バター抜きは「ドライ」 第4回 カムチャッカより近く、ボストンより遠く葛生賢治

ボストンという街は、留学するまで僕にはまったく縁もゆかりも無い場所だった。アメリカの大学院に進もうと思い、全米中の大学院からめぼしいところをピックアップして応募し、受かったところがボストンカレッジだけだった。ボストンに行った理由はそれだけである。その街がマサチューセッツ州にあるということすら、それほど意識したことは無かった。まさちゅーちぇっちゅちゅう、あ、舌噛んじゃった、くらいなもの。

だから暮らしてから最初のうちは、異国情緒とでも呼べるような感覚をずいぶん楽しんだ。うわ、こんな煉瓦造りの建物が並んでるのか、路面電車が味わい深いな、それにしても人がみんな穏やかだな、東京と違って時間がゆっくり流れてるな、と。「自分はこの国ではガイジンなんだし」という開き直りもあってか、全てが物珍しいし、その珍しさを楽しめる余裕があった。

渡米した翌年の4月、コロラド州のコロンバイン高校で銃乱射事件が起きた。学生2人がキャンパスで銃を乱射し、教師を含む13人が死亡。犯人2人も自殺。このショッキングな事件に当時のメディアは大騒ぎで、連日テレビや新聞、インターネットのニュースサイトはこの話題で埋め尽くされた。ガス・ヴァン・サント監督のカンヌ映画祭グランプリ作品「エレファント」はこの映画を元につくられているし、マイケル・ムーア監督の「ボウリング・フォー・コロンバイン」はこの事件を扱ったドキュメンタリーだ。

それまでの「異国情緒」に浸る気持ちや「アメリカにお客様としてお邪魔してる」という意識は一気に吹き飛んだ。僕は「あのアメリカ」、子供の頃テレビの「衝撃映像スペシャル」などで見ていた銃犯罪とドラッグとロックンロールとハンバーガーとギャングスターの国に身を置いているんだ、と。まあ、いささかステレオタイプな見方だけれど。でも僕がそこで感じたのは不思議と「異国にいる」という意識ではなく、「自分はいまこういう社会に属しているのだ」という、ある種の一体感だった。

僕が通っていたボストンカレッジはアメリカでも有名なカソリック系・イエズス会の大学である。イエズス会といえばフランシスコ・ザビエルが有名。日本の上智大学とは姉妹校の関係だ。キャンパス内には教会も立ち並び、教室には十字架のイエス像がかかっている。コロンバイン高校の事件の数日後、授業を受けていたら校内アナウンスがあった。「今回のコロンバイン事件の犠牲者を弔い、これから鎮魂歌を流します。お祈りをお願いします」と。数千名の学生が授業を受けているキャンパスが一斉に沈黙。グラウンドの方からバグパイプによる「アメイジング・グレイス」のメロディーが流れる。数分間、全てが止まる。演奏が終わると、キャンパスはまた静かにいつもの役割りに戻っていった。

僕はキリスト教徒ではないけれど、宗教うんぬんとはまた別な一体感、「コミュニティー感」をつかんだ気がした。縁もゆかりも無い国のとある街に身を置いているだけの自分も、さらに縁もゆかりも無い、そこから遠く離れた州のどこかの街で失われたものを共有したような。傷がついてしまった自分のコミュニティー、自分の世界を、わずかながらでも引き受ける責務を感じたような。本当にわずかであっても、世界に対して何かしらのレスポンスをしなければ、という感覚。

対照的な経験を渡米前にしたことがある。留学する前、僕は東京でサラリーマンをしていた。そこそこ有名な大学を出てそこそこ有名な企業に務めていた僕は、それら全て投げ打ってアメリカの大学院に留学、しかも専攻は哲学、という「暴挙」に出たかたち。まわりの人たちにとってはかなり珍しいことだったらしく、辞めるときには職場の人にいろんなことを聞かれた。お世話になった他の部署の係長だった人にご挨拶に行った際、こんな会話をした。

「君、会社辞めるんだってね。聞いたよ。」
「はい。お世話になりました。」
「辞めてこれからどうするの?」
「アメリカに留学します。」
「へー、そうなんだ。留学して一体何を勉強するの?」
「はい、専攻は哲学です。」
「哲学??へえー、そうなんだ。哲学ってどんなこと?」
「えっと、一言で説明するのは難しいですけど、世界のいろんなことを深く追求したり、分析したり、です。最近では『脱構築』なんて概念とかが有名です。」
「だつこうちく??ふーん、『解脱』じゃなくて?あはは。」
「、、、。」

その一年前にはオウム真理教信者によって地下鉄にサリンが撒かれ乗客12人が死亡するという事件が起き、日本中が大騒ぎになっていた。「解脱」というのはオウム真理教が使っていた悟りを表す仏教用語。「脱構築」というのはフランスの哲学者ジャック・デリダが展開したコンセプトで、社会的権力に対して批判を加える強力なツールとなる考え方。要するにその係長さん、「なんだか分かんねーけど危ないことするなよ」って言いたかったのだろう。もちろん、哲学書を読む習慣でもない限り、日本で脱構築なんて言葉を知る人はいない。別にそんなことを期待してはいない。僕が言葉を失ったのは、自分にとって「なんだか分かんねーこと」を全て一緒くたにして、「意味ない」とするどころか「なんか知らんけど危ない」とする態度、そしてそれをしれっと言い放ち、笑って済ませる態度だった。疎外感。同じ文化と同じ言葉を持ちながら、これほどまでに「異」なるものに対面したことは無かった。ああ、おそらくこの人とは分かり合えない。目の前にいるのにカムチャッカ半島あたりにいる人と糸電話してる感覚。あの係長さん今頃どうしてるのだろう。きっと幸せな毎日を送っていらっしゃると存じます。益々のご多幸をお祈り申し上げます。なむなむ。おててとおてての皺を合わせてしあわせ。なーむー。

コミュニティー感、ってどういうことだろう。どうやって人は「自分はこのコミュニティーに属している」という感覚をつかむのだろう。生まれながらにして属している国や地域、人種、ジェンダー、世代といったものがコミュニティーを決定することが多いけれど、多くの場合は外から、社会的条件としての役割りを果たすだけである。意識の深いレベルで「このグループの一員だ」という感覚を生み出すかどうかは別の話。逆に、僕のように「異国」と思っていた場に「つながった感」が生まれる場合も多いだろう。

以前よくやっていたmixiでは、サイト上で様々な「コミュニティー」を作ることが出来た。「スコティッシュフォールド飼ってる人コミュ」「あき竹城ファンの集い」「エビフライにはタルタルじゃなくて醤油派」等々。地域、職業はもちろんのこと、趣味、嗜好品から日常のこだわりに至るまで、グループを作って書き込んで楽しむという。これらが「コミュニティー」だとすれば、SNSが出来る前からその種のものはたくさんあった。コミケを代表とする「同人」と呼ばれるネットワークやカルチャースクール、地元の草野球チームなど。人は何かしらの好みを共有する人たちとグループを作り、交流をして楽しむ。

でも、グループってコミュニティーだろうか?

誤解される可能性を先取りして補足したいのは、グループに属することが「そのまま必ず」コミュニティーを結成することにはならない、ということ。もちろん、同じ草野球チームに属するメンバー同士が生涯の友となってお互いを触発し続けるということもあるだろうし、趣味友だちが世界観を共有して、「生き方」を共有する「共同体」を作る場合もたくさんあるだろう。だからといって、「コミュニティー感」を築くのには「グループに属すること」だけでは不十分な気がして。プロのバスケットボール選手には背が高い人が多いけれど、背が高いからといってプロの選手になれるとは限らない。グループに属していなくてもコミュニティーに属する、という場合すらあるような気がする。

女性の知り合いから面白い話を聞いたことがある。その人、美人だった。道を歩いていたら10人中8人の男性は振り向くような。顔だけでなく、語弊をあえて承知で言えば「日本人離れした」プロポーションの持ち主で、身長は170センチ弱。外国人の男性と付き合うことが多かった。現在はアメリカ人男性と結婚して幸せな家庭を築いてるそうな。そんな彼女がデパートのアクセサリー売り場へ行ったときのこと。気に入ったイヤリングがあったので店員の女性に見せてもらおうと声をかけたら、いきなりその店員に「あ、はい。お似合いになると思いまっすよ」と吐き捨てるように言われた。「思いますよ」ではなく、コンビニの前にしゃがんで道につば吐いてるバイク好きの若者が「まじバイトだりぃ」と言う感じで、「思いまっすよ」と。イヤリングを見終わって、その店員が付けていたイヤリングがかわいいと思った彼女、「あ、あなたの付けてるイヤリングも素敵ですね」と言ったら、その店員すかさず自分のイヤリングをはずして差し出し「5000円でいいっすよ」と吐き捨てるように言った。何が起きていたのかというと、店員の女性もアクセサリー売り場で働くにふさわしいほどの容姿で、客の彼女も美人。お互いが「美人コミュニティー」に属していることを瞬時に見切り、それでいて客の彼女のほうが「上の段」だった。「その道」を進む者どうし、お互いがお互いを瞬時で見切る。武士が一瞬の間合いでお互いの腕を見切るように。勝負あった。ワシの負けじゃ、さあ切れ。なあに安心せい、とどめまでは射さぬ。

かっこいい。そして怖い。って怖いかどうかは別として、コミュニティー感の一端を見た気がした。彼女たちは「美人」として認められてしまうがゆえ、周囲からの様々なアクション、それが喜ばしいものであろうとなかろうと、ある程度似通ったアクションを受けて、相通ずるものを感じるのだろう。それだけだったら、持って生まれた特徴によって同じグループに入ってるという点で「東北出身」「背が高い」などと同じである。でも、「美人コミュ」の人たちは同じグループにいることで「おてて繋いでみんな仲良し」という関係にはならない。ある意味、全員がライバルであって対戦相手、しのぎを削る者同士でありながら、同時にお互いの最大の理解者でもある。

あんまり美人うんぬんを引っ張ると問題あるかなと心配になってきたのでちょっと違う例を挙げると、アメリカを中心としたヒップホップアーティストたちも「コミュニティー感」でつながった集団だろう。ラップミュージックはニューヨークのブロンクス、「ゲットー」と呼ばれる抑圧された人たちのコミュニティーから力強いうねりとなって生まれたムーブメントである。アフリカ系アメリカ人の抑圧の歴史と直結しているという意味では「持って生まれたもの」によってグループにされてしまった側面がある。と同時に、ヒップホップミュージックを特徴づけるのは「ディスり」と呼ばれるバトルともメッセージともとれる応酬だろう。お互いがアフリカ系アメリカ人の文化スピリッツ体現者としての自負があり、こだわりを持つ。独自のスタイルを自分たちのアイデンティティとする。違うスタイルには一言投げる。ディスりから抗争へ発展することもある。ヒップホップを特徴づけるのはその緊張感だ。外からの圧によってある程度のサークルを作りながら、決して馴れ合いにならない。常に中からの緊張感という圧が働く。鉄は常に打たれていて、熱く鈍い光を放っている。

そういう意味では日本のお笑い芸人の世界も「コミュニティー」だろう。「笑っていいとも!」最終回で舞台にタモリ、とんねるず、ダウンタウン、明石家さんま、ウッチャンナンチャン、爆笑問題が一度に登場したときの、独特の緊張感と熱量が全てを物語っている。連帯感と緊張感の共存、である。

ボストンでアメイジング・グレイスを聴いた時に僕が感じたものは、「痛ましい事件が起きて悲しいねえ」というような単なるセンチメンタリズムでは無かった。危ない国にいるのだという「異国感」でも無かった。自分がいまいるこのキャンパスだって、明日には同じことが起きるかもしれない、という運命の共有感。と同時にそんなことを起こしてはいけない、という焦燥感。外からの「追い込まれ感」と、内からの「なんとかせねば感」。その間で何かしらの落としどころが見つかったような。僕は「いまここ」に生きている、これからここで生きていく、と。

なんて、ちょっとかっこつけすぎだろうか。なんだかんだ言っても結局は「解脱」を目指してアメリカに渡った人って見られてるわけだしねえ。あの時の係長さん、見てますか。お元気ですか。幸せですか。最高ですか。

葛生賢治(くずう けんじ)
1970年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒用後、サラリーマン生活を経て渡米。2000年ボストンカレッジ大学院哲学科修士課程終了。2007年ニュースクール大学院哲学科博士課程終了。ニューヨーク市立大学哲学科非常勤講師を経て、現在東京にて執筆活動中。フリーウェブ雑誌「OUR」チーフエディター。専門はアメリカンプラグマティズム。博士論文の表題は「ジョン・デューイ哲学における宗教性」。趣味は駄洒落づくり。代表作は「オジー・オズボーンの叔父におスボーン履かせてちょうだい」。