十分でわかる日本古典文学のキモ 第八回 『日本永代蔵』(下) 助川幸逸郎

いっけん「自己啓発本」、実態は「心の闇を暴露する書」

「太平の世」になりつつある同時代の社会になじめない――そんな「はみだし者」の手がけた「成功のハウツー本」。それが『日本永代蔵』です。

 そういう作品ですから、語りくちは屈曲しています。たとえば、巻一の第三話「浪風静かに神通丸」。『永代蔵』は二十五の短編から構成され、そのひとつひとつがまた、いくつかの挿話からできています。この「波風静かに~」も例外ではありません。その締めくくり部分に配されるのは、ぱっとみたところでは典型的な「致富成功譚」。主人公は、シングルマザーと彼女の息子です。若くして夫と死にわかれ、冴えない容姿のせいで再婚もかなわない女がいた。ひとり息子を抱えて貧乏ぐらしを強いられるなか、彼女はふと、米蔵のまわりに散らばるくず米に目をとめる。これが生涯の転機でした。くず米をひろいあつめ、じぶんたちで食べきれないぶんを売りさばくうち、金がたまりはじめる。息子も母親に感化され、幼い時分からあきないに熱中する。大人になると息子は、業界屈指の両替商になりあがりました。

 金もうけには、些細なこともみのがさない注意力が大事――うわっつらをなでると、この話はそういう「教訓物語」に映ります。しかし、ほんとうにそうなのか、わたしはうたがわざるをえません。人間心理のダークな部分に、筆がついやされてすぎているからです。

 息子が金貸しとしてのしあがると、それまで彼を馬鹿にしていた連中まで媚を売ってくる。そうなってもまだ、意地のわるい連中は、「この男は生まれがいやしい」といって息子をおとしめにかかる。だが、彼はさらに裕福になり、大名屋敷にも出入りしはじめた。この段階にいたるともう、悪口をいうものはだれもいません。出世していく人間へのこのような「へつらい」や「やっかみ」――それを語りとることばのほうが、「この親子はどうやって出世したか」の説明より、読む者の心にササるのです。

 巻二の第一話『世間の借家大将』では、ケチに徹して財をなした、藤市という男の生きざまが語られます。彼は正月の餅も、じぶんでつくのは労力のむだといって餅屋から買う。このとき、つきたてをすすめられても頑として拒みます。店ではたらく若者が、うっかりつきたて・・・・を引きとろうもののなら猛然と怒りだす。そして、一刻(=二時間)ほど立ってからもういちど餅屋を呼びつけて、目方をはかりなおさせます。冷めた餅は、水分が蒸発するので、つきたてよりも軽くなる。「代価は軽くなったあとの目方で払えばよいはずだ」。藤市はそういって、餅屋に過払い分の返金をもとめるのです。

 そんな男ですから、血をわけた娘にも、いっさいおしゃれをゆるしません。文芸のごとき「金にならない趣味」からも遠ざけ、じぶんとそっくりのどケチに仕立てあげる。

 ある年の正月七日、七草の節句の日に、近隣に住む三名が「金もちになる方法」を藤市のところへ訊きにきました。この客たちにも彼はお茶ひとつ出しません。そうして、「こうやってものを惜しんだから長者になれたのだ」とうそぶくのでした。

 この物語もいっけん、「金を貯めるには倹約が第一」という「教訓ばなし」に映ります。けれども実際に、藤市のようなから・・がいたらどうでしょう。たとえば、餅屋にとって藤市は「上客」といえるでしょうか。こちらの負担にまったく配慮せず、なんども店員を自宅によびつける。代金の値切りかたもえげつない――藤市のことを、「かかわらないですむのならそれに越したことはない相手」とおもっていたはずです。

 藤市の娘はどうでしょうか。服装は「安くさえあればいい」というセンスで、話題も蓄財のことばかり。なにをするにも、鬼のようにコスパを最優先させる。

 20年ほどまえ、わたしはある塾ではたらいていました。そのときの同僚に、藤市の娘にキャラの似た女性がいました。子どものころから、「しっかりしている」といつもいわれていたのが自慢。講師室で口にする話題は、基本的にふたつきりしかない。「節約ばなし」と、まもなく婚約する予定の彼氏をいかに教育したか、です。

「彼氏ったらこのまえ、セレクトショップみたいなところできゅっぱ・・・・もするワイシャ買ったんですよ! だから、イトーヨーカドーならちきゅっぱ・・・・・だよって教えてあげたんです!」

 ところが、教育がいきすぎたせいか、彼氏はそのひとのもとを去っていきました。彼女は、立ちなおれないほど衝撃をうけたようです。とくに、彼氏とドライブしてすごした時間がどうしても埋められない。

 貯金を切りくずして、そのひとは新車を買いました。二座のオープンカーのなかで、当時もっとも値段が安かったダイハツのコペン。何か月ものあいだ、休みの日がくるたびに、彼女はひとりコペンを駆って箱根をめざしていたようです。

 藤市の娘も、じっさいに生きていたら、そのひとのような「挫折」に直面したにちがいありません。

 じぶんのためにぜいたくはするな、ただし、ひとさまのためには、労力もモノもなるべく惜しまないほうがいい――「蓄財術」を説く現代のビジネス書にも、たいてはそう述べられています。「あなたが成功するうえで重要なのはあなたではなく、社会があなたのパフォーマンスをどう捉えるかだ」(アルバート=ラズロ・ハラバシ『ネットワーク科学が解明した成功者の法則』)。これこそ、「金もちになる方法」の真実です。周囲の反感を買い、社会とうまくつながれない。そういう人物が金もうけに執着しても、志をとげるのは困難である。これは東西古今、変わることのない絶対法則です。

 藤市のやりかたにならっても、幸せになるのはむずかしいでしょう。それではどうして西鶴は、こんな「現実にいたら成功しそうにないドケチ」に筆を費やしたのか。

 ながい目でみれば、じぶんにとっても損なのは明白なのに、その場かぎりの利得に執着する。わたしたちのだれもが、そういうワナにはまるあやうさを抱えています。人間の心のうちにひそむ「ウンザリする部分」の戯画カリカチュア――西鶴が藤市をとおしてえがこうとしたのは、じつはそちらだったのではないでしょうか……

かねかねをもうける世のなか」へのいきどおり

 金と人間にさめたまなざしをむけ、そのありようを底のほうまでみすかしている。それでいてその非情な認識を、あからさまに書くことはいさぎよしとしない――矛盾を抱えた西鶴の姿を彷彿させるのが、巻二の第三話『才覚を笠に着る大黒』です。

 この話の主人公・新六は、豪商の跡とり息子でした。けれどもいつしか遊蕩にふけるようになり、破産して夜逃げするはめになります。このときまず、小野の里で犬の亡きがらをもらいうけ、それから音羽山のふもとに行って農夫に声をかけた。「これは、三年のあいだ食餌にくふうをし、疳のくすりになるようそだてた犬である。わけまえをやるからこれを黒焼にしてくれ。」そんなデタラメをいって手にした犬の黒焼をたずさえて、新六は江戸をめざします。道中、黒焼をくすりといつわって売りさばき、これを旅費にして品川についたのが六十二日目の夜。時刻もおそいので、東海児の門前で野宿したところ、そばで寝ているホームレスたちとしりあいになった。

 この三人のホームレスは、三人とも「没落した元・金持」でした。

 ひとりは、大和国竜田の里から来たつくり酒屋。地元で相応に成功し、100両の金をためたので、江戸に出て勝負をかけようとした。親戚、友人がこぞって止めるのを押しきって、呉服町に店をだしたものの、老舗のように上等の酒はつくれない。しまいには廃業に追いやられ、故郷にかえる旅費もない身となった。

 いまひとりは泉州堺の出身。文芸、音楽、遊興、すべて一流の師にまなび、ただ世わたりのすべ・・だけはだれにもならわなかった。それがたたってどの職もながつづきせず、一文なしの境遇に落ちぶれた。

 さいごのひとりは、親の代からの江戸っ子。年に600両の家賃がとれる家主であったのに、倹約をおこたって、じぶんの棲家までなくしてしまった。

 新六は三人の身の上ばなしを聞き、ゆくすえの相談をもちかけます。三人は、江戸で商売をする心得を新六に伝授。これにしたがって露店の手ぬぐい屋を新六は開業しました。

 新六は、ただ手ぬぐいを売ったのではありません。下谷天神の境内、手水鉢のすぐ脇に店を出したのです。参詣客たちは、「縁起もの」だとおもって、よろこんで手ぬぐいを買っていきました。売りたいものに、どうやって付加価値をうわのせするか――そこに商売のキモがあることは、だれもが知っている常識です。「宗教」は「推し」とならんで、もっとも強力な「付加価値の源泉」。新六はこれを、最大限に活用したのでした。

 手ぬぐいのあきないに成功した新六は、ふたたび「長者」とよばれる身分にのぼりつめます。そうして、街いちばんの知恵者として、まわり中から頼られるようになった。新六の幸福なゴールを語って、一篇は幕をおろします。

 この話のプロットをひとくちでいえば、「新六の没落とV字回復」といったところでしょう。ニセモノの黒焼を売って江戸への旅費にする。下谷天神の威光を借りて大もうけする。この男はたしかになかなかの「知恵者」です。頭がよければ、いちどは落ちぶれても再起できる。これが言いたくて西鶴は、本作を著した。物語の大枠をたどるなら、たしかにそんなふうにもみえます。

 けれども、新六がさいしょに江戸でことばを交わした、ホームレス三人組。彼らの存在が、どうしても気にかかるのです。

 いちばんはじめに紹介される、地元で酒づくりに成功し、江戸で力をためそうとして没落した男。たしかに非運ではありますが、志が道をはずれていたわけではありません。二番目の、世わたり以外、すべてを一流の師にまなんで身につけた男。彼ぐらい豊富なスキルをそろえていて、どうして最低限の暮らしも立てられないのか。三番目の土地もちだった男は、ふるい名家の出。そういう生まれなら、倹約をまなぶ機会がないのもしかたありません。彼の欠点らしい欠点は、倹約を知らないというその一点だけ。にもかかわらずこれにたたられて、路上生活者になるところまで追いこまれた。

 彼らを大過なく生きさせない、世のなかに対するいきどおり。「没落三人衆」をえがく筆致からわたしが感じるのは、むしろこちらのほうです。

 じっさい新六は、三人組に相談にのってもらったあとでこんな問いを投げかけます。   

「あなたがたほど頭がよくて、こんなになってしまわれたのは不思議です。何をなさってもどうにかなりそうですのに。」

 三人組は、つぎのようにこたえるのでした。

「江戸はひろくて、知恵者も多い。それに、かねかねをもうける世のなかだから。」

 銀が銀をもうける世のなか――西鶴の作品に、このフレーズはくりかえし登場します。たとえば、晩年の『西鶴織留』には、こんなくだりがある。「銀が銀をもうける世になって、かしこくて才能のあるものより、資質は平凡であっても、元手をしっかりもっているひとが、利益をあげる時代になった。」

 戦場でカラダをはって、手がらをたてる。そういう在りかたができなくなっただけでなく、無一文から知恵だけで長者になるのも、もはや不可能。「金」という「長いもの」にどれだけ上手に巻かれるか。商売の成否はそこにかかっている。そもそも、それなりの「元手」のもちあわせがなければ、「長いものに巻かれるゲーム」に参加すらできない。

「かぶき者」に共鳴する西鶴は、このような時勢を耐えがたいおもいでみていたことでしょう。その無念さを、「没落三人衆」に託して表明した。わたしには、そんな気がしてなりません。

「死にそこねたかぶき者」の「仮面の告白」

「長者経=金もちになるためのハウツー本」。すでにふれたとおり、日本永代蔵はそういう看板をかかげています。

 しかし、時代はすでに「銀が銀をもうける」ステージにすすんでいる。元手がなければ「長者経」を読んでも金もちにはなれません。それをわかったうえで西鶴はこのような本を書いた。「読者をたぶらかしている」と非難されても、反論はむずかしいところです。

 ウケそう副題をつけることで、すこしでもたくさん売りたかった。そういうおもいも、西鶴にはいくらかあったでしょう。ただし、それだけなら、もっとわかりやすい「成功本」をでっちあげたはずです。人間性や社会の暗黒面。「成功術をかたるためのスパイス」とうけとめるには、『永代蔵』は度をこしてそこにこだわっています。

 平穏無事をよしとする世のなかに反発し、無茶をやってわかくして身をほろぼす。そこに「かぶき者」の本懐はあります。純正の「かぶき者」たちにくらべれば、すこしばかりやんちゃもやらかしているとはいえ、じぶんはぬるい。西鶴は、そう感じていたにちがいありません。商売をやっていたころに貯めた小金で暮らしを安定させる。そのうえで、俳諧や物語づくりといった「毒にもクスリにもならないいとなみ・・・・」にかまける。カラダを張って天下をさわがせた赤穂の浪人たちにくらべると、西鶴の生きざまはたしかに「小市民的」です。

「小市民」のじぶんが、声高にいまの世のなかへの不平を口にする。「かぶき者」の美意識に照らしあわせると、これはカッコウよくありません。わるくすると、「年金が減ったと愚痴る老人」みたいにみえてしまうおそれがある。

 知恵と度胸で風雲を巻きおこす。もはや時代的にゆるされなくなっているそうした志が成就するのが、『永代蔵』の世界です。まだしも夢がもてた「逝きし世」の面影を、いまなお生きつづけているもののごとく活写する。「よけい者の大ボラ」をよそおってそれを記すなかに、いまの世のやりきれない部分への告発をまぎれこませる。「かぶき者」に共鳴しながら、ひとおもいに破滅できない半端者。西鶴はそんな自覚とむきあいつつ、「反現実の世界」として『永代蔵』をつづったのでした。

 そもそも、危険に身を投じて命をなくしてしまったら、何かを記すことはできません。破滅にひきよせられるもの書きほど、「破滅しきれないじぶん」と直面せざるをえない。このとき形成される「卑怯者」という自責の念。西鶴の胸は、これにむしばまれて穴だらけになっていた。

 太宰治や織田作之助といった戦後の混乱期に活躍した作家が、西鶴につよい関心をしめしています。太宰は、西鶴の作品を元ネタにした二次創作をあらわしている(『新釈諸国噺』)。織田作も、西鶴の作品をすべて読み、長文の西鶴論を書いています。「卑怯者」とみずからを苛みながら、生きのびて筆にしがみつく。そういう西鶴に、「破滅型」と評されもするふたりの小説家は、「同類の匂い」を感じたにちがいありません。

助川 幸逸郎(すけがわ こういちろう
1967年生まれ。東海大学文化社会学部文芸創作学科教授・岐阜女子大学非常勤講師。おもな著書に『文学理論の冒険』・『光源氏になってはいけない』・『謎の村上春樹』・『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』・『教養としての芥川賞』(共著)・『文学授業のカンドコロ』(共著)などがある。