バター抜きは「ドライ」 第8回 魔の登山、他者の言葉と太郎夫妻葛生賢治

「驚いたわよ、ケンジ。あなたが最初に書いたことと比べたら今回のものは別次元で。一体どこへ行ってきたっていうの?」

セミナーが終わり、教室を出ると友達が話しかけてきた。そのセミナーは、卒業に向けて後は博士論文の執筆のみ、という段階に入った学生が受ける「博士論文準備セミナー」。毎週、順番で学生が自分の執筆テーマを短くプレゼンし、他の学生からの質疑と批評を受け、より充実したものへと練り上げていくためのものだった。博士論文の執筆は博士号取得のための最終関門で、そのハードルたるや本当に高い。セミナー参加者が他の学生から受ける「質疑と批評」とは名ばかりで、実際は「君の論文テーマは意味がない。そんなもの書く必要は全くない。それはこういう理由だ」と四方八方から矢継ぎ早に反論(というより論破)が飛んでくるのを必死に防御し、論破返しをし、我が陣地を死守できた者が最終的にゴールにたどり着ける、という具合。「ゴール」と言っても、「その博士論文を書いてもいい」というスタートラインに立てる権利を与えられる、というだけ。戦場へ入るための入場券が渡されるに過ぎない。

セミナーでプレゼンする機会は二回。最初のものへもろもろ反論を受けた結果を踏まえて、もう一度だけする。そこで上手いことテーマが練り上げられなければ「後は知りません。せいぜい頑張ってね」という感じでセミナーは終了となる。博士論文にはもちろんそれぞれ指導教授というのが付くけれど、教授は何も教えてくれない。学生が考えたアイデアに批評とちょっとしたアドバイスを与えるだけである。基本的に全て自分でする。アメリカの哲学科大学院は「学校」というよりも「若手学者養成所」という感じなのだ。

上のセリフは僕が二回目のプレゼンを終えた後に友達が言ってくれたことだった。「どこへ行ってきたの?」というのは、おそらくトーマス・マンの「魔の山」あたりのことを引き合いに出していたのだろう。山の上のサナトリウムでの経験の後、山を降りた主人公カストルプ青年が別の人間になっていたかのごとく、僕もどこかマジカルスペースへ行っていたのかと思われるくらい、二度目のプレゼン内容が別次元並みに良かったということらしい。ありがたい。

一回目の発表は、それはそれはひどい出来だった。

書こうとすることのフォーカスが絞りきれてないことは自分でも分かっていて、テーマとして練られていないものだった。いま思い出しても恥ずかしくなるくらい、自分としても未熟なもの。僕は引け目を感じながらおそるおそる発表し、質疑応答に。これから将来プロの哲学者としてやっていこうとしている大学院生の前では僕の不準備なプレゼン内容なんて、無数の狼の前に放たれた子羊のごとし。マイケル・フェルプスが自由形で泳ぐ横でビート版にバタ足で水泳する者のごとし。トム・クルーズ主演「トップガン」の後に見る織田裕二主演の自衛隊を舞台にした映画「ベストガイ」のごとし。スピルバーグの「ジュラシックパーク」の後に見る安達祐美主演「REX」のごとし。逆に質問やコメントは少なかったくらい。「もうこれ以上聞いてもかわいそう」とでも思われたのか。ひえー。思い出したくない記憶のひとつ。

これはいかんと。何とかせねばと。

次の日からものすごい量の本を読み、思索をひたすら繰り返した。前にも書いたけど、その頃の僕の生活は学校とアパートと図書館の三角形をぐるぐる回るだけの毎日。特に図書館にいる時間が長かった。僕が通ったニュースクールと提携しているニューヨーク大学の図書館ボブスト・ライブラリー(Bobst Library)は学校の近所のワシントンスクエアパークに面しており、地上十数階、地下二階まである巨大施設で、地下フロアは24時間利用できてインターネットも完備。提携してることから、うちの学生証があれば自由に使用できる。その地下階の閲覧室で何度朝を迎えたことか。そこに住んでいたと言ってもいいような毎日。

二回目のプレゼンが迫っていたが、考えがいまいち上手にまとまってきてるとは言いがたい。うーんうーんと唸り続ける。どうしたものか。これでどうか。いや、待てよ。これはこうだからダメか。じゃあ、これは。いや、これだとこうだから。うーん。

いよいよ二回目のプレゼンの前日になった。本来であればその日までに発表内容をまとめたレジュメをセミナー担当教授に提出しておかなければならない。でもどうしても間に合わなかった。教授の研究室にそのむねを伝えに行くと、ムッとした表情で「ふん」という感じ。やばい。マジでやばい。なんとしてでも明日のプレゼンを成功させなければ。

アパートへ戻り、それまで数ヶ月に考えたことを原稿にまとめる。正直言って、頭の中はまだ混乱している。このアイデア、というのはあるものの、それをどう体系的に並べて論述しどうゴールを目指せば良いか、まだ見えず。見切り発車で書き始める。

一回目の発表から数ヶ月かけて積み上げた考えを、背中にイヤな汗をかきながら文字に落としていく。すると、悪戦苦闘で書き進めながらも、途中で自分の中にある変化が起きつつあるのに気づいた。

最初のプレゼンが未熟なものに終わった原因は、自分なりに分かっていた。個別にこういうアイデアがこうだとか、こうでないとかいう次元ではなく、僕にはもっと大きな次元の「見取り図」が見えていなかった。これこれこれは、こう。これこれも、こう。で? それら諸々のアイデアが結局のところ示すのは、どういうこと?という。様々な枝葉が分かれ、それぞれの放物線を描きながら巨大なネットワークを形作るなかで、最終的に枝葉たちが集約する点はどういうことなんだ、と。僕がぶち当たっていた壁は言うなれば、並み居る哲学者の集団を前にして、どういうセリフを言うかではなく、どういう態度で向き合うか、という根本的な問題だった。いわば「哲学をする意味とは何か?」という。

その態度を決めないことには、プロ哲学者コミュニティーに入ることができない。逆に、僕に求められていることとはその態度を決めることだったのだ。僕はなぜ哲学を学ぶのか?なぜ知恵を愛するのか?

キーボードで文字を叩きつけるうちに、書き方に変化が訪れる。もはや僕は「僕がなぜ知恵を愛するのか」だけを問題にすることは許されない。自分なりの愛し方なんて、日記にでも書いていれば良いことだ。もっと大きな「絵」を見据えて、自分がどう愛するかではなく「愛するとは何か」の次元に触れるもの。おそらくあの哲学者コミュニティーに属する者が共有しているであろう、知恵を追う者が取る態度。知恵ハンターの生き様。それを見据えながら文字をつむぐ。

子供の頃にテレビで見た二人羽織を思い出した。前にいる人の背後で羽織をかぶり、両手だけを羽織から出して前の人に蕎麦やら何やら食べさせる。自分が何をつかんでいるのか、自分の手がどこへ向かっているのか、見えない。前の人の顔はこの位置だろうから、おそらくこの角度で良いのだろう。おそらくこのあたりだろう。哲学者たちの態度を頭の中でぼんやりと浮かべ、彼らの輪の中に入って会話を続けるとしたら、おそらくこういうことを言うだろう。彼らはこれに対してこう応対するだろう。ここを言ってくれと要求されるだろう。僕は自分の両手で文字を生み出しながら、どこか自分の手が「他者」の手であるような、羽織の前にいる人間の手を借りているような感覚につつまれてた。

外国語を学んだことがある人なら誰もが一度は経験する感覚に似ているかもしれない。「apple」ほど馴染みのある単語なら多くの日本人は、いちいち「和訳」を必要せず瞬時に意味が頭に浮かぶだろう。でも「proposition」は?「serenity」は?「heuristic」は? 辞書で調べ、それぞれ「命題」「沈着」「発見的教授法」と意味を見つける。でもいまいちピンとこない。前後の文脈を見てみる。この単語の前にはこういう言い回しがあって、これはこういう意味合いで言われてるな、あ、そっか、じゃあこれはこういう意味なのか。そこで初めて「単語の意味を理解する」ことになる。つまり、言葉を理解するというのは言葉がどう使われるかを理解することなのだ。

江戸時代の侍が現代にタイムスリップして初めてスマートフォンを見たら、それが何か全く理解できないだろう。「スマートフォンとは電話通話やネットができる道具なんですよ」と説明したところで、何も伝わらない。「電話」とは? 「通話」とは? 「ネット」とは? 「道具」とは? それぞれさらに噛み砕いて説明する必要がある。どんどん説明していって最後に侍が理解したとすれば、彼がそこで理解したのは「スマートフォンという言葉の意味」ではなく「スマートフォンと呼ばれる物体が人にどういう風に使われているか」なのである。これはつまり、「スマートフォンを使って生活する現代人の生活」という大きな文脈の中にあるそのスマホの位置、使われ方、人がスマホにどうかかわっているか、それを包括的につかんだことなのだ。拙者、この「スマートフォン」と呼ばれる箱には全く馴染みがござらぬ。でもこれでもってこの時代では人々が話をしているのでござろう、と。

言葉の理解とは、その言葉が使われる場での「使われ方」の文脈をつかむことなのだ。

英語圏を中心とした哲学の中で語用論という分野がある。例えば「この部屋はちょっと熱いですね。」と太郎さんが言ったとしよう。そのセリフで彼は何を意味しているのか? もしも言葉の意味というものがその「使われ方」「それぞれの単語が現場でどう使われるか」から切り離されて存在するとすれば、辞書さえあれば太郎さんが言いたかったことを100%当てることができる。「この」「部屋」「は」「ちょっと」「熱い」「です」「ね」「。」 全てを細かく分析し、その意味を辞書の中から見つけるだけで、全て解決。もしも人間の使う言葉というもののが全てこの方法で理解できるとすれば、あとは辞書のデータをウルトラハイパーメガサイズにまで拡張し、ハードディスクが惑星の大きさになるほどにまでメモリを増やしてデータを蓄積すれば、この世にある言葉の全てがコンピュータで翻訳可能になるだろう。だって、言葉にはそれぞれの「正解の意味」が備わっているのだから。高性能なコンピューターを使えば、日本語を全く理解できない人でも太郎さんのセリフは絶対的に理解できることになる。

果たしてそうだろうか?

太郎さんは「ちょっと窓を開けてくれませんか?」という意味で言ったとすれば?

「この」「部屋」「は」等々、どの単語を調べても、どの単語に膨大なデータをタグ付けしても、結局のところ太郎さんが言わんとしていたところ、つまり「太郎さんがどういう意味でそのセリフを使ったのか」には至れない。

太郎さんの奥さんが「おとといはあたしがゴミを出したわよね。」と言ったとしたら、彼女は何を「意味して」いるのだろう?「おととい」「は」「あたし」「が」「ゴミ」、、、と、単語とその文法的つながりを全て完璧に分析し、太郎さんが「うん、そうだよ。おとといは君が出したよ。」と答えればいいのだろうか? 奥さんは「今日はあんたが出しなさいよ。」という意味で言ったのに。太郎さんの身を案ずるばかりである。

言葉を理解するのは、言葉が「どういう意味で」使われるか、人々はその言葉という道具と現場で「どういう意味合いで」触れ合っているか、大きな現場というピクチャーをつかむことなのだ。

二人羽織の中でもがきながら、僕は頭にぼんやりと「哲学者だったらこの考えをこういう風に使うはずだ」「こういう問題にはこういう態度を示すはずだ」「こう言えば、僕はこう向き合うように要求されるはずだ」とピクチャーを描いていた。「他者」の手で文字を叩き続けた。

気が付くと窓の外は明るくなっていた。書き終えたばかりの原稿をプリントアウトし、学校へ。教授の研究室のドアの前へ。まだ教授は来ていないようだ。面と向かって提出する勇気はなかったので、好都合だった。ドアの隙間から完成した原稿を滑りいれる。

セミナーが始まる直前に廊下でばったり教授に会った。うわ、何か言われるか。機嫌悪いかな。大丈夫か。

教授は一言。

「Magnificent work. (見事だ)」

数ヶ月後、僕は博士論文を無事完成し、晴れて知恵ハンターとして戦場へ船出することになる。

セミナー後にプレゼンの出来を褒めてくれた学生に「どこへ行っていたの?」と聞かれて、答えに困った。あの時、二人羽織の暗闇の中で僕は文字通り手探りで何をしていたのだろう。僕の両手の「主」である他者に出会っていたのか。

魔の山から現場へ。そこで目にする空間には豊かな色彩が広がっていた。

葛生賢治(くずう けんじ)
1970年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒用後、サラリーマン生活を経て渡米。2000年ボストンカレッジ大学院哲学科修士課程終了。2007年ニュースクール大学院哲学科博士課程終了。ニューヨーク市立大学哲学科非常勤講師を経て、現在東京にて執筆活動中。フリーウェブ雑誌「OUR」チーフエディター。専門はアメリカンプラグマティズム。博士論文の表題は「ジョン・デューイ哲学における宗教性」。趣味は駄洒落づくり。代表作は「オジー・オズボーンの叔父におスボーン履かせてちょうだい」。