社会主義入門 第三回 マルクス以前の社会主義思潮田上孝一

 本書で中心的なテーマとして解説し、望ましいものとして提起する社会主義像はマルクスによるものだが、社会主義は言うまでもなくマルクスの専売特許ではなく、マルクス以前にも以後にも多様な形で存在したし、今もしている。そこで当然、マルクスの社会主義だけではなく社会主義一般の入門を意図する本書では、あくまでマルクスと関連する限りという限定があるとはいえ、やはりある程度は詳しく解説しないといけない。

 この場合、マルクス以前と以降では、マルクス以外の社会主義思潮の特徴を説明する仕方が自ずと異なってくるということだ。

 マルクス以降の社会主義思潮は、マルクスを賛成するにせよ反対するにせよ、マルクスというか、むしろマルクス主義との関係の中で自らを位置づけるという方法が一般化していた。

 例えば今日ではマルクス主義とは一線を画すとされている社会民主主義は、その起源で代表であるドイツ社会民主党自体が元々マルクス主義の政党であり、マルクス没後の早い時期からベルンシュタイン等の修正主義路線が中心になり、第二次大戦後にマルクス主義とは一線を画すことを明確にして今に至っている。この意味では、社会民主主義は確かにマルクスの思想を代表するものではないが、直接的な源泉は間違いなくマルクスその人である。マルクスはエンゲルスやラッサールと共に、今や明らかにマルクス本人とは異なる思潮となった社会民主主義の出発点になったというのは、揺るがぬ歴史的事実なのである。

 こうしたことから、社会主義はその出発点からしてマルクス自身の構想との偏差の中で語られる思想であり、マルクスという基準点がなければ、社会主義を正確に位置付けることはできないのである。

 社会民主主義と並ぶ非マルクス主義的な社会主義思潮であるアナーキズムも、マルクスとの対比の中で語らなければ、その特徴のつかめないものである。なにしろアナーキズムの代表的人格であるプルードンやバクーニンその人がマルクスの同時代人であり、マルクスと直接的な交流があった思想的ライバルでもあった。またマルクスが若き日に執拗に批判したマックス・シュティルナーも、今日ではアナーキズムの古典家として評価されている。

 こうしてマルクス以降の社会主義思潮は、多かれ少なかれマルクスとの影響関係の内にある。そのため、これらの社会主義思潮はマルクスを基軸にしてマルクスとの対比の中でその思想が特徴付けられるし、また特徴付けなければならない。

 これに対してマルクス以前の社会主義思潮はマルクス本人との直接的な関係がないため、専らマルクスのみを基準にして腑分けすると、手前味噌的な一面性に陥る可能性がある。例えば今日エンゲルスによって「ユートピア社会主義者」とされたオーウェンはむしろ自らの思想の科学性を誇っていた。そのためエンゲルスの言い分をそのまま鵜呑みにすると、オーウェンの実像を捉え損ねる可能性がある。同じことはもう二人のユートピア社会主義者でもあるサン・シモンとフーリエにも言える(「ユートピア社会主義」を含むユートピア思潮全体の概観として、菊池理夫・有賀誠・田上孝一編『ユートピアのアクチュアリティ──政治的想像力の復権──』晃洋書房、2022年、参照)。

 とはいえ、エンゲルスの「ユートピア社会主義」という言い方は、マルクスの科学的社会主義と対比させてユートピアを科学以前の未熟な思潮としていることに根本的な瑕疵があるが、社会主義をユートピア思潮の文脈で捉えること自体は、エンゲルス自身の意図とは別に、有益な見方になる。つまりマルクス主義以前の社会主義は、エンゲルスのように必ずしも否定的な意味合いを帯びさせることなく、「ユートピア」という言葉で一般に言い表されるような思潮として捉えるのが適切だからだ。

 この場合ユートピアというものを、この言葉の語源になったトマス・モアが同名の小説の中で述べていたような、同時代のどこかにある理想郷を指すだけではなく、もっと広く一般的に捉えておく必要がある。社会主義が通常そう見なされるように未来において実現されるべき理想社会としたり、逆にプラトンが『ティマイオス』と『クリティアス』で描いた、かつて大西洋に存在したアトランティス大陸の超古代文明のように、過去に存在した失われた理想郷を指し示す言葉としてもである。この意味では、マルクス以前の社会主義思潮は、基本的にユートピアの提起として受け取っておくのが、妥当な見方になる。

 というのも、ユートピアとして嘱望された理想社会はことごとく、貧富の差がなく平等で物質的にも豊かにして、人々が現行の社会よりも強固に連帯し、より人間らしい自己実現が可能となった社会として描かれていたからだ。古典的なユートピア像には、現代のリバタリアンが理想とするような、競争に打ち勝った者が敗者よりも多くを受け取り、敗者のために自分の取り分を税金として奪われることはないが如くの、せせこましくて利己的な願望は反映されていなかったのである。

 こうしてマルクス以前の社会主義思潮には、広くは古今東西に古代から伝承される理想郷の願望が含まれることになる。しかしこれらの広大な源泉の中で、後にマルクス主義に流れ込むのは専ら古代ギリシアとローマを古典とする西洋社会のものであり、マルクス自身に影響を与えたのも、こうした西洋のユートピア的イメージである。当然その最大の淵源はプラトンということになるが、しかしプラトンにのみ社会主義思潮の起源を求めるのは、いささか視野が狭いと言わざるを得ない。

 そのことは他ならぬプラトンの弟子であるアリストテレスにおいて既に意識され、師による理想のポリス構想に先駆者がいることが例示されている。

 そのアリストテレスが挙げる具体名はパレアスとヒッポダモスである。

 パレアスは、内紛はいつも資産をめぐって起こると考え、市民の財産は平等であるべきだとした。パレアスはまた教育も平等であるべきだと主張していたようである。しかしパレアスの提案は、アリストテレスがそもそもこれを批判するために紹介していることもあってか、その細部は分からず、アリストテレスの言を信じる限りでは具体的内容の乏しいものだったようである。アリストテレスによるとパレアスは、富者は子供の結婚持参金を与えるだけで相手からは受け取らず、貧者は逆に受け取るだけで与えないようにすれば、速やかに財産の平等化が実現されると主張していたらしい。確かにこれは短慮だろう。またアリストテレスは、パレアスは土地の平等だけを問題にしていたから一面的だと批判しているが、これだと持参金との整合性が合わない。要するに「為にする批判」の色彩が強く、アリストテレスの紹介がフェアではない可能性が大だが、何しろパレアスについてはこのアリストテレスの『政治学』による伝聞しかなく、詳しい真相は分からない。アリストテレスが過小評価している可能性が大きいが、ともあれパレアスはプラトンに先駆けて財産の平等を説いていたのは確かであり、西洋思想史上最初の社会主義者と言えるだろう。

 ヒッポダモスは実際に権力の座にあって国家運営しているのではない立場で、あるべき国家のあり方を考えた最初の人だとされる。その構想は実際には都市設計で、国家の人口は一万人とし、国民を職人、農民、国防に携わる戦士に三分割する。国土も聖域、公用地、私有地に分け、公用地で戦士の、私有地で農民の生活を支えるとした。つまりヒッポダモスは史上初の都市設計者ということになる。こうした都市計画は後の時代には当然に行われるようになるが、それまでのポリスはヒッポダモスが計画したような秩序だったものではなかったとされる。

 こうして社会主義の古代的源流とされるプラトンのさらに前に理想社会を構想したパレアスとヒッポダモスが、少なくとも西洋世界という文脈においては社会主義の始祖ということになろう。そして出発点である二人の思想の中に、今日にまで続く社会主義の基本的特徴が表明されている。それはパレアスのように財産の平等を強調することであり、ヒッポダモスのように社会組織の人為的な設計を志向することである。

 20世紀になってハイエクは社会主義や共産主義を批判して自生的秩序としての市場を重視し、そうした市場に支えられた資本主義を擁護するために「設計主義」という言葉を使った。確かに社会主義はその核心として人間が自らの社会を理想的な形で組織することができると考える。その意味で社会主義の核心はそれが設計主義的な社会理論なことにある。しかも財産の平等というのを理想社会のメルクマールに据えるというのは、パレアスの昔から今も変わりない。

 しかしだからと言ってハイエクの批判が当たらないのは、ハイエクが批判の主対象としたソ連が実際には社会主義でないことから明らかである。ソ連東欧の現実社会主義は、ノーメンクラツーラという「赤い貴族」が支配した社会であって、西側諸国にそう思われていたほどの平等社会ではなかった。またそこで行われていた「計画経済」は実際にはきちんと計画されてはおらず、市場経済よりも非効率なもので、それがために闇経済の領域が大きく拡大していた。つまり現実社会主義で目論まれた社会設計は明らかに不適切なものだったのであり、これの崩壊をもって設計主義それ自体の反証例と見なすことはできないのである。

 この意味で、これからの社会主義というのは現実社会主義崩壊の教訓を踏まえて、実効性のある社会設計構想を目指す思想運動だと位置付けることができよう。

 ともあれ、こうして社会主義はその初発の段階から社会をよりよく設計しようとする思潮だということが明らかになった。そして今度は社会主義と共産主義という概念の違いが議題に上ってくる。ここで鍵となるのが財産の平等という論点である。

 社会主義と共産主義という言葉は二つともよく使われるが、その異同ということになると余り確かではない。実際日常的な使い方でも、厳密に区別されることなく何となく混同されて使われている。

 ではこうした日常的な混同が不当といえば、必ずしもそうではない。

 そもそも社会主義も共産主義も後に作られ使われるようになった言葉で、その意味でユートピア概念と同じである。そして社会主義や共産主義、そしてユートピアという言葉がなかった昔から、これらの言葉に当てはまる思潮は数多く存在していた。本書で社会主義という場合は、狭義にはマルクス主義的な文脈で用いるが、広義では今しがた紹介したパレアスやヒッポダモスのような古代的原型も含めている。共産主義も然りである。

 共産主義は狭義にはマルクス主義的な意味を指す。しかしマルクスに限っても、共産主義という概念の使われ方は一様ではない。

 マルクスのみならずこの世で最も有名で多く読まれてきた社会主義文献は『共産党宣言』だろうが、マルクス主義のことを「科学的社会主義」と呼ぶのは一般化した伝統だし、マルクス主義という言い方を好まず、科学的社会主義の呼称を愛好する政党もある。

 そうするとマルクスは一体どっちなのかということになる。『共産党宣言』なんだから明らかに共産主義者なはずである。しかし彼こそが科学的「社会主義」の創始者だという理解は一般化している。

 マルクスの共産主義構想について詳しくは後に再論するのでここでは簡単に触れるに留める。マルクスは1844年の『経済学・哲学草稿』で理想社会の初期段階を共産主義とし、究極的な理想社会を社会主義としていた。しかし続く『ドイツ・イデオロギー』では理想社会を段階分けすることなく共産主義と呼称するなど、概念規定に揺れがあった。だが1848年の『共産党宣言』以降は、基本的に共産主義で統一される。対してエンゲルスもマルクス同様に共産主義呼称を用いていたが、晩年になってマルクスの理論を科学的な社会主義と呼称し始め、マルクス自身もこの「科学的社会主義」という呼称に、消極的な形ではあるが、特に反対することなく同意している。

 ということは、マルクス主義的文脈では元々社会主義と共産主義はそれほど明確に区別される概念ではなく、かなり緩く、場合によってはコンパチブルに使われているということになる。後の時代になって特にソ連を呼称するための通俗的用法として「共産主義」が一般化し、こうしたソ連型社会主義である共産主義と、西欧の社会民主主義を区別する文脈で社会主義との区別が言われるようになったというのが実情だろう。

 この意味で社会主義と共産主義は厳密に区別される概念でも究極的には別の概念とも言えないが、相対的なニュアンスにおいて区別されるし、実際に区別されてきた概念ということになる。そしてその区別の根拠は基本的に論敵と自己を対比させる論争的なものであり、『共産党宣言』はそうした対比の代表例でもある。ここでマルクスとエンゲルスは各種社会主義思潮の理論的限界を衝いた上で共産主義者としての自らの立場を宣言しているわけである。

 そうなるとマルクス以前の社会主義思潮を社会主義と共産主義に厳密に分けることはできないということになる。そもそもそれらの思潮は自らを社会主義や共産主義と呼称しないことも多く、プラトンを代表とする古代哲学には社会主義も共産主義という言葉もなかったのである。

 しかし今日、プラトンの理想社会構想を原始的な「共産主義」思潮と呼ぶことは一般化している。それはプラトンが先行するパレアス以上に徹底的に財産の平等を説き、平等実現のための主要手段として私的所有を禁じることを提案していたからである。

 ここから社会主義と共産主義は厳密には区別できないものの、特に財の所有を禁じ、富の平等を強調する思潮に対しては伝統的に共産主義の呼称が用いられていたと言っていいだろう。これに対して、社会主義は共産主義のようにソリッドではなく、現行社会よりも豊かで平等な社会を指し示す言葉として用いられていたと言えるだろう。この場合、社会主義では共産主義のように所有の否定はデフォルトではなく、むしろ主眼は財の適切な分配や、労働のあり方を中心に社会組織が合理的に組織されること求めるような思潮であることが、狭義に共産主義と区別される社会主義の基本的な特徴と言えるだろう。

 ただそうするとユートピア一般と社会主義の区別がつきにくいが、社会主義の場合は共産主義のように厳格ではなくとも、やはり所有に対しては否定的だし、厳しく財産の平等は求めなくても、なお貧富の差には基本的に反対する。こうした点で、社会主義はユートピア思潮一般と区別される。

とは言え、ユートピア思潮の多くは、言葉の語源となったトマス・モアの小説も含めて、その具体的内容においては共産主義若しくは社会主義に類似している。それは人々が世の東西を問わず、理想として追い求めたい社会のあり方が似通っていたということだろう。それは貧富の差も身分の上下がなく、誰もが自由で豊かな社会である。それはまさにこれまでの人々が生きてきた社会の反転像なのである。

 以上のように、そもそも社会主義も共産主義という概念も、マルクスの出現を主要契機にして、マルクスを基準にして区分けされて用いられてきたものであり、この意味ではマルクス以前には現代の用法に直結する形での社会主義及び共産主義はなかったと言える。しかしこうしたマルクス以降に用いられるようになったマルクス主義的な図式を敷衍して適用すれば、古代から続くユートピア思潮の具体的内容の多くが、実際には共産主義若しくは社会主義思潮であったと言える。

 このため、マルクス以前の社会主義思潮をサン=シモン、フーリエ、オーウェンといったいわゆる「ユートピア社会主義者」に限定するのは狭すぎる。実際にはこうしたマルクスの直接的な先行者も含めたユートピア思潮それ自体を広義の社会主義思想として、マルクスの前史に含めて考えるべきだろう。

 この事実から言えることは、社会主義というのが極めて普遍的な思想だということである。

 確かに狭義の社会主義や共産主義思想の起源はプラトンのような古代ではなく、マルクスからそれほど離れていない近代、特にフランスに求められるものである。

 共産主義が今日のように私的所有の否定を前提にして完全な平等を目指す思潮という意味で使われたのはバブーフを嚆矢とするが、そのバブーフや、バブーフの同志で『バブーフの陰謀』という著作でバブーフ主義を世に広めたブオナロッティらは、等しくルソーに強い影響を受けている。

 ルソーはよく知られているように『人間不平等起源論』で、土地の私的所有が不平等の原因であることを訴えていた。こうして共産主義思潮は古代ギリシア以来の、所有の否定による平等の実現を志向する。

 これに対して社会主義は、オーウェン主義者による1827年の用法が初出だという(結城剛志「科学によるユートピア──イギリス社会主義の誕生──」、『ユートピアのアクチュアリティ』、61頁)。ただしこの場合の「社会主義」は今日的な資本主義に対抗する意味ではなく、むしろ「個人主義」の対概念として用いられていた。フランスでの初出は1831年で、「そこに現代的意味を与えたのはベルブルッガーというフーリエ主義者である(1834年)」とのことだ(杉本隆司「初期フランス社会主義とユートピア──サン=シモンとフーリエ──」、『ユートピアのアクチュアリティ』、114頁)。

 社会主義の場合は一般に、共産主義のように所有の否定というよりも合理的な社会の組織化に主眼が置かれていたと見ることができるだろう。この意味で、後にソ連型の「共産主義」と西欧社会民主主義の対立軸に生産手段の私的所有を認めるか否かという争点が生じたことは、狭義の社会主義と共産主義の出発点からの相違ということかもしれない。後に論じるように、ソ連は現実には官僚が生産手段を所有していたので、私的所有の否定といっても形式的なことに過ぎず、実質的には所有原理を克服できなかった社会だった。それでも形の上では確かに私人が生産手段を所有することはできず、ブルジョアは存在しなかった。

 これに対して社会民主主義では私企業は容認され、市場経済の存続が前提された。ただその経済のあり方が資本主義のように貧富の差を拡大することのない公正なものであるように、企業活動にある程度の規制を求めるという事前的な規制を副とし、主要には事後的な再分配により社会的矛盾を緩和するという形の共産主義と比べると穏やかな形での社会変化が求められた。

 しかしこうした社会民主主義も、現行の資本主義を変革してより人間にとってふさわしい社会を求めるという大枠では社会主義や共産主義と一致している。つまり人間の社会は資本主義のままであってはいけないという点では同じなのだ。社会民主主義と社会主義がそうであるように、社会主義と共産主義も狭義には相違するが、広義には一致する。こうして社会主義と共産主義の区別は相対的であり、今日これら両概念が混同されて使われていることも、決して人々の無理解のためとは言えず、これら両思潮は結局のところ、現行社会とは異なる新しい経済秩序を求めて資本主義を否定する。この意味では、慣用的混同にも合理性があると言えよう。

 それだからこそ、マルクスがそれ以前の社会主義と共産主義を統合する形でそれ以降のパラダイムになる新社会構想を提起し得たわけである。

 マルクスの理想社会構想では私的所有の否定が前提されるので、この限りで基本的な枠組みとしては共産主義に入る。しかしマルクスは以前の共産主義がひたすらに所有の悪を告発するのに対して、所有に拠らない合理的な社会組織構想の構築を目指したという意味では、社会主義との共通性を有する。また社会主義がオーウェンなどに顕著なように個人主義と対比され、新たな有機的な人間関係の創出という面を強調するという志向も共有されている。この場合、マルクス的な社会主義=共産主義構想では連帯という価値が強調される。しかしこれはまた、個人主義の単純な否定ではなく、個の自律を前提した上で、ブルジョア的個人主義ではない有機的に社会化された人間関係を求めるというものである。

 この点で、マルクスの思想は腑分けとしては共産主義側に入るものの、それ以上にむしろ以前の両思潮を統合しているという面が強い。このこともあって、マルクス自身も社会主義と共産主義をコンパチブルに用いていたし、所有と市場が否定された共産主義的な理想社会の前段として、市場社会主義的な過渡期も構想していた。いずれにせよ社会主義も共産主義も何よりもその核心が資本主義よりも合理的な社会設計であるという点で、社会主義的な思考様式を前提としていた。

 こうしたこともあって、社会主義と共産主義という概念は今日、マルクス主義的な文脈では初級段階の社会主義と発展段階の共産主義という形で統合されている。

 こうしてマルクス以前の社会主義と共産主義は相対的には区別されるが絶対的には区別できないものであり、その大前提は理想社会の実現が現行社会秩序の変革を前提するということである。この意味で、様々な内容で展開されたユートピア思潮との結び付きは本質的である。それは人々が望む社会は貧富の差がなく平等で、物事がうまく組織されて不条理がまかり通らず、そのようなよく組織された社会のために人々が友愛的に連帯しているようなイメージだからだ。資本主義的競争を理想であるかのように描くのは現代のリバタリアンに特有な偏見で、古今東西、誰もそんな競争社会をユートピアとして夢想しなかったのである。

 このようにマルクス以前の社会主義は基本的にユートピア思潮の文脈で捉えられるべきであり、その基本性格はマルクスを基準にして、マルクスから遡って規定されるというのが一般的な作法にもなっている。そしてこの作法は社会主義を理解する方法論としても望ましいということになる。

 ただしこの方法論の難点は、マルクス自身はユートピア思潮から外れて、ユートピアを克服した科学的な社会主義者として造形されることである。実際これがエンゲルスによって行われたことであり、マルクスはユートピアンではない「科学的社会主義」だという理解が、現代でも常識化している。しかしこの常識は適切ではない。

 確かに「ユートピア」というのを、実現可能性を無視した夢想のようなものとして見るのならば、確かにマルクスはユートピアンではない。しかしユートピアを、実現可能性を前提とした目指されるべき理想と考えるならば、まさにそのようなものとして社会主義や共産主義を考えねばならず、マルクスは間違いなくユートピアンである。

 つまりマルクスは、実現可能性を無視した夢想という、世間一般で思われているような意味でのユートピアとして自らの理想を語ったのではないが、実現可能性のあるリアルなユートピアを構想したリアル・ユートピアンということになる。従って社会主義におけるマルクスの位置付けは、旧来のように「ユートピア社会主義」を「科学的社会主義」に転じたというような理解ではなく、現行社会とは質的に断絶した理想社会を提起したという点では旧来のユートピアンと何ら区別がないが、旧来のユートピアンよりもずっと現実味を帯びた実現可能性の高い説得的なユートピア構想を提起したという意味で、もう一人の新たなユートピアンとすべきいうことになる。

 ただしユートピアという言葉そのものに拘る必要はないので、「ユートピア」という言葉ではやはりどうしても実現可能性の希薄な夢想というニュアンスを拭い切れないというのなら、これを「規範理論」と言い換えても構わない。いずれにせよ、社会主義というのが未来において求められる実現されるべき理想だというその本義が伝わればよい。理想なのだからそれは目指して実現されるべき規範であり、規範を論ずるのは規範理論の領域である。過去から現代までの歴史的事実への考究とは異なるし、時間軸を捨象した現在社会の共時的なシステム分析でもないということである。未来に実現されるべき理想とその実現可能性を問うというのが、社会主義論の基本方向ということになる。

 読者の中には「何を当たり前な」と思われる方もいると思うが、それは正しい印象である。しかしこの当たり前が当たり前でなかったのが、これまでのマルクス主義だったのである。

 我々が目指しているのは、未来の規範としての社会主義論という、マルクス主義以外の社会科学ではごく普通の方法論に則った社会主義論である。ところがこれまでのマルクス主義では基本的にそうした方法論は採用されなかった。しかし我々は我々なりの現代的なアクチュアリティのあるマルクス主義を構築しようとする立場である。だからマルクス主義の伝統はこれとバッティングする。ということは、我々が望ましいものと見なすマルクスの社会主義論の提示の前に、マルクス主義の伝統をいったん解体しておかなければならないということになる。

 次はまずこの作業から始めたい。

田上孝一(たがみ こういち)
[出身]東京都
[学歴]法政大学文学部哲学科卒業、立正大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了
[学位]博士(文学)(立正大学)
[現職]立正大学非常勤講師・立正大学人文科学研究所研究員
[専攻]哲学・倫理学
[主要著書]
『初期マルクスの疎外論──疎外論超克説批判──』(時潮社、2000年)
『実践の環境倫理学──肉食・タバコ・クルマ社会へのオルタナティヴ──』(時潮社、2006年)
『フシギなくらい見えてくる! 本当にわかる倫理学』(日本実業出版社、2010年)
『マルクス疎外論の諸相』(時潮社、2013年)
『マルクス疎外論の視座』(本の泉社、2015年)