ファッションから見た映画と社会
連載第1回 オードリーとその恋人たち~その1~助川幸逸郎

○はじめに
人間が衣類を着るようになった――その最初の目的は、「寒さ」や「直射日光」から身を護ることにあったかもしれません。
けれども有史以来、「装うこと」は、「他人に対するはたらきかけ」と深くかかわりつづけてきました。その人が、どのような思いでその場に臨んでいるか。衣服はそれを明快に指ししめします。
これは、現実世界にだけ当てはまる話ではありません。小説や映画などの虚構においても、「着ること」は人物の性質や心情について、ときには言葉より雄弁に物語る。まともな作家であれば、みずからがつくり出したキャラクターに何を身に着けさせるか、細心の注意を払うはずです。
ただし、そうした「衣服にこめられた意図」を、時代や地域を異にする人間が読み解くのは容易ではありません。ある装いがどのように受けとめられるか――それを支える「コード」は、きわめて移ろいやすいのです。
男性のスーツスタイルは、その恰好の例といえます。現在では「フォーマル」とみなされていますが、19世紀後半に発生した当初は、家でくつろぐときに着るカジュアルウエアでした(上着とズボンの布を変えるのが当時の「正式な服」。両方をおなじ生地でこしらえるスーツは、「安直な衣装」だったのです)。
スーツにネクタイで、休日に犬を散歩させている男性がいたとします。1890年代の常識に照らすなら、この人物のふるまいは「穏当」です。1960年代になると、「古風なやり方をかたくなに貫いている」という感じになる。2020年が近づいている今、こんな輩がいたら、明らかに「ヘンなヤツ」とみなされるでしょう。
ファッションを通して映画を分析するには、背景にある社会を探らなければならない。この連載では、それを成しとげることを目ざします。最終的には、20世紀前半から今日に至る文化の変遷を描き出すことができたなら――著者として、これほどの幸せはありません。

○「理想」とかけ離れていたから、オードリーは「伝説」になれた
オードリー・ヘップバーンは、「戦後最大のファッションアイコン」です。女優としての最盛期は1950年代から60年代にかけて。亡くなってからもすでに20年以上になる。にもかかわらず女性誌は、「オードリーに学ぶお洒落テクニック」といった特集を頻繁に組みます。大きな書店にいけば、彼女の写真集を何種類もみかけるはずです。
オードリーがデビューした1950年代には、たくさんの「大女優」がハリウッドに集っていました。エリザベス・テーラー、グレース・ケリー、マリリン・モンロー・・・それらの中で、「若い女性の憧れ」でありつづけているのは、オードリーひとりだけです。彼女は「過去のスター」ではなく、「現役」の地位を今もキープしています。
オードリーが「例外」になれた秘密は、どこにあるのでしょうか?
彼女について、しばしばこんなことがいわれます。
「オードリーは、あんなに可愛かったのに自分の容姿にコンプレックスを持っていた。鼻の孔が大きくて、顎が角張り、バストが小さいのが悩みの種だった。」
こうした「劣等意識」は、必ずしも「思いすごし」といえません。彼女は、同時代の「美の規範」から外れていたのです。
1940年代には、世界中が戦争に巻きこまれていました。男性は兵役にとられ、労働力が不足。それをおぎなったのは女性でした。当然、レディスの服は、活動的なものが流行ります(「帽子を被らず、スカーフやターバンで髪をまとめ、パンツをはく」といったスタイル)。
オードリーが映画界にデビューした1950年代前半は、そうした流れへの「揺りもどし」の季節でした。男性は戦場からもどり、女性に預けていた地位を取りかえそうとする。ファッションの領域でも、「女性らしいメリハリ」を強調したものが好まれました。グレース・ケリーやモンローといった50年代の「スター女優」は、みんなそうした服が似あうタイプ。揃って、「出るところは出て、くびれるところはくびれる」立体的な体つきをしている。顔つきや表情にも、「女性特有のコケットリー」にあふれています。
そんななかにあって、オードリーは例外的存在でした。すでにのべたとおり、バストは小さくて目立たない。目鼻の印象や顔の輪郭も中性的です(『マイ・フェア・レディ』の次回作として、オードリーがピーターパンを演じる映画が予定されていたとか。この計画は、アニメ版『ピーターパン』を製作したウォルト・ディズニーが横やりを入れたため挫折したそうです)。
それゆえ、「魅力的にみせるノウハウ」も、他のスターたちとは違っていました。カプリパンツやバレエシューズといった「動きやすいアイテム」を身につけ、「少年に通じるかわいらしさ」を強調。ドレス姿のときは、「セクシーさ」より「生まれ育ちの良さそうな感じ」で勝負する(実際にオードリーは、母親を通して貴族の血を引いています)。『ローマの休日』のアン王女も、『麗しのサブリナ』のサブリナも、このやりかたがぴたりとはまる役どころでした。
こんな「異端児」であったオードリーが、「オンリーワンの特別なスター」になった――その背景には、1950年代半ばに頭をもたげた「新しい若者文化」の影響があります。
1929年に世界恐慌が起こり、出口のない不況が長くつづきました。それが呼び水となり、1930年代末には第2次大戦が始まる。こうした過酷な環境は、若者たちに「独自のムーブメントを起こす余裕」をあたえませんでした。
平和が回復して10年。50年代の中盤になると、人びとの暮らしも落ちつきを取りもどし、経済的なゆとりも生まれます。それとともに、大学や高校に進学する層も増加。「今日食べるパン」の心配はないうえ、働いていないから自由時間はたっぷりある――そういう青年が大量に現れました。
クラシック音楽ではなくロックを聴き、純文学小説ではなくSFを読む。スーツやドレスを拒んで、それまでは「下着」や「作業着」だったTシャツやデニムで街を歩く――既存の「成功した大人の文化」に異を唱える「対抗文化」が、ここに誕生します。
「対抗文化」が現れたことで、若い世代の服飾に対する価値観にも変化が生まれました。「豪勢なドレスをまとうより、どこにでもあるアイテムを恰好よく使うほうがおしゃれ」という風潮が現れたのです。
こうした「新しい波」が押し寄せるなか、メディア環境にもかつてない状況がおとずれます。テレビが一般大衆の家庭に普及。この結果、映画産業の斜陽化がはじまりました。
ハリウッドのプロデューサーは、「テレビでは絶対見られないもの」をつくることで、これに対抗しようとします。莫大な――テレビドラマにはありえない――予算をかけて歴史大作を撮る。それを、スタンダードより横幅のひろいワイドスクリーンやシネスコで上映する。このようにして、『ベンハー』や『クレオパトラ』といった作品が生み出されました。
「テレビの時代」に、ハリウッドはあえて背を向けたのです。「これまでやってきたこと」をさらに拡大しようとするこうした姿勢は、「対抗文化」とも相いれません。
『ローマの休日』が公開されたのは1953年。ハリウッドがトレンドとすれちがう前夜のことでした。オードリーはここで、「袖まくりをした白シャツ・フレアスカート・皮ベルト」という出で立ちを披露しています。この組みあわせは、当時の女子大生をイメージして、コスチュームデザイン担当のイーディス・ヘッドが考案したもの(ベルトの着用は、オードリー自身のアイデアだったとか)。このコーディネイトは後世、「伝説」となります。
オードリーはもともと、「白シャツづかいの達人」でした。オーバーサイズのメンズの白シャツを、裾を前でしばり、袖まくりをして着ているプライベート・ショットが残っています。
この着こなしは実は、オードリーの専売特許ではありません。たとえば、ロベルト・ロッセリーニ監督の『ストロンボリ、神の土地』(1950年公開)。この中でイングリット・バーグマンが、オードリーとほぼおなじやりかたでメンズの白シャツを着ています。しかし、オードリーにくらべて骨太なバーグマンに、この恰好は似あっていません。
華奢なオードリーが男もののシャツを着るからこそ、そこにコントラストが生まれ「おしゃれ」に映る。そのことを、バーグマンの「冴えない白シャツ姿」は裏側から教えてくれます。
『ローマの休日』の「女子大生スタイル」も、バーグマンが身に着けていたらあそこまで人気を集めなかったことでしょう。長く裾が広がったスカートに強調されるウエストの細さ。この点では、バーグマンもオードリーにおよびません。
バーグマンだけでなく、グレース・ケリーやモンローが「女子大生ファッション」をしたらどうだったかは疑問です。当人があでやかすぎ、服が貧弱に見えた可能性があります。
オードリーは、当時のハリウッド女優の「美の基準」から外れていた。だから、「動きやすいアイテム」を効果的に使うしかなかった。私は先にそう書きました。
この点については、逆のこともいえます。すでに述べたとおり、「対抗文化」が広まるにつれ、「ありふれたものを恰好よくつかうこと」への憧れが生まれた。この流れに対応できた女性スターは、「華奢で中性的なオードリー」しかハリウッドにはいなかった――
ハリウッドの製作者たちが、「対抗文化」や「テレビの普及」に背を向けていたことは先に書いたとおり。彼らは、既存の価値観の延長上にある「重厚長大な映画づくり」をめざしていました。当然、そこに登場する女優にも、「正統派スター」の後継者たることを期待した。このため、「身近な服飾品をセンス良く着る」ハリウッド女優は、オードリーにつづく世代からも出ませんでした。
これに加えてオードリーは、若者たちが反抗した「親の世代」のウケも格別でした。「セクシーさ」よりも「育ちのよさ」を感じさせる点、保守的な年長者にとっても「安心して観ていられる女優」だったのです。
ハンフリー・ボガート、フレッド・アステア、ケリー・グラント・・・オードリーの相手役には、「父親といえるほどの齢上の男優」がくり返し起用されています。このことも、「これまでにないタイプの女の子だけれど、おじさんに優しい」というイメージにつながった。オードリーの人気は、若者と彼らが反抗した親の世代、その双方に支えられていました。
「誰にも着られない服」を身につける必要はない。「誰からも手に届く服」を素敵に着こなすほうが素晴らしい――「対抗文化」が生んだそういう価値観は、現代の若者文化のなかにも生きています。同時代のハリウッド女優のなかで、この基準に即していた「異端児」がオードリーだった。現在に到るまで、彼女が「ファッションアイコン」として仰ぎみられる理由はそこにあります。

助川 幸逸郎(すけがわ こういちろう
1967年生まれ。東海大学文化社会学部文芸創作学科教授・岐阜女子大学非常勤講師。おもな著書に『文学理論の冒険』・『光源氏になってはいけない』・『謎の村上春樹』・『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』・『教養としての芥川賞』(共著)・『文学授業のカンドコロ』(共著)などがある。