社会主義入門 第四回 マルクスの社会主義思想(その1)田上孝一

 マルクス以前の社会主義思潮を瞥見し終えたところで、いよいよ本書の中心内容であり、社会主義を考えるに際しての前提的立場となるマルクスの社会主義思想を概説する段となった。ここで注意しなければいけないのは、本書が重視するのはカール・マルクスその人の社会主義構想であって、マルクス主義一般の社会主義像ではないということである。

 ここでいう「マルクス主義」は、マルクス以降にマルクスの思想を継承するものとして始められた思想運動を指すが、その中でも取り分けて、レーニンからスターリンへと継承されて、現実社会主義のイデオロギーとなったいわゆる「正統派マルクス主義」ともいえる思潮が念頭に置かれている。そのため、後に見る旧ユーゴスラビアの「プラクシス派」に代表される東欧社会にかつて存在した革新派マルクス主義や、もっと広く、ソ連イデオロギーに対抗する形で展開したいわゆる「西欧マルクス主義」は数に入れていない。こうした反ソ連的及び反現実社会主義的思潮は、ソ連イデオロギーとは対照的に、その思想的基盤をマルクス自身の著作に求めようとした。革新的なマルクス主義は多かれ少なかれ、自己の思想をマルクス自身の理論に基づかせようという「マルクス原理主義」的な面があった。これに対してソ連イデオロギーにはそうした原理主義が希薄だった。

 確かにソ連イデオロギーはレーニンがそうであったように、ベルンシュタインらの修正主義的方向に対抗して、マルクス主義の本義を強調するという、一見して原理主義を思わせるところがあった。ところがこの「原理主義」は実はマルクス自身の著作にどこまでも依拠するという本来的な意味での原理主義ではなくて、既に予め歪められた形で確立していたマルクス解釈を継承するという意味での原理主義に過ぎなかった。

 そのことを象徴的に示すのはレーニンが、マルクス主義者が真っ先に読むべき著作として『反デューリング論』や『フォイエルバッハ論』といった、マルクスの晩年から没後にエンゲルスの単独で書かれた啓蒙的著作が挙げていることである。こうしてレーニンにとって『反デューリング論』や『フォイエルバッハ論』は、マルクスの思想全体を適切に要約して解説したものとされている。そしてこうした認識はレーニンに限ったことではなく、レーニンのロシアにおける先行者であるプレハーノフは元より、レーニンの主要な論争相手だったカウツキーやベルンシュタイン等の第二インターナショナル系のいわゆる「修正主義」的な論者も含めて、当時のマルクス主義者に遍く共有されていた。つまり、第二インターナショナルの人々もレーニンのフォロワーたちも等しくマルクスの正統な後継者であることを自任し、その上で彼らなりのマルクス主義を展開したが、彼らが自らのマルクス主義の概要を最も的確に知ることができる典拠としたのは、等しくエンゲルスによる啓蒙的著作なのである。

 これはつまり、マルクス主義の主流的な流れにおいてはマルクスとエンゲルスは区別されず、エンゲルスが単独で書いた啓蒙的著作がマルクス自身の神髄を伝えるものとして理解されてきたということである。そして今現在においてもマルクス主義者及びマルクス主義に親和的な政治勢力では、『反デューリング論』や『フォイエルバッハ論』をマルクスの思想を歪曲したものではなく、マルクスの理論的神髄を分かり易く解説した労作として初学者や若者に薦めるのが、一般的であり続けている。

 これに対して西欧や東欧の革新派マルクス主義潮流の中にもやはりマルクスとエンゲルスを当然のように一体視する見方も少なくなかったが、エンゲルスによりマルクスの歪曲を強調する論調も確かに存在した。

 結論的に言えば、こうした歪曲を強調する論調は、その解釈内容はともかくとして、基本方向においては確かに正しかった。我々がマルクスの社会主義論を検討する際には先ずは正しい意味での原理主義的態度、すなわちマルクスの社会主義論を理解するためにはその典拠をマルクスの単独著作か、少なくともエンゲルスとの共著にまでに制限しておかなければならず、エンゲルスの単独著作は二次的な位置付けの文献であり、とりわけ旧来最も重要視されていた『反デューリング論』や『フォイエルバッハ論』はマルクスの思想の神髄を伝えるものではなく、むしろその真意を歪曲して伝えるものだという認識を前提としないといけないということである。

 ではなぜ『反デューリング論』や『フォイエルバッハ論』といった後年のエンゲルスによる啓蒙的著作がマルクスを歪曲して伝えることになったのか?実はこの理由を旧来の革新派マルクス主義は明確にできなかった。エンゲルスには哲学の素養がなくてマルクスの弁証法的思考が理解できなかったというような、明確な論拠を示すのが難しい解釈で終わっていた。

 これに対して私は、エンゲルスの啓蒙的著作がマルクスの思想、なかんずくその社会主義構想に関して明確な歪曲をなしたことのはっきりとした理由をこれまでの著作で提示してきた。それはエンゲルスが愚かだからマルクスの理論が分からなかったなどという粗忽な話ではなく、もっと根の深い社会認識方法の根本的な違いのためである。そしてこの認識のずれは初めからあったのではなく、一人エンゲルスの一方的な変化によってもたらされた。その証拠は晩年のエンゲルスによる数々の証言であり、取り分けて重要なのはエンゲルスが自身の若き日の理論活動に対して自己批判していることである。つまりエンゲルスはその若き日にあってはマルクスと同じ認識方法によって社会主義や共産主義を捉えていたのだが、その根本的な視座をエンゲルスは、マルクスを差し置いて一人自己批判して放棄し、その上で新たに獲得した新たな認識を前提にして『反デューリング論』や『フォイエルバッハ論』を書いたということである。

 ということは後期エンゲルスによる啓蒙的著作はマルクスとは異なる認識論によって書かれているということだ。根本的にものの見方が異なっているのだから、そうした啓蒙的著作はマルクスの正しい解説と見なすことができず、歪曲と判断しないといけないのである。では何をエンゲルスは自己批判し、マルクスとは異なる方法論を採用するようになったのか?

 エンゲルスが自己批判したのは、彼の若き日の著作が、資本家と労働者との具体的な階級対立の根底に、そうした敵対的な人間関係のあり方による人間性それ自体の棄損を見ていたことについてである。1892年という老人となったエンゲルス自身の言によれば、『イギリスにおける労働者階級の状態』は、「共産主義は労働者階級の単なる党派的教義ではなくて、その最終目的が、資本家を含めた全社会の、現在の制限された諸関係からの解放であるような一つの理論である」と結論しているため、実践に悪影響があると否定的に評価される。若きエンゲルスは批判の前提に人間という普遍的な価値を置いたヒューマニズムの立場にあったということである。それは若きエンゲルスがカント以来のドイツ観念論の影響を強く受けていたためであり、その影響は老エンゲルスにとっては今や悪影響と否定的に切り捨てられる。

 つまり若きエンゲルスには資本主義を批判する根底に、資本主義が人間性という普遍的価値を毀損するからよくないというヒューマニズム的観点があり、この批判的観点から資本主義の現実に規範的な批判を加えていた。若きエンゲルスはこうした規範的な批判と実証分析を媒介させて理論を構築させるべきだという視座にあったわけだ。

 ところがこうしたドイツ観念論以来の普遍的規範としての人間を掲げるヒューマニズムは、老人となったエンゲルスには、実践的に悪影響があると見なされる。こうしたヒューマニズムでは資本家もまた一人の人間として、その人間性の疎外が議論される対象になる。そのような敵に塩を送る甘い理想ではなく、ひたすらに階級闘争の現実を見据えて、資本家を打倒していくべきだという話なのだろう。そうすると階級闘争の先にある理想、それは資本家も含めた社会の全員が、疎外されることなく人間性を開花できるようになることのはずだが、そうした理想は考える必要はないということになる。

 ではなぜ理想を考える必要がないのか。それはそうした理想を変革のための指標とするまでもなく、未来はなるようにしかならないからである。そしてこうした歴史における法則的決定への確信こそが、エンゲルスの考える「マルクス主義」の真骨頂である。

 エンゲルスの言うマルクス主義とはマルクスによる唯物史観の発見と剰余価値理論による資本主義での労働者の搾取の解明により、科学となった社会主義であり、先行者のように単なるユートピアではない「科学的社会主義」だとされる。

 この科学的な社会主義では歴史法則が解明されているため、資本主義崩壊の必然性も論証されている。そして資本主義が克服されれば自ずと理想的な状態が実現されるため、ユートピア社会主義者のように未来社会の設計図を事細かく描く必要はないとされた。

 このため旧来の主流派マルクス主義では未来の理想を描くことは忌避され、その代わりに法則への確信と資本主義の否定的事実の描写に終始した。資本主義の悪が余すことなく解明され、悪の体制である資本主義を打倒すれば、自ずと善なる社会主義が実現するとして、未来がどうなるかと細かく予想したり、未来をどうすべきかという規範を提示したりすることは、科学を非科学に後退させるものとして断罪されたのである。

 しかしこれはあくまで自己批判後のエンゲルスと、自己批判したエンゲルスによって構想された「科学的社会主義」としてのマルクス主義に固有な前提であって、マルクスその人には共有されていない。なぜならマルクスはエンゲルスと異なり、若き日の自己を批判することなどなかったからである。

 確かにマルクスも明らかに重要な文脈で、後期エンゲルスと類似した法則決定論を彷彿させる言辞を残している。この意味で、マルクスにもまたエンゲルス同様の歴史信仰的傾向があった可能性は捨てきれない。しかしマルクスの場合はせいぜい歴史の傾向を言ってるのであって、エンゲルスのように確固としたものとは思えない。

 エンゲルスはマルクス没後に、マルクスは社会に対する道徳的非難に代えて歴史の確固とした法則を対置したと評するようになる。しかしこうした道徳と歴史法則をトレードオフにするような観点はマルクスの著作には見られない。実際『資本論』には当時の有名なブルジョアを名指しにしてその人間性の欠如を糾弾するような道徳的非難も見られる。こうした非難はマルクスに限らず今も昔も社会主義や共産主義者の著作にありがちだが、マルクスが先行者と異なるのは、こうした道徳的批判を確固とした社会分析と媒介し得た点である。マルクスは資本主義の本質構造を科学的に分析することと、資本主義における人間の道徳的堕落を断罪してより善い人間のあり方を提示することを、エンゲルスのようにどちらか一方を選択しなければいけないというようには考えていなかった。それは車の両輪のようにどちらも必要なのである。

 このことを端的に示すのは、『反デューリング論』と『ゴータ綱領批判』での社会主義論の位置付けが明らかに異なっている点である。

 『反デューリング論』のエンゲルスは歴史法則信者であり、歴史は法則に従ってなるようにしかならないと考えている。従って必要なのは未来のあり方を独自に構想することではなくて、現在までの歴史の推移を明確にして社会主義の真実を「証明」することである。このためここでは社会主義社会それ自体についての独自な具体的構想はなく、あるのは気楽な未来予測でしかない。その代表例が価値法則についてのエンゲルスの理解である。

 我々がいつも馴染んでいる、金銭で商品を購入するという経済活動をエンゲルスは資本主義までの旧弊だとし、その固有の機能は労働力の搾取を隠蔽するためだと見た。この点エンゲルスは正しく、確かに我々の社会では労働力の投下によって形成される商品の価値は、労働力量の直接的表示値とは異なる「価格」によって隠蔽されている。このため商品と貨幣の等価交換という現象によって労働力の搾取という本質は見えなくなり、等価交換に含まれる資本主義の不正は「適切な取引」というイデオロギーによって隠されてしまう。

 このためエンゲルスは社会主義になって価値法則が無くなれば、価格による価値の隠蔽という事態は起きなくなり、経済過程は透明なものになって、財の生産に必要な労働量が直ちに簡単に計算できるようになるとしたのである。

 これはつまり、資本主義は合理性の欠如した社会なので、資本主義が打倒されれば社会はずっと合理的なものになり、経済も容易に運営できるものに転化するという、極めて形式的な推論である。

 確かに形式的にはエンゲルスの言う通りである。社会主義は資本主義よりも合理的な社会だからこそ望まれるのであり、合理的な組織はそうでない組織よりも容易に運営できるのは当然である。だからエンゲルスのように形式主義を貫けば、社会主義それ自体について独自に考える必要はなく、革命が成就して社会主義になりさえすれば、予め青写真を構想するまでもなく理想的な状況が自ずと到来するというようになる。そしてこの確信の最終根拠は、歴史法則が全てを決めるという歴史信仰である。

 これが意味するのは、自己批判後の後期エンゲルスは、社会主義それ自体を独自な理論領域として認める必要を感じていなかったということである。要するに、エンゲルスには固有の意味での社会主義論はないということである。

 ところがこれは明らかにマルクスとは異なる。『ゴータ綱領批判』の未来社会論は、『反デューリング論』とは余りにも対照的なのだ。

 価値法則それ自体の理解についてはエンゲルスとマルクスの間に齟齬があったとは思えない。マルクスにとっても価値法則は資本主義までの人類の前史に固有の経済法則で、資本主義後の本史では存立根拠を失うものである。ところがマルクスはエンゲルスと異なり、社会主義になっても価値法則に類似した経済活動を行わざるを得ないと考えたのである。

 『ゴータ綱領批判』でマルクスは、共産主義になれば価値法則はなくなり、貨幣は消滅するとした。この新社会では、自分が労働によって社会に提供したのと同じ労働量で作られた生活に必要な財をそのまま返してもらえる。つまり資本主義のような搾取は消失している。しかしこの財の入手には労働量を示したZeichen(単なる印の意味だが、我が国では重々しい「労働証券」訳が定着している)が用いられるのだという。この労働証券は貨幣のように流通しないし蓄蔵して利子を得ることもできないが、財との交換に際しては価値法則と類似した作用が生じるとした。つまり労働証券は決して貨幣ではないが、貨幣に類似した挙動を示さざるを得ないとしたのである。

 こうマルクスが考えるのは、新社会の初期段階ではまだまだ資本主義遺制が色濃く影を落とし、貨幣経済に慣れたメンタリティは容易に変化しないと考えたからである。そしてこれはエンゲルスとは余りにも違う。

 『ゴータ綱領批判』は1875年で、『反デューリング論』は1878年である。マルクスの議論を承知していたエンゲルスがなぜマルクスを全く踏まえていないのか。

 まさにそれは、マルクスとエンゲルスの問題意識の差だろう。マルクスは歴史法則主義に乗り切っていないため、未来のあり方を独自の理論領域と捉え、新社会の初期段階における経済運営の困難さに思いを馳せたが、歴史信仰者のエンゲルスには、未来の経済運営をどうするかという問題意識自体がないのである。だからマルクスのように真剣に考えて悩むこともなく、社会主義は論理的に資本主義を否定した高次発展段階だから、今からどうするべきかと悩むまでもなく、自ずと合理的な経済活動を至極簡単にやってのけると楽観したのだ。

以上の前提から、この章でマルクスの社会主義論を解説するにあたって、旧来のマルクス主義的な社会主義解説では考えも及ばない大胆な結論を導かざるを得ない。それはつまり、マルクスの社会主義論論を解説するにあたっては、原則的にマルクスのみの社会主義論への言及に終始すべきであって、エンゲルスの議論は異質なものとしていったん除外しなければならないということである。これまでのマルクス主義文献では当たり前のようにマルクス自身の思想を示すものとして『フォイエルバッハ論』や『反デューリング論』が用いられてきたが、レーニンも社会民主主義者も伝統的に愛用していたこのスタイルは、もはや採用できないということである。

 それというのも実はエンゲルスには固有の意味の社会主義論がないからだ。そのため、ここではあくまでマルクス自身の社会主義論にのみ議論を絞り、必要に応じてマルクスとの対比の中でエンゲルスの社会主義関連の言及に触れるという形になる。

 マルクスといえば今では社会主義や共産主義の代名詞となっているが、そのマルクスも元から社会主義者だったわけではない。彼が自己の立場を社会主義または共産主義者として明確にするには、幾つかの前提条件が必要だった。

 そもそも、マルクスの初発の問題意識であり、終生にわたって貫かれた思考の基本前提は、理想というのは地上的世界においてこそ実現されるのであって、実現可能性を捨象した天上的理念は美しいが無力であるというリアリズムだった。マルクスはこのリアリズムを、まさに実現可能性から原理的に切り離された「統制的理念」という究極的な原理を語るカントを批判したヘーゲルから受け継いだのだった。

 ヘーゲルにあっては理念とは現実の世界での展開によってそれを実現していく運動である。理念は精神的な原理だから、当然ヘーゲルにあっては歴史の原動力もまた精神であり、その歴史観は観念論的なものである。言うまでもなくこれに対してマルクスは現実に生きて働く諸個人の生活過程を基本的な前提に据える。そのため歴史の原動力は諸個人の織り成す物質的な生活活動であって、人間の現実的生活が根底であり、歴史は人間の生活を超えた精神的な原理が織りなすものだという観念論とは前提が異なる。

 ヘーゲルの観念論的な歴史観とは対照的な、こうした唯物論的な歴史観を思考の前提に据えるマルクスではあるが、歴史を理念の実現過程と捉えていたのはヘーゲルと同じであり、それはマルクスが唯物論者となってヘーゲルと決別することになっても変わらなかった。

 しかしヘーゲルの場合は歴史を動かすのは人知を超えた絶対精神である。そのため理念の地上的実現は予め保証されている。これに対して唯物史観では歴史を動かすのは人間自身であり、人間は神のような絶対的存在ではなく、有限な存在でしかない。そのため理念の未来における実現は、ヘーゲルのように決して保証されていない。共産主義が実現する前に環境破壊によって人類自体が滅んでしまうのも、決してないとは言えないわけだ。この点でも、エンゲルス以降の「科学的社会主義」が非科学的なのが分かる。それは唯物論を前提しているはずなのに、まるでヘーゲルのように理念の必然的実現を主張していたからだ。

 ともあれ、理念と現実に対する思考枠組みをヘーゲルから受け継いだマルクスは、同じように理念の現実世界における疎外という疎外論的思考を受け継いだ。

 ヘーゲルは精神的原理である理念の自己展開という原理で世界全体を説明する壮大な哲学体系を構想した。この際に問題になるのは自然世界である。ヘーゲルにとって精神とは創造的原理であり、決まりきった因果法則を超えて、新たな発展を産み出すものである。これに対して自然世界はまさに物理法則の世界である。ここでは決まりきった因果法則が支配している。しかしヘーゲルにとって世界の原理は唯一精神のはずである。では精神とは明らかに異なるはずの自然世界とは何なのか?

 実はそれも精神なのである。しかし自然は精神が自己自身を喪失して、自分自身ではなくなったような精神であり、疎外された精神である。自分自身ではなくなっているのだから、再び失われた自己を取り戻し、自分自身に復帰しなければならない。だから自然は再び自己を疎外することにより、精神となって自己を取り戻すのである。

 このようにヘーゲルは、世界を貫く精神的原理であるロゴス=論理が、自然世界と人間社会という精神世界の双方に貫いているという説明を、疎外概念を用いることによって成し遂げた。このヘーゲルにおける基軸概念の一つである疎外論をマルクスも受け継ぎ、ヘーゲルとは異なる形でヘーゲル自身よりも一層重視する形で、自らの中心概念としたのである。

 このためマルクスの思索活動は、その初期から後期に至るまで疎外論を中心に展開することになる。だからマルクスの理想である共産主義も疎外論の前提の上で構想されることになるのである。

 今では社会主義の代名詞になっているマルクスも、当初から社会主義者だったわけではない。彼が初めて社会主義や共産主義に接した際には、その問題意識に大いに共感しつつも、当時の彼が自由意志の実現としての個人の権利の根拠を私的所有権に見ていたヘーゲル主義の立場にあったため、私的所有の否定である社会主義思潮に対しては、原理的にこれを退ける他はなかった。しかしそんなヘーゲル主義者のマルクスであっても、その方法論はヘーゲル同様に疎外論である。そのため、社会主義思潮に原理的な批判を加えながらも、その中に疎外された人間性の普遍的な解放のためのヒントが隠されている可能性を感じ取り、これを全面的に否定して捨て去るべきではなく、プルードンのような独創性のある労作は長期にわたる深く立ち入った研究により批判されるべきだとしている。

 こうして若きマルクスは私的所有を前提するヘーゲル主義者として社会主義思潮に対して批判的に出会うのだが、今度はその前提である私的所有への擁護が、根本的に崩れさる出来事とに遭遇する。それが当時のプロイセン政府を揺るがしていた木材窃盗問題である。

 プロイセンのようなドイツ文化圏で伝統的に採用されていたゲルマン法では、森林への地主以外の者の入会権を認め、木から自然に落ちた枯れ枝は無主物だと規定していた。そのため数多くの貧民が枯れ枝を拾って燃料として利用していた。

 当時のプロイセンでは資本主義の興隆に応じて土地の所有権が強化されて伝統的な入会権が否定され、枯れ枝の採集が犯罪として罰されるようになっていた。枯れ枝を拾えないなどというのは我々からするとさしたる問題でないように思えるが、貧しい人々からすれば死に直結する。こうした木材窃盗への取り締まりを強化しようとする中で行われたプロイセン議会での論戦に対してマルクスが取った態度は、当時のマルクスの精神的動揺をよく表している。

 後年のマルクスならば問題の焦点は簡単に分かる。それは階級問題であり、木材窃盗を舞台とした階級闘争が行われているということである。

 しかし当時のマルクスはヘーゲル主義者であり、市民社会の矛盾は国家で止揚されると信じていた。そのためには地主や富農に小農、商工業者や職人、それに当時やっと勃興し始めたばかりのプロレタリアたる工場労働者といった、階級を異にする人々も等しく国家臣民としての公共意識を高めて、自らの属する階級の利害に囚われることなく、等しく普遍的な国家理念に従うべきだと考えていたのである。

 ところがこうしたヘーゲル主義的解決は、自らの生活のありように直結する利害の前には無力なのだった。

 この事情は現代の我々にも自明だろう。土地への課税が強化されることは土地を持たない者には何でもないし、そのために所得税が低減されるのならば、むしろ積極的に支持したくなるだろう。しかし代々土地を相続して不労所得を得続けてきた者にとっては全く見逃せないし、その課税のレベルが不労所得生活を不可能にするまでの高さだったら、死活問題だと受け止めて何としてもこれを阻止しようとするだろう。

 こうした土地所有者に公共心の欠如を指摘して教え諭しても聞く耳は持たないだろう。勿論中には積極的に自らの財産を放棄するような人徳者もいるだろうが、少数の例外に過ぎない。多数は何としても既得権益を守るために奔走するだろう。

 この場合、通常はあからさまな本音は言わないものである。自分が土地所有を守るのは働かないでも大多数の労働者よりもずっと豊かな暮らしができるからで、贅沢三昧の生活を送りたいから土地への課税の強化や、まして没収に反対するのだなどとは言わない。あたかも私利私欲はなく、もっと高尚で普遍的な価値に訴える形で、しかし自らの私的利害の正当性をでっち上げようとする。これが階級社会におけるイデオロギーの標準的な機能である。

 こうしたイデオロギーの向かう先は結局、私的所有権の正当化である。私的所有権が何よりも重要であるため、土地の私的所有も認められる。そして土地を手放さざるを得なくなるまでの課税は所有権の侵害であり、税は必要最小限の低率に抑えられるべきだと主張される。そしてめでたく贅沢三昧の日々が保障されるというわけである。

 木材窃盗問題に直面していたヘーゲル主義者のマルクスは、イデオロギー概念を確立した『ドイツ・イデオロギー』の著者のマルクスのように、まだイデオロギーとは何かが分かっていなかった。しかし既に内面的な破局は間近だった。ライン新聞での活動を通して階級対立の現実に直面し続けたマルクスには、もうヘーゲルではやってゆけないことが予感されていたのである。

 こうしてマルクスはライン新聞を辞してすぐの1843年の時点でヘーゲル主義と決別し、独自の思想的前提に立つことになった。それはつまり市民社会の矛盾は市民社会をそのままにして国家理念や国家機関で解決することはできず、市民社会それ自体を根本的に変えない限り解決不可能であるということである。

 市民社会の基本性格は既にヘーゲルに拠って適切に把握されていた。それは「欲求の体系」であり、各人が他者を手段として用いて自己の欲求を満たそうとする社会である。つまりヘーゲルもまた、資本主義がどういう社会であるのかをきちんと理解していたのである。しかしヘーゲルはそうした欲求の体系である市民社会の実体が資本主義的な生産様式であることは理解できなかった。そしてこれこそがマルクスの成した理論的解明である。

 こうしてマルクスの理論は、市民社会の矛盾を国家によって止揚するというヘーゲル的解決法、これは言わば市民社会の物質的原理によって疎外された精神性を、精神的原理である国家に帰還することによって取り戻すというように図式化できる話だが、マルクスの場合は唯物論者として、疎外も疎外の止揚も、全て物質的原理の内部で行われる。疎外とは疎外を産み出すような市民社会的な、すなわち経済的な原理であり、疎外の止揚もまた疎外されない経済のあり方である。このため、マルクスが目指す疎外の止揚は、疎外の原因にして根拠である資本主義的な市民社会それ自体を変えて、疎外を産み出さない経済のあり方を実現することである。すなわち共産主義の実現が疎外の止揚なのである。

 このような次第で、マルクスの社会主義論は疎外論を前提にして、疎外論と一体なものとして展開される。それだから、マルクスの社会主義構想は先ず初期の著作で疎外論が展開される中で披歴され、その思想的原型を保ちつつ以降の著作で発展させられる。そうしたマルクスの社会主義論が彼の全著作の中でも最も詳しく具体的に展開されるのが、1844年の『経済学・哲学草稿』と「ミル・ノート」、総じて『パリ草稿』と呼ばれる著作である。そしてこの『パリ草稿』にこそ、マルクス社会主義論の原形にして神髄がある。それだから、マルクスの社会主義論を語るには、何よりも先ず『パリ草稿』をこそ検討しないといけない。

田上孝一(たがみ こういち)
[出身]東京都
[学歴]法政大学文学部哲学科卒業、立正大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了
[学位]博士(文学)(立正大学)
[現職]立正大学非常勤講師・立正大学人文科学研究所研究員
[専攻]哲学・倫理学
[主要著書]
『初期マルクスの疎外論──疎外論超克説批判──』(時潮社、2000年)
『実践の環境倫理学──肉食・タバコ・クルマ社会へのオルタナティヴ──』(時潮社、2006年)
『フシギなくらい見えてくる! 本当にわかる倫理学』(日本実業出版社、2010年)
『マルクス疎外論の諸相』(時潮社、2013年)
『マルクス疎外論の視座』(本の泉社、2015年)