ロックと悪魔 第二十三回 メタル狩りとの闘争2黒木朋興

ヘヴィメタルのミュージシャンたちは悪魔を信奉しているわけではないし、それどころか経験な信徒すら存在する。にもかかわらず、彼らは原理主義的な立場を取る福音派のキリスト教徒たちの格好の攻撃の的となってしまった。例えば、日本でもアニメのファンが性的犯罪を起こすとか、ゲームの愛好者は犯罪の温床であるなどといったように、サブカルチャーは時として保守的な人たちの偏見に曝されることはある。新しい文化が奇異の目で見られ、理不尽な非難を浴びてしまうのは古今東西よく見られる現象だろう。

サブカルチャーへの偏見と攻撃

しかし、アメリカと日本が決定的に違うのは、キリスト教徒が神の実在を前提に世界を捉えていることだ。つまり彼らにとっては悪魔とは映画や漫画で我々の恐怖心を楽しませてくれる想像上の怪物では断じてなく、実際に存在し人類に災をもたらそうと画策している現実の脅威なのだ。そして、ヘヴィメタルのようなサブカルチャーの愛好者は、信徒にとって悪魔に唆された悪魔の手先以外の何者でもない。例えば、道の真ん中で奇声をあげて刃物を振り回している人物がいたら、取り押さえてそれなりの処分を下して欲しいと思うのは当然だろう。先鋭的な信徒たちの目に、ヘヴィメタルバンドのTシャツを着て道を歩いているファンたちは、暴れる通り魔のように凶悪で理不尽な存在のように映っているのである。

ただ、1980年代のPMRC運動はあくまでも要請であり、法的な強制力は伴っていなかった。ところが、1990年代に入ると、ヘヴィメタルへの弾圧とそれに対する抵抗運動は法的な場へと進出していくことになる。『魔獣の鋼鉄黙示録 ― ヘビーメタル全史』のイアン・クライストは言う。

1990年代、ヘビーメタルのおもだったアーティストたちは議会に対して選挙法改正を訴えた。1980年代にPMRCによって開かれた歌詞検閲に関する公聴会の影響はまだまだ大きかった。アメリカ社会の全体で魔女狩りをするようにメタルを糾弾する例がいまだに散見された。それを先導したのは、洪水や飢饉と同じように悪魔や魔女も実在すると信じる根本主義のキリスト教信者たちである。1970年代に大量のレコードを火に投じた宗教組織-教会指導者が若い信者からヘビーメタルのアルバムを没収し、夜間にこれを燃やす儀式をした-の多くが、1990年代には反メタルの十字軍を率いて、立ちあがり、告訴、起訴が相次ぐこととなった。

例えば1988年の日本では、連続幼女誘拐殺人事件が起こり、社会を震撼させるという事件があった。この時、逮捕された犯人の部屋から大量のホラー映画やアニメのヴィデオテープが見つかったことから、このような趣味を持つ者たちへの偏見が撒き散らされることになった。この事件に限らず、猟奇的殺人や通り魔事件が起こる度に、犯人の自宅にどのような本、DVDやゲームなどが置いてあり、犯人がどのような趣味の持ち主かが報道され、特定のサブカルチャーと犯罪の結びつきが語られるのは日本でもお馴染みの光景だろう。もちろん、ただの偏見に過ぎないわけだが、それでも報道の威力は侮れないものがある。

1984年7月4日、ニューヨーク州ロングアイランドの森の中で17歳の少年の惨殺死体が発見された。翌5日、17歳のリッキー・カッソと18歳のジミー・トロイアーノが逮捕された。リッキー・カッソはあっさりと犯行を認め、悪魔に殺せと命令を受けたという驚愕の供述を行い世間を驚かせる。麻薬の売人として金を稼いでいた彼は、拘束時にAC/DCのTシャツを着ていたという。

1985年8月31日、アメリカの西海岸を騒がせていた連続殺人犯リチャード・ラミレス、通称ナイト・ストーカーが逮捕される。このあだ名は彼が熱狂的なファンであったAC/DCの「ナイト・プラウアー」に因んで付けられたという。カトリック系の家に出自を持つ彼自身は悪魔崇拝者であったと伝えられているし、その延長にヘヴィメタルへの関心があったという。

悪魔を崇拝するヘヴィメタル愛好者が行った衝撃的な殺人事件は、PMRC支持者たちを煽り立てた。既に何回も述べたように、ヘヴィメタルのミュージシャンだからと言って、決して悪魔崇拝者というわけではない。しかし、猟奇的犯罪者が悪魔を信奉しており、更にヘヴィメタルのファンであったがために、ヘヴィメタル界全体が悪魔の手先と見なされ、攻撃を浴びることとなったのである。更に、リッキー・カッソが麻薬の密売人であったことは決定的であった。ドラッグに溺れたり犯罪に手を染めたりするのは、悪魔の誘惑の所為なのである。ヘヴィメタルはその誘惑の急先鋒であり、まさに若者を堕落させる悪魔の音楽というわけだ。これらの犯罪者たちはヘヴィメタル弾圧者たちに、堕落したサブカルチャーから青少年を守らなければならない、という大義名分を与えてしまったことになる。

凶悪な犯罪者がある特定のサブカルチャーのファンである場合、それを犯罪の温床と見なして攻撃を加えることがあるのは、日本でもアメリカでも変わらない。しかし、日本では動機解明を求める論者によって凶行者が抱える心の闇などという表現が多用され曖昧な議論が展開されていくのに対し、アメリカでは熱心なキリスト教徒の中の少なくない人たちが犯人は悪魔の誘惑に負け心を操られた結果犯行に至ったのだと考えるということを指摘しておきたい。すなわち、このような凶悪犯罪は明確に悪魔からの攻撃と見なされるのである。

ヘヴィメタルが悪魔崇拝文化だとすれば、当然、それに立ち向かう人々は正義の集団ということになる。正義の名の下に行われる特定の文化への弾圧というのが陰惨なものになることは想像に難くない。更にここで重要なのは、そのような悪魔というのが想像の産物だとか心の闇のように曖昧模糊としてものではなく、多くのキリスト教徒にとっては実在する存在であることは、改めて繰り返しておきたい。神も悪魔も決して肉体などの物質として出現するわけではなく、あくまでも霊的ではあるが、それでも現実に存在するものなのだ。

カルト対カルト?

更に、警察関係者が狼煙をあげる。彼らは各地の法廷でヘヴィメタルシーンが悪魔を崇拝するカルト集団の温床になっていると証言してまわったのだ。中でも元警察官でカルト対策の専門家を自称するデール・ギリフィスなる人物は雑誌で「子供たちが殺されている。行方不明者が何人も出ている。ありとあらゆる種類の悪事が横行し、アメリカが蝕まれている」と警鐘を鳴らした。また、警察官に配られる小冊子のヘヴィメタリストのページには「年齢層は幅広く、8歳から24歳までと考えられる。現在のところ、学校のほとんどで最大の集団である……。彼らは麻薬を大量に使用する……。多くは建設的な行動への意欲をもたない。麻薬を購入する費用を作るために窃盗におよんだり、自分で麻薬取引に関わったりする」とある。つまり、ヘヴィメタリストとは悪魔を崇拝するカルト集団で、窃盗や麻薬に手を染めることもあり、まさに社会にとっては害悪であり除くべき存在だということだ。ただの犯罪集団ではなく悪魔に操られているカルト集団と見なされていることが重要だろう。そのような悪魔の誘惑から若者を守るためにヘヴィメタルのような悪質な文化は取り締まらなくてはならないというわけだ。実際、『サタン・ハンター』という本には以下のような記述があるという。

ヘビーメタル、あるいはパンクの文化に入りこんだ子供は、親に向かってよくこんな態度をとるようになる。 « オレはやりたいようにやる。どこかへ行っちまえ。ほっといてくれ » とくにメタルを愛好した場合には九割以上が麻薬に関わることになる

彼らは、あくまでもカルトからアメリカ社会を守ることを大義名分に掲げているが、正直に言って神の名の下に特定の文化を弾圧する彼らの方がカルトがかっているとは言えないだろうか?

このような状況下、民間の更生訓練センターが不安に煽れられた親たちの関心を惹き始める。不良少年少女を教育し厚生して社会に戻すというわけだ。80年台のアメリカで成長産業として注目されたこれらの施設は、90年台になり司法の捜査の対象となり、その結果、彼らの人権侵害が白日の下に晒され多くの施設が閉鎖に追い込まれた。これらの施設には、ヘヴィメタルのファンだけではなく、罪もない多くの若者が放り込まれたのである。

日本でも、戸塚ヨットスクールといった民間の矯正施設の事件が有名である。訓練生の相次ぐ死亡に対して警察の捜査のメスが入り、戸塚宏校長を始め複数のコーチが起訴され裁判の結果有罪判決が下された。また、他にも不登校や引きこもりの人間に対していき過ぎた指導で死亡者を出し裁判沙汰となった更生施設がいくつもあることは報道によって広く知られていることと思う。もちろん日本の場合は悪魔との戦いという要素はまったくないことは改めて言うまでもない。

ヘヴィメタルのファンが悪魔の手先だというのは、確かに根も葉もない偏見に過ぎない。だが、日本とアメリカの大きな違いは、キリスト教徒は神と悪魔の実在を前提としているということだ。悪魔の誘惑から若者たちを救い、正しいキリスト教の信仰へ彼らを導くことが社会正義だと信じて疑わない人たちが大勢いるのがアメリカ社会なのだ。

繰り返し述べているように、ヘヴィメタルのアーティストたちは必ずしも悪魔主義者ではない。むしろ常識を絶対視せずに社会問題を真剣に考えていたとさえ言えるだろう。例えば、イアン・クライストは次のように言っている。

ブラック・サバスに始まるヘビーメタルは、人びとの潜在意識をくまなく探るような歌詞をうたった。そして、ジューダス・プリーストからメタリカにいたるメタル・バンドは、ゲーテやニーチェなどの異端的な作家の著したものをモチーフに、陰鬱と破滅を織りこんだ楽曲をプレイした。神と悪魔のことを真剣にとらえ、じっくりと考える若者たちは、当然の成り行きとしてヘビーメタルに傾倒した。

キリスト教の教祖イエスは、当時の保守的なユダヤ教の常識に抗い、アウトサイダーであった善きサマリア人を慈愛に満ちた人であると誉め、娼婦として蔑まれていたマグダラのマリアを神の愛に値すると説いた。常識を疑いつつ社会正義を考える人たちと神の名の下に文化を抑圧するものたちの、どちらをイエスは支持するであろうか? 

前にあげたPMRCによるいかがわしいロック音楽のリストにあるトゥイステッド・シスターの「ウィアー・ノット・ゴナ・テイク・イット」の歌詞には「我々は自分で選ぶ権利を手に入れた。それを手放すわけがない。[…] 我々は正義を振りかざす権力と戦うつもりだ」とある。この曲のプローモションヴィデオでは、トゥイステッド・シスターを聴く我が子を高圧的な態度で叱り飛ばす保守的な父親をバンドの面々がぶっ飛ばし、家族を父親の支配から解放するというストーリーの映像を見ることができる。このヴィデオの冒頭の芝居の部分でこの父親はトゥイステッド・シスターを愛聴する息子に対して「お前は自分の人生をどうするつもりなんだ?」と問い詰める。対しては息子は「ロックがしたいんだ」と答え、演奏が始まる。彼らアメリカのミュージシャンたちが何に対して闘っていたかをよく象徴している映像だと言えるだろう。(https://youtu.be/V9AbeALNVkk

ここでトゥイステッド・シスターのディー・スナイダーがPMRCの公聴会で述べた言葉を引用しておきたい。

私は30歳、既婚で、3歳の子供がいます。私はキリスト教徒として生まれ育ちましたし、今もなおその教えを守っています。信じようが信じまいが、私はタバコは吸わず、お酒も飲まず、ドラッグもやりません。私はトゥイステッド・シスターというヘヴィメタルとされるロックンロールのバンドで演奏し、曲を書いています。私は自分の書いた歌に誇りを持っていますが、それらの曲は上で触れた私の信念と全く矛盾するところはありません。(http://www.thing.net/~david/PMRC/p73.html

改めて問いたい。善きキリスト教徒なのはどちらであろうか?

黒木朋興(くろき・ともおき)
[出身]1969年 埼玉県生まれ
[学歴]フランス国立ル・マン大学博士課程修了
[現職]慶應大学等 非常勤講師
[専攻]フランス文学 比較修辞学 大学評価
[主要著書]『マラルメと音楽 ―絶対音楽から象徴主義へ』(水声社、2013年)『3・11後の産業・エネルギー政策と学術・科学技術政策』, 日本科学者会議科学・技術政策委員会編(共著 八朔社、2012年),『グローバリゼーション再審ー新しい公共性の獲得に向けてー』(共編著 時潮社、2012年), Allégorie(共著 , Publications de l'Université de Provence, 2003)