外国語学習にとって異文化理解とは何か? 釣りとかフランス語とか音楽とか黒木朋興

はじめに

 ロックと悪魔の連載を一時中断してフランスと日本の文化の違いについて考えてみたい。

 フランス政府公式の学位にFLE(外国語としてのフランス語教授法)がある。フランス語が母語ではない人間にフランス語を教えるメソッドの習得を目指す学位だ。この学位を持つと世界中でフランス語を教える資格がフランス政府によって与えられる。また、その資格者はフランス語を母語とする人間だけではなく、非母語者にも開かれていることを言い添えておく。

 FLE取得を目指す人間が学ぶテーマの一つにl’interculturelがある。日本語で説明すれば、相互文化的能力の養成ということになるだろうか? あるいは異文化理解というテーマと言っても良い。ここでは異文化理解という訳語を選択しておこう。

 では、なぜ語学の学習に異文化理解が必要なのだろうか? それは一つ一つの言葉が文化的背景を持ち、それを踏まえなければ正しい理解に辿り着けないからである。例えば、「百合を愛する人々」という表現について考えてみよう。日本では女性同性愛者のことを指すととる人もいるだろう。キリスト教文化圏では聖母マリアへの信仰の厚い人々という意味になるし、フランスではブルボン王朝を支持する人たちという意味ととる人もいる。百合という植物の背後にある意味が文化ごとに違うので、言葉そのものの訳語だけではなくその文化的背景まだ知る必要があるというわけだ。

 事態は単に言葉の意味だけに止まらない。とあるフランス人が飯田橋のアンスティテュフランセでフランス語を教えていた時のこと、休憩時間に受講生の中のあるご婦人が「プレゼントです」と言って自動販売機のコーヒーをくれたので教員として気に入られたのでは!と喜ぶも束の間、遠くから彼女の「間違って砂糖入りのボタン押しちゃったんだけど、先生がもらってくれてよかった」との声が聞こえてきて大変傷ついたという。私ではあれば傷つかないだろうが、そのフランス人教員によれば最初から「間違えて砂糖入りのコーヒーを買っちゃったんですけど、先生もらったいただけませんか?」と言えば良いものをなぜ正直に言わず、自分のいらないものを他人に押し付けようとするのか、と感じたそうなのだ。確かに日本では対面を保つために必要もない嘘をついてその場を取り繕おうとすることがある。日本人であれば、大勢に影響がなければ多少の嘘は気にしないことが多いように思うが、フランス人にとってはどのようなものであれ嘘は不誠実と写るので、必要のない嘘をなんでつくのか分からないということになる。

 私はフランス語を生業としている人間であるが、フランスの文化を完璧にマスターしているわけではなく、今でも失敗したり困惑したりすることがある。例えば、One Shotというバンドの来日公演をコーディネートした時、ギタリストのジェイムズと打ち合わせをしていて「日本側のプロモーターやスタッフさんにも色々と気を遣わなければならないので大変なんだよ」と言おうと思ったのだが、「気を遣う」という表現がどうしてもフランス語にならず、断念した。結局その時は「いちいち細かいことは質問はせず、私に任せてくれれば来日ツアーは実現してみせる」と伝え、「気遣い」を説明することはなかった。

 とは言え、フランス人の友人たちとの付き合いは、フランス語教師の私にとっては実り多いものだ。友人として率直に意見を言い合う中で新たなる発見があったり、フランスの文化について学ばされることも多い。ここでは彼らとの付き合いを通して感じた文化面の違いを、語学を絡めながら語っていこうと思う。

 私のフランスのミュージシャンとの付き合いは、MAGMAというバンドのメンバーを中心としている。前述のジェイムズが癌で亡くなって以降は、サウンドエンジニアのオリエが一番の仲良しである。実は、最近になって釣りを始めたのもオリエの影響なのだ。

 2015年の春のこと、オリエからMAGMAの来日が決まったとメールがあり、その中で日本でエギを買いたいから釣具屋に連れて行ってほしいとあった。エギとは「餌木」と書き、烏賊を釣るための擬似餌のことである。フランス語や英語でも「EGI」であることを考えれば日本で考案され世界に広まったものであることが分かる。なんでもヨーロッパでも日本のメーカーのエギが売られているらしいのだが、高価な上に色のバリエーションが乏しいので、日本に行くついでに買いだめしておきたいとのことだった。それで色々と話を聞くために、近所の釣具屋さんに足を踏み入れてみた。

 実は、釣具屋に入るのは久しぶりだった。小学生の頃、釣りをやりたくてお小遣いで延べ竿とリールとリール竿を買ったものの、父親は釣りに興味はなく、また家に車もなかったので、簡単に釣りに行ける環境になかった。そのうち中学に入って部活が始めると釣りからはすっかり足が遠のいた。時々、母の実家である松山の沖にある島に遊びに行った時に思い出したかのように釣り竿を握るくらいで、それも母の帰省の機会が減るに連れ、そのような機会も次第になくなっていった。

 オリエはブルターニュ半島の最西端の軍港で有名なブレストという街の近くに住んでいる。民族的にはフランス人ではなくブルトン人だ。ブルターニュは肉文化が中心のフランスにあって、漁業が盛んな地域である。オリエは、サーフィンやウインド・サーフィンなどのウォータースポーツに親しみ、友人と小さいヨットを共有し若い頃から釣りを楽しんでいると言う。その彼を日本の釣具屋さんに連れて行くとおおはしゃぎで、餌木をはじめ、それ以外のイカ釣り用の仕掛けをたくさん買い漁っていた。どうも魚を取るための仕組みや技術に関して、日本には他国にはない伝統があるということに気付かされた体験であった。

 「釣りに興味があるのなら、ブレストのオレのうちに遊びに来た時に一緒に行くかい?」とオリエは言ってくれた。その後、2015年の夏、渡仏の折に彼のうちに遊びに行っくと、約束通り釣りに連れて行ってくれたのだ。自慢のヨットにも乗ったが、イロワーズ海を巡っただけで、イカの季節はまだとのことだった。そして、釣りは小磯からのルアー釣りだった。日本でいうラバーのようなルアーを投げて巻いてくる釣り。正直、ルアー釣りは初めてだったので、ルアーがどこに飛んだのかもわからなかったし、ルアーが海のどこを動いているのかも全くわからなかったが、鯖が一尾とフランス語で「Lieu noir(リュー・ノワール)」と呼ばれるタラの稚魚が釣れた。オリエもタラの稚魚を釣ったようだが、私が釣った鯖以外はリリースした。「ビギナーズ・ラックだな」と言われたが、全くその通り、今から思うとルアーの動かし方も泳がせ方も全くわかってないのに、よく釣れたものだと思う。

 その後、研究仲間で三浦半島出身の西貝怜氏に三浦に釣りに行こうと誘われたのをきっかけに簡単なルアーができる竿とリール(以下、タックルという)を買ってすっかり釣りにハマってしまった。

 釣りを再開して何より驚いたのは、釣具の性能の進化である。小学生の頃買ったのは入門用の安価なタックルだったが、そんなタックルとは比べ物にならない性能なのだ。特に、釣り糸の進化が凄まじい。昔はナイロン一択だったのに対し、今や、フロロカーボンやPEラインなどがある。特に道糸(メインで使いリールに巻いておく糸)で使用されるPEには驚かされた。PEとは、ポリエチレンの細い糸を複数を撚り合わせ一本にしている糸である。細くて強度があり、伸びが少ない。細くて強いとより重い錘を使うことができ、仕掛けやルアーをより遠くまで飛ばすことができるのだ。錘が重い方が遠くに飛ばすのに有利なのは改めて説明するには及ばないだろう。糸の細さに関して言えば、太ければ太いほど空気抵抗が大きくなるし風の影響を受けやすくなり、更にリールに巻いておける糸の量も短くなる。と言うわけで、糸は細い方が良いのだが、糸が細いと重い錘に耐えきれず切れてしまう。そこで、昔は力糸と言って、投げる時に負荷がかかる部分だけを太くし、メインで使う部分をより細い糸を使うという具合にしていた。対して、PEラインの場合は力糸を使わずとも細い糸で十分に重い錘を投げることができる。ということは、リールにナイロンラインよりも多くの糸を巻いておけることになる。つまり、PEは細くて強く、感度が高いところがメリットなのだ。このラインの登場で、釣りのあり方は大きく変わったと言える。

 もちろん、PEラインにも欠点はある。複数の糸を撚り合わせた糸だけあって、少し硬いものに擦れただけですぐに切れてしまう。また、リールを巻く時、テンションをかけずにゆるゆるの状態にしておくと次に投げる時、糸が絡まってしまうことが多く、なにかとライントラブルに悩まされる。あるいは、擦れに弱いので水の中の岩や木に当たって切れてしまうことを避けるために、先端にナイロンかフロロカーボンのラインを結ぶのだが、滑りやすい糸のため他の糸と結ぶのが難しい。FG ノットと呼ばれる特殊な結び方をするのだが、マスターするのに少々練習が必要で、うまく結べないと投げる時にすっぽ抜けて仕掛けやルアーを飛ばしてなくしてしまうことがある。また、PEラインは軽いので風の影響を受けやすかったり、軽いルアーを使うときは仕掛けが沈みにくかったりもする。というわけで、釣を再開させた当初はライントラブルに悩まされ、糸が絡まったり、安くないルアーを飛ばして何個もなくしたものだが、一回PEラインに慣れてしまうと、もう他のラインには戻れないと感じる。

 なお、オリエのリールに巻いてあったのはナイロンラインだった。もしかするとフランスではPEはあまり普及していないのかも知れない。釣りを再開してわかったのだが、日本には中小の釣具メーカーがたくさんあって、それぞれが独自でニッチな釣具を開発し販売しているのだ。だからお気に入りの道具があったら早く買っておかないと、すぐに品切れになり、再生産はなかなかされないものも数多い。この種の技術とノウハウに関して、日本は独自の優れた文化を持っているのではないかと思う。道理でオリエを日本の釣具屋に連れて行くと妙に興奮してあれこれ買い漁るわけだ。

 PEラインのことも、今度MAGMAが来日したら聞いてみようと思う。

黒木朋興(くろき・ともおき)
[出身]1969年 埼玉県生まれ
[学歴]フランス国立ル・マン大学博士課程修了
[現職]慶應大学等 非常勤講師
[専攻]フランス文学 比較修辞学 大学評価
[主要著書]『マラルメと音楽 ―絶対音楽から象徴主義へ』(水声社、2013年)『3・11後の産業・エネルギー政策と学術・科学技術政策』, 日本科学者会議科学・技術政策委員会編(共著 八朔社、2012年),『グローバリゼーション再審ー新しい公共性の獲得に向けてー』(共編著 時潮社、2012年), Allégorie(共著 , Publications de l'Université de Provence, 2003)