanas

ここで、具体的に『De Mysteriis Dom Sathanas(サタン様の神秘について)』所収の同名曲をとりあげる。このジャケットにはニーダロス大聖堂の写真と悪魔を表す逆さ十字を 
あしらったMaihemの文字が踊っている。

具体的に歌詞を見てみよう。ラテン語のタイトルを持つこの曲の歌詞は英語とラテン語で書かれている。下の訳のうち、太字で示した部分がラテン語からの訳である。

https://genius.com/Mayhem-de-mysteriis-dom-sathanas-lyrics

ようこそ!

また最古の廃墟へと
風が深い森の傍で囁く
暗闇は我々に道を示してくれるだろう

空は暗くなり、
我々と同じく13人
我々は悲壮な面持ちで一冊の本の周りに集う
人肉でできた(本)

現世に平和はない- 現世に平和はない
悲しきロバに隠された神秘について
太古の昔に書かれたもの

血の本は書かれたページを開く
我はデーモンからなる主の末裔に祈りを捧げる
我々は白い目で
儀式の進行を見守る

犠牲を要求する王よ
石の棺桶の輪の中に
我々は黒い服を着て立ち
汚れた水の入った器を捧げている

現世に平和はない - 我々にヤギを持ってこい
魂を召喚する場所で、時代の終わりにより聖なる祭司、
残酷な魔法使いの混合物である私は要求する
生けるものすべての死を

このラテン語が少し変なのである。辞書を片手に訳そうと試みたものの辞書に載っていない単語がいくつかあり、正直、筆者の実力では太刀打ちの出来るものではなかった。そこでフランスに住む共同研究者の言語学者フランスソワーズ・ドゥエ氏に助けを求めた。ドゥエ氏によると、確かに無茶苦茶なラテン語ではあるが、可能性として、キリスト教化する以前のスカンジナビア半島で使われていた土着の中世ラテン語であることは排除できない、とのことであった。つまり、二つの可能性があるということである。一つめは、ミュージシャンたちに十分なラテン語力がなくいい加減に文言を書き綴ったという可能性であり、もう一つは、このラテン語がローマの時代から11世紀まで北欧で独自に発展を遂げた言語体系かも知れないという可能性だ。実際「血の本は書かれたページを開く」の部分の英語は文法的には確かに正しくはなく、ノリで言葉を並べただけであることが窺い知れる。というわけで、いい加減なラテン語である可能性は否定できないが、ことの真偽はアーティスト本人たちに質問する以外はないであろう。ただ、ブラック・メタルの音楽の特徴は音数の多いドラムのビートとギターリフにあり、ヴォーカルはほぼ唸るばかりで歌と言ってもほとんどメロディも聞き取れないばかりか、歌詞も聞き取ることもほぼ不可能であることを言い添えておく。

いずれにせよ、キリスト教化する以前の北欧文化に対する彼らの憧憬を垣間見ることができる歌詞であり、このことからも北欧独自の文化が北欧のヘヴィ・メタルに独自の色彩を与えていることが分かるだろう。

サムラ・ママス・マンナ(Samla Mammas Manna)@R.I.O.

19世紀までヨーロッパの辺境に過ぎなかった北欧が誇る優れた現代文化の一例としてスウェーデンのサムラ・ママス・マンナを紹介しておきたい。彼らは1978年にイギリスの前衛的なロック・グループ、ヘンリー・カウの招きに応じて開始されたロック・イン・オポジション(Rock in Opposition)に参加した5つのバンドの一つである。ヘンリー・カウはイギリスのバンドであり当時ヴァージンと契約していた。しかし、ロック音楽が商業音楽会社に牛耳られアングロサクソンのバンドばかりが市場に流通し、大陸ヨーロッパにも優れたバンドがたくさんあるにもかかわらず、そのほとんどがほぼ無視されている状況に疑問を感じ、大資本による市場に頼らず自分たちでネットワークを作り音楽活動を行なっていこうとしたのである。この5つのバンドとは、ヘンリー・カウとサムラ・ママス・マンナの他、イタリアのストーミー・シックス、フランスのエトロン・フー・ルルーブランとベルギーのユニヴェル・ゼロであった。

R.I.O.は運動としては短命に終わるが、ここに関わった各バンドやメンバーは、その後、世界中の前衛ロック運動を牽引する役を担うことになる。その重要な芸術運動の一角に北欧のバンドが参加していることからも、20世紀における北欧文化の発展ぶりが分かるだろう。

黒木朋興(くろき・ともおき)
[出身]1969年 埼玉県生まれ
[学歴]フランス国立ル・マン大学博士課程修了
[現職]慶應大学等 非常勤講師
[専攻]フランス文学 比較修辞学 大学評価
[主要著書]『マラルメと音楽 ―絶対音楽から象徴主義へ』(水声社、2013年)『3・11後の産業・エネルギー政策と学術・科学技術政策』, 日本科学者会議科学・技術政策委員会編(共著 八朔社、2012年),『グローバリゼーション再審ー新しい公共性の獲得に向けてー』(共編著 時潮社、2012年), Allégorie(共著 , Publications de l'Université de Provence, 2003)