ロックと悪魔 第十八回 Black Sabbath2黒木朋興

前回はヘヴィメタルバンド、ブラック・サバスの「ブラック・サバス」という曲の歌詞を参照した。そこでは目の前に現れたサタンに恐怖する一個人の心象風景が描写されており、そこにプロテスタントの特徴が表れていることを確認した。

今回も引き続きブラック・サバスを見ていきたい。実際のところ、彼らは悪魔の曲ばかりを歌っているわけではないのだが、ここではサタンが登場する曲を中心に取り上げる。

War Pigs

まず、1970年9月18日に発表したセカンドアルバム『Paranoid』から、一曲目の「War Pigs」を見てみよう。

https://genius.com/Black-sabbath-war-pigs-lyrics

将軍たちがミサに集まった
黒ミサでの魔女かの如く
破壊を目論む悪しき心
死を組み立てる魔法使いたち
戦場では死体が燃え
戦争機械が稼働し続けている
人類への死と憎しみが
洗脳された人々の精神に毒を流し込み続ける
あぁ、神よ、イエー

政治家たちは逃げてしまう
彼らはただ戦争を始めただけ
なぜ奴らは戦いにうってでないのか?
奴らは戦闘という役目を貧乏人たちに押し付ける
<時>は権力者の精神に語りかける
奴らは単に楽しみのために戦争を起こし
人々を単なるチェスのコマのように扱う
奴らに最後の審判が下る日を待て、イエー!

今や暗闇に包まれ世界は回るのを止める
奴らの死体は燃え灰となる
もはや戦争の豚たちは権力を失う
<神>の手が時を告げる
最後に審判の日、<神>が呼んでいる
地べたで戦争の豚どもが這い回っている
奴らの罪に慈悲を乞いながら
サタンは笑って、翼を広げる
あぁ、神よ、イエー

曲名「War Pigs」を日本語に直訳すると「戦争の豚ども」である。ここで悪とされているのはサタン=悪魔ではなく、世の権力者たちだ。この富裕層や将軍といったこれらの権力者たちが黒ミサに集まる魔女や魔法使いたちに喩えられている。彼らは遊び半分で戦争を始め、しかも自身は安全なところから命令するばかりで、実際には貧しい人々が殺し合い、多くの死傷者を出している。Black Sabbathはこの権力者を悪として批判しているのだ。

この曲が発表された当時、アメリカを中心とする国々と旧ソ連を中心とする共産主義国家による冷戦の真っ只中であり、アメリカはヴェトナム戦争を戦っていた。実際に人々は核戦争の恐怖怯え、東南アジアでの戦争の陰惨なニュースが世界中に厭戦ムードを醸し出していた時代であった。

1969年にアメリカで行われたロックフェスティバルであるウッドストックにおけるスローガンが愛と平和ならびに反戦であったことを思い出しておこう。権力者を突き上げ、戦争を批判する当時のロックミュージシャンと同じようにブラック・サバスもカウンターカルチャーの潮流のど真ん中にいたことになる。

戦争という悪とそれを推進する権力者という悪を糾弾するブラック・サバスは、決して悪魔を崇拝するという意味での悪魔主義者ではない。それどころか、これら「戦争の豚ども」には最後の審判の時に神の裁きが下るだろうと言っていることを考えれば、ブラック・サバスは神の加護を祈る信徒の立場に立っていると言える。神の裁きが下る最後の審判の時が来れば「豚ども」は権力を喪失し地獄に落とされる。そこで彼らを待っているのは翼を広げたサタン=悪魔なのだ。

権力者の圧政に苦しみ、チェスのコマのようにぞんざいに扱われ、人生を弄ばれた貧しき人々は最終的には救われて天国に登っていく。それに対して、現世で栄華を誇った権力者たちは悪魔の統べる地獄へと落とされる。既存の勢力に反抗するカウンターカルチャーの流れに乗りつつも、その根本にはキリスト教の最後の審判の思想を確認することができる。

この曲において、ブラック・サバスは決してサタンの側に立っていない。貧しいものたちへの慈悲を神に乞い、悪人を悪魔に引き渡そうと言う。むしろキリスト教信徒と矛盾しない立場でだと言える。

Children Of the Grave

次に1971年発表のアルバム『Master Of Reality』から「Children Of the Grave」を見てみよう。この曲に悪魔は登場しないが、「War Pigs」と同じように戦争を悪として厳しく断罪している。タイトルの訳は「墓の子供たち」であり、そこには悲惨な世の中が続けば子供たちは墓に入ることになってしまう、つまり死に絶えてしまうという意味が込められている。

https://genius.com/Black-sabbath-children-of-the-grave-lyrics

革命を胸に抱いて、子供たちが歩き始める
彼らが生きねばならぬ世界と
彼らの心にあるすべての憎しみに抵抗して
脇にやられ、するべきことを命令されることに
彼らはうんざりしている
彼らは勝つまで闘うだろう
そして愛が溢れ出す時まで

明日の子供たちは今日落ちる涙の中に生きている
明日の夜明けはどうにかしても平和をもたらしてくれるだろうか?
世界は核の恐怖の影に怯えて暮らさなければならないのだろうか?
彼らは平和のため闘争に勝利するだろうか? それとも消え去ってしまうのだろうか?

だから世界の子供たちよ、私の言うことを聞いてくれ
もし君たちがもっとマシな世界に住みたければ、今日の言葉を広めるんだ
世界に愛はまだ生きていることを示せ、そして君たちは勇敢たれ
さもなければ、今日を生きる君の子供たちは墓の子供たちになってしまう

革命を心に抱くという表現から、カウンターカルチャーの文脈にあることが分かる。また、彼らを滅ぼしてしまうかも知れない脅威の正体とは、核の恐怖であることが明言されている。そして世界が滅びないようにするためには愛を広めるしかない、というのがこの曲の主張なわけだ。

悪魔こそ登場しないが、「War Pigs」の延長線上にこの曲があるのが分かるだろう。悪が勢力範囲を広げるなか、世界が破滅しないように愛を広めることが大切だというわけである。ここにはキリスト教思想の反映やカウンターカルチャーからの影響を読み取ることができる。

ディストーションとパワーコード

次に彼らの音楽的要素について見ていきたい。

ヘヴェメタルの音楽的特徴は、エレキギターのパワーコードと呼ばれる和音に、ディストーションというエフェクターで音を加工した独特のサウンドにある。ディストーションとは日本語では歪んだ音と言われたり、擬音語を用いて「ザクザク」した感じとか「ザッザッ」という音で表される。技術的な言い方をすれば、アンプに入力された信号が回路の限界値を超えて潰れてしまった状態の音のことである。

もちろん、ブラック・サバス以前にもこのようなサウンドはあった。しかし彼らの功績は、このディストーションサウンドを駆使して格好良いギターのリフレイン(繰り返しのフレーズ)を編み出し、それに基づいた楽曲を作ったことにある。

ここで使われるパワーコードとは、1度、5度と8度の3つの音を使った和音のことだ。1度の音がドの時、この和音はド-ソ-ドになる。通常の協和音と呼ばれる和音は1度-3度-5度(ド-ミ-ソ)の3和音になる。つまりパワーコードには3度(=ミ)の音が欠けていることになる。

このパワーコードを平行移動させてリフレインを作っていくのがヘヴィメタルやハードロックの特徴である。特にブラック・サバスは重金属を思わせる重厚なサウンドによるリフレインによりおどろおどろしい悪魔的な色調を楽曲に与えることに成功した。この歪んだギターサウンドによるパワーコードの音色こそ、ヘヴィメタルが現代の音楽にもたらした新しい要素であると言える。

平行5度の禁止

このような3度を抜いた5度音程を平行移動させることは長らく西洋クラシック音楽の世界は禁止事項とされてきた。それを積極的に破り新しい音楽を産み出した作曲家に19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスで活躍したクロード・ドビュッシーがいる。

では、なぜ平行5度が禁止されてきたのかを解説してみよう。1ド-2レ-3ミ-4ファ-5ソ-6ラ-7シ-8ドという音階の上に和音を重ねてみる。1ドミソ-2レファラ-3ミソシ-4ファラド-5ソシレ-6ラドミ-7シレファ-8ドミソとなる。ここから一番下の1度の音と一番上の5度の音を取り出すと、1ドソ-2レラ-3ミシ-4ファド-5ソレ-6ラミ-7シファ-8ドソなる。この場合、上の音と下の音の音程差は減5度の7シファを除いて、ド-ソと同じ完全5度である。対して、一番下の音と真ん中の3度の音を取り出すと、1ドミ-2レファ-3ミソ-4ファラ-5ソシ-6ラド-7シレ-8ドミとなるが、この音程差は、1長3度-2短3度-3短3度-4長3度-5長3度-6短3度-7短3度-8長3度となる。長3度はド-ミと同じ関係で長調、短3度はド-ミ♭で短調の要素となり、この長調と短調の配列で調性感が決まるのだ。ということは、3度を抜けば調性感が定まらなくなるということになる。調性音楽の持つこの調性感こそが、西洋クラシックの獲得した重要な特徴の一つとされているので、それがぼやけてしまう平行5度は好まれなかったと言える。

 更に平行5度が禁止された理由を倍音の問題から考えてみたい。音程のついた音には周波数がある。例えばラの音は440ヘルツとされているが、これは空気が1秒間に440回振動している時の音の高さである。あるいは手拍子の「パン」という音は音の高さはないが、この音を1秒間に440回の速度で打てばラ=440ヘルツの高さの音が得られる。更に、人の声あるいは楽器でラの音を出した場合、実は440ヘルツの音だけが鳴っているわけではなく440 × n ヘルツの音が同時に鳴っているのである。つまり、440 × 1 = 440 ヘルツ、440 × 2 = 880 ヘルツ = ラ、440 × 3 = 1320 ヘルツ = ミ、440 × 4 = 1760 ヘルツ = ラ、440 × 5 = 2200 ヘルツ = ド♯、440 × 6 = 2640 ヘルツ = ミ…の音である。この音の並びのことを倍音列といい、そしてこの倍音の間のバランスによって音色が決まる。(440ヘルツだけの音のことをサイン波と言い、例えば、時報の音で聴くことができる。自然界にはない人工的な音である。)

ここで元の音=第1倍音がドの音の倍音列を表にしてみる。

第6倍音までに西洋クラシック音楽において協和音とされる3和音(ドミソのこと)が含まれているのが分かるだろう。西洋の和声の理論はこの倍音列を論拠として調性音楽を発展させたのである。なお、第7倍音以上の倍音も響いておりそこには短7度(ドとシ♭の音程)なども含まれているのだが、西洋の和声理論は第6倍音までの音だけに限定して理論を構築していると言えるだろう。更に言えば、ブルーズや世界の伝統音楽の中にはこの短7度を強調している音楽が数多いということも付け加えておく。

となると、ド-ソの和音を鳴らした場合、倍音列を考えるとドミソシレという和音がなっていることになる。これを平行移動させると短調がなく長調だけの和音が平行移動することになる。そうなるとドレミファソラシドに和音をつけた時の長/短/短/長/長/短/短/長という調性による起伏が消えて、長/長/長/長/長/長/長/長という平坦なものになってしまう。そこで長3度と短3度の音を入れることによって調性感をつけることが西洋の和声音楽にとっては重要なのだ。もちろん短3度の音を演奏したところで、倍音列の長3度の音は高音域で響くことになるのだが音量が小さいので他の強い響きにかき消されてしまう。しかし演奏をしないとなると倍音列の長3度の音の響きが残ることになる。そうなると調性感が薄まってしまう。以上が、西洋クラシック音楽の世界で平行5度が敬遠される理由だと考えられる。

倍音音名音程 
第1倍音ド-ドユニゾン
第2倍音ド-ドオクターブ
第3倍音ド-ソ完全5度
第4倍音ド-ドオクターブ
第5倍音ド-ミ長3度
第6倍音ド-ソ完全5度

ディストーションギターと倍音

この平行5度がロック音楽で多用されるようになったのは、ディストーションをかけたエレキギターのサウンドに負うところが大きい。歪んだ音には元の音にはない多くの倍音が含まれているのである。というわけで、ディストーションサウンドはハモった協和音の場合には倍音同士が重なり合ってとても魅力的な音になる。ところが、ギターの3度の音程である平均律3度は、きちんとハモらず濁った響きになることに注意したい。(調弦の仕方によってはピタゴラス3度が現れるが、この3度は平均律の3度以上に不協和音である。)つまりギターでドミソの和音を奏でた場合、響きが濁るのでディストーションをかけ音を歪ませるとその濁りが増幅されてしまうのだ。というわけで、歪んだ音を好むロックミュージックにおいては濁った和音を産み出す3度音程は、ディストーションが深ければ深いほど敬遠される傾向が強い。こうして、ロックにおいては3度抜きのパワーコードが好まれるようになったのである。

19世紀末のドビュッシー、フォーレやラベル以降のクラシック音楽やジャズではテンションノートと言われる音を含んだ複雑な和音が使われる。ところがこのような複雑な和音にディストーションをかけると倍音がぶつかり合いごちゃごちゃな響きになってしまう。それに対して、ロックミュージックは複雑な和音ではなく単純なパワーコードが好まれる。それは和音の複雑さではなく、ディストーションを使って今までにない音色を編み出しその面白さを前面に押し出したとも言えるだろう。なお、音をエフェクターと呼ばれる音響器具で変化させ新しい音の響きを提示することにより、音楽に革新をもたらそうとする現代音楽にミュージック・コンクレートがあることを言い添えておく。また、ロックの領域でエフェクターを駆使して斬新な音を紡ぎ出し楽曲を生み出すことで有名なギタリストにキング・クリムゾンのロバート・フリップがいる。

ブラック・サバスが評価されているのは、この歪んだギターによるパワーコードを駆使して重金属を思わせる重厚で格好良いリフレインを紡いだ点である。まさに彼らのリフレインがヘヴィメタルを起動せしめたのである。実際、1981年にアメリカで結成され現在に至るまでアメリカのヘヴィメタルシーンを牽引してきたバンドであるメタリカは、ブラック・サバスのリフレインを高く評価し、ステージでブラック・サバスの楽曲のカヴァーを披露していることを言い添えておく。

まさにディストーションをかけたパワーコードによるリフレインこそ、ブラック・サバスのギタリスト、トニー・アイオミの真骨頂であったわけだ。

ただ、トニー・アイオミのギターソロはペンタトニックスケールを基本としたものであり、それまでのロックギターの延長上にある。ヘヴィメタルのギターソロの革新は、ランディ・ローズというアメリカ人ギタリストの登場を待たなくてはならない。

黒木朋興(くろき・ともおき)
[出身]1969年 埼玉県生まれ
[学歴]フランス国立ル・マン大学博士課程修了
[現職]慶應大学等 非常勤講師
[専攻]フランス文学 比較修辞学 大学評価
[主要著書]『マラルメと音楽 ―絶対音楽から象徴主義へ』(水声社、2013年)『3・11後の産業・エネルギー政策と学術・科学技術政策』, 日本科学者会議科学・技術政策委員会編(共著 八朔社、2012年),『グローバリゼーション再審ー新しい公共性の獲得に向けてー』(共編著 時潮社、2012年), Allégorie(共著 , Publications de l'Université de Provence, 2003)