十分でわかる日本古典文学のキモ 第七回 『風姿花伝』(下)助川幸逸郎

(承前)

グールド:世阿弥さんには、お父さんのほかにジェラシーを感じる相手とか、いたんですか?

世阿弥:うーんとね、これを説明するのはすこしたいへんだな。たとえばグールド君は、じぶんより若いピアニストが台頭してね、スターになっていった場合に、嫉妬したりしたかな?

グールド:正直、それはほとんどなかったですね。じぶんのやりたい方向とおなじ音楽やってるひとってほとんどいませんでしたから……極端な話、僕がロック・ミュージシャンにやきもち焼いてもしょうがないじゃないですか。

世阿弥:でも、グールド君がそんな感じでいられたのは、きみの音楽を好きで、ずっと聞きつづけてくれるお客が、一定の数いたからだよね?

グールド:まあ、それはありますね。

世阿弥:まえにもいったけど、わたしがあっち側にいたころは、まだお能ってジャンルが出来かけてるさいちゅうだったんだな。

 わたしとぜんぜんちがう演じかたをする役者が人気になって、室町の将軍さまが、その役者のやってるのこそお能だ、って判断したらね、わたしの芸はそもそもお能ではない、ってことになりかねなかった。

グールド:「実力はあるけど、傍流」という立ち位置は、そもそも「主流」が確立されているフィールドにしかないってことですよね。

世阿弥:そう。何が主流なのか定まらない状況で中心から弾かれたら、そのジャンルそのものから追いだされちゃうわけだよね。

グールド:あの、世阿弥さんでも、そういう危険を感じたことってあったんですか?

世阿弥:親父から跡をついで一座の長になってから、ずっとその恐怖と闘いっぱなしだったよ。

 とくにまずいと思ったのが、義満さんが亡くなって、後釜の将軍に義持さんがなったとき。

グールド:義持さんは、義満さんにずいぶん反発されてたかたですよね。

世阿弥:あのひとは、とかく義満さんと反対のことをやりたがったんだ。

 わたしは、さっきもいったけど、わりと義満さんに大事にしてもらってたんだよね。だから、わたしとちがうタイプの能役者をみつけてきてひいき・・・にしようって、義持さん、意図的にがんばってた部分があったと思う。

 それでね、義満さんは、「わかりやすくすごいもの」っていうかな、たとえば金閣みたいなものをドーンとつくってね、「これ建てたひとすごいな」とか、みんなに思わせるのが好きだったよね。

グールド:金閣がキラッキラなのは、だれでも一瞬でわかりますもんね。

世阿弥:それでね、わたしはからだが多少は切れるタイプだったから、アクロバットみたいなうごきで観客をうならせるのも、不得手じゃなかったんだよ。

グールド:足技が得意だったって、さっきおっしゃってました。

世阿弥:ところが義持さんは、義満さんの逆をいきたいひとだからね、「わかるひとだけにわかるもの」をわかってるって顔をしたがったんだな。

グールド:いますよね、そういう、一周ひねった感じでマウントとりたがるかたって。

世阿弥:だから義持さんは、わたしの演技に対しても、口うるさいっていうかな、場合によってはこまかい技術的な部分にまで踏みこんで批評してきたよね。

グールド:それ、ウザくないですか? だって義持さん、いくら詳しいからって、結局シロウトじゃないですか。

世阿弥:そうなんだけど、たまにするどいこともいうからさ、まるっきり流すわけにもいかなくて、応対に苦労したよ(笑)

 それでね、その義持さんが役者でいちばんかわいがったのが、増阿弥っていう田楽の役者さん。

グールド:デンガク、ですか?

世阿弥:いまのお能になった芸能に、田楽と猿楽があって、わたしの一座はもともと猿楽をやってたんだよね。

 田楽は歌とか舞が中心で、猿楽はそこに物真似を混ぜこんだ感じでね。だから、田楽は動き一発で観客を圧倒する方向に流れやすくて、いろんな要素を組みあわせて複雑に演技を構成するって部分では、猿楽のほうに長があったよね。

グールド:猿楽のほうがハイブロウ、だったんですね。

世阿弥:一般的にいえば、グールド君のいうとおり。

 ところが増阿弥さんは、わび・・さび・・っていうのかな、「わかるひとにだけわかるしぶい・・・演技」もやれたわけよ。

グールド:田楽のひとなのに、通ごのみっぽい芸もできたわけですね? 猿楽をベースにしてるのに、動き一発で観客を黙らせられる世阿弥さんと、ちょうど反対のタイプだ。

世阿弥:そう。だから、増阿弥さんを引きたてることで義持さん、「『わかるヤツだけにすごさがわかる役者』を、田楽の芸人のなかから見いだしてやった」って快感にひたってたのかもしれないね。俺さまの目利きぶりをみろ! ってね。

グールド:世阿弥さん、その状況にどうやって耐えたんですか? 僕、個人的には義持さんみたいなお客、けっこう苦手なんですけど。

世阿弥:うん。でも義持さんが将軍だったころは、義持さんのメガネにかなう芝居をがんばってやろうとしてたよね。

グールド:ええっ⁈ どうしてですか⁈ 世阿弥さんの演技、一般ウケもよかったかもしれないけど、だからって増阿弥さんより浅かったわけじゃないでしょう?

世阿弥:増阿弥さんの芸は、わたしの目からみてもすばらしかったよ。じぶんのもって生まれたものを最大限に生かすにはどうすればいいか――このおなじ問いから出発してね、わたしと増阿弥さんは、それぞれべつの答えにたどりついたっていう印象だった……

 ただ、「わかりやすく、深い美」というか、「わかりやすく、通にだけわかる感じの演技」をもとめる層がいてね、そういうひとたちの要求にもこたえなきゃいけないってのは、一座を率いる立場として、無視できない現実だったよ。

 それに、あえてじぶんの「よく利くからだ」を封印して、そこに頼らない芸を追求したら、あたらしい境地がみえるかもって、そういうことも考えたよね。

グールド:世阿弥さん、チャレンジャーですね(笑)。

世阿弥:よっぽど心配性で、欲もふかかったんだろうね(笑)。

グールド:僕はだけど、「わかりやすく、通にだけわかる感じの音楽」を好きなひとに、アジャストする気にはなれないなあ……

 世阿弥さん、カラヤンさんっていう指揮者、ご存じですよね?

世阿弥:存じあげてるっていうか……カラヤン君がこっちにきてすぐ、彼が指揮するオペラのおてつだいをすることになってね。サロメが踊る場面の振りつけを頼まれたのかな。

グールド:えっ⁈ じゃあ、カラヤンさんともお友だちってことですか?

世阿弥:まあ、友だちっていうか、たまにいっしょにあれこれやらせてもらってるって感じかな。あのひともプライヴェートでベタベタしないから。

グールド:僕はその、カラヤンさんとは、何度か共演させてもらったんです。それで、さいしょにお会いしたときもう一発で、「このひと、僕と似てるんじゃないか」って、おそれおおくも思ってしまったんです。

世阿弥:ああ、それ、とてもよくわかる。

グールド:カラヤンさんは僕とおんなじで、頭のなかで完璧な音楽が鳴ってて、それをそのまま具現させたいひとなんです。

 僕の場合、そのとき使ってるピアノとか、その日のお客が醸しだしている雰囲気とか、じぶんではコントロールできないものに振りまわされて、理想が実現できないことに耐えられなくなって。それでコンサートからは撤退したんですけど、カラヤンさんは僕よりずっと心がつよいかたなんで、じぶん以外のものに左右されてしまわざるをえない、指揮者という立場に身を置きながら、もとめるものになるべくちかい音楽を鳴らそうと、力をつくしておられました。

世阿弥:そもそも指揮者は、じぶんでは一音も出せないもんな。頭のなかの理想を実際に音にするのは、ピアニストよりさらにたいへんだよね。

グールド:そういう悪条件にありながら、カラヤンさんが求めている音楽は、ひとつの「様式美」として揺るぎなくて。カラヤンさんの音楽とのかかわりかたは、僕にとってとても共感できるもので、カラヤンさんとコラボするのは、ちっとも嫌じゃありませんでした。

世阿弥:「なぜ・・グールドは、カラヤンと相性がいい」とかいわれてたもんな。

グールド:そう。それでカラヤンさん、「わかるひとだけにわかる感じの音楽」が好きなひとから、めっちゃたたかれてたじゃないですか(笑)

世阿弥:そうだったよね(笑)

グールド:こまったことに、カラヤンさんのこときらいなひとに、けっこう僕は好かれる傾向があって(笑)

世阿弥:(苦笑)

グールド:僕からみると、カラヤンさんは大衆ウケを第一にもとめて、ああいう演奏をしてたんじゃありません。近代オーケストラの機能性を、極限まで引きだしたらどういう音楽があらわれるか、そこを追求なさってたんです。演奏のバックボーンになってる思想も、それを実践にうつす手法も、カラヤンさんの場合、まったく浅薄とはいえません。なのに「わかりやすく、深いもの」が好きなかたたちは、カラヤンさんにとかく難癖をつけてました。

世阿弥:カラヤン君とは逆に、グールド君にとって共演して辛かった音楽家っていたのかな? やっぱり、バーンスタイン君とか?

グールド:うーん……ここで、「ノー」といったらうそをついたことになりますね。

世阿弥:バーンスタイン君、ブラームスの協奏曲をグールド君とやるまえに、「わたしはこのテンポには同意できません。でも、独奏者のたっての希望なので、今日はこれでやります」って、スピーチしたんだってね。

グールド:カラヤンさんと共演する場合、こちらがあわせなきゃいけない対象は固定されてました。カラヤンさんの頭のなかで鳴ってる「理想の音楽」と折りあいをつければよかったんです。

 でも、バーンスタインさんは、「かくかくしかじかの音楽をやりたい」って、あらかじめつよくイメージするかたじゃありませんでした。バーンスタインさんがいちばん大事になさってたのは、その日、その場にいるオーケストラや聴衆と、いっしょに盛りあがることでした。だから、バーンスタインさんと共演するときは、オーケストラのコンデションとか、お客の雰囲気とか、そういうもろもろの「不確定要因」とむきあう必要があって……それは、僕がとても苦手とするところだったので、バーンスタインさんといっしょに音楽をやるのは、しんどいものがありました。

 ただこれは単純に、僕とあうか、あわないかの問題です。公平にみれば、指揮者としても作曲家としても、バーンスタインさんはあふれんばかりの才能をおもちでしたよ。

世阿弥:そういう点からすると、わたしはカラヤン君よりバーンスタイン君にちかいのかもなあ……だから、義持さんの趣味に、じぶんからあわせていく気になれたのかもしれないね。

グールド:義持さんのもとめる方向に転換して、後悔なさったりしませんでしたか?

世阿弥:義持さんが室町将軍だった時期って、わたしも年齢的に、身体能力がくだり坂になるところだったからね。からだの切れ味にたよらない芸のほうにむかうのに、わるいタイミングではなかったんだよ。その意味で、わたしにはある種のツキがあったのかもしれないね。

グールド:義持さんが将軍をなさっていたのは、世阿弥さんが四十代から六十代にかけてでしたよね。僕、五十歳でこっちにきちゃったもんで、その当時の世阿弥さんの心境は、半分までしかわからないかもしれません。

世阿弥:でも、ピアニストだって五十歳になったら、いろんな意味で三十代のままではいられないだろう?

グールド:ピアノ弾きの場合、お能の役者さんほど、五十歳でからだの衰えを意識することはないと思います。でもそれぐらいの年齢で、指揮をはじめたりするひとは多いですね。

世阿弥:それは、なんで?

グールド:ピアノって、楽器一台でやる総合芸術なんです。たいていの楽器は、旋律一本しか歌えないけど、鍵盤楽器は旋律と伴奏和音をいっしょに鳴らせるし、何本も旋律を同時につむぐこともできます。そういう楽器とずっとむきあってると、ほんとの総合芸術であるオペラやシンフォニーにとりくんでみたくなる場合があるんです。

世阿弥:でも、グールド君は、じぶんの音楽をひとさまに左右されたくなくて、スタジオに籠ったんだよね? 指揮なんかする気になれないはずじゃない?

グールド:ところが、こっちにくるすこしまえに指揮のレコーディングをやってみたら、ライヴでピアノ弾くときよりずっと、じぶんでコントロールできる範囲がひろいことが発覚して(笑) 思ったとおりにいかないところは、録りなおしをすればいいわけですから。

世阿弥:じゃあ、グールド君がもうすこし長くあちら側にいたら、指揮のレコードをいくつもつくってた可能性があるわけだ。

グールド:僕はそのつもりでした。

世阿弥:じゃあ、こっちでもやればいいのに、オーケストラの指揮。

グールド:でも、こっち側にきたときに訊かれますよね。何歳ぐらいの姿で、こっちで暮らすのかって。

世阿弥:それはもちろん、わたしも訊かれたよ。

グールド:僕、ちょっと迷ったんですけど、コンサートから引退した時期のからだをえらんだんです。

世阿弥:それはその時期が、ピアニストとして絶頂だったから?

グールド:そういうわけじゃなくて、僕、個人的には若いころから、リヒャルト・シュトラウスのオペラとかむちゃくちゃ好きだったんですよ。なのに、指揮者にも歌手にもならないで、ピアノ弾き、それもナマでは演奏しないピアノ弾きとしてむこうでの役割を終えた――そのことの意味を、深ぼりしようと思ったんです。

世阿弥:スタジオに籠るピアニストっていう、じぶんの原点を忘れないためにその姿でいるわけか……感心させられるなあ、グールド君には。

グールド:世阿弥さんは、どうしておじいさんの姿でいるんですか? 僕、伝説の美少年だったころの世阿弥さんにもお目にかかりたかったです。

世阿弥:グールド君は、わたしが七十歳をすぎてから佐渡にながされたこと、知ってるよね?

グールド:うかがったことがある気がします。

世阿弥:その島ながしの時期が、最高に幸せだったんだよ。

グールド:ええっ⁈ なぜです⁈ だって世阿弥さん、役者として栄華をきわめてらした時期もあるわけじゃないですか。よりによって、そんなふうにお辛そうな時期が最高なんですか?

世阿弥:うん。たしかに他人にはわかりにくいと思うよ。でもね、事実はそのとおりだったんで……義持さんのつぎに最高権力者になった、義教さんの話をまずしなくちゃならないかな。

グールド:その義教さんが、世阿弥さんを島ながしにしたんですよね?

世阿弥:そう。

 義教さんってひとは、とにかくなんでも思いどおりにしないと気がすまないタイプだった。それで、「おれにわからないことはこの世にはない」って、ほんきで信じてる感じでね。

グールド:義満さんに似ていらっしゃったんですか?

世阿弥:似ても似つかなかったよ。

 義満さんは、「わかりやすくすごいこと」を仕掛けるのは大好きだったけど、ぜんぶをじぶんの思いのままにしようとはしなかった。ひとりですべてをつかさどるより、じぶんにはできないことをやれるヤツを連れてきてね、もっとすごいことを起こそうって考えるひとだった。

 義教さんは、じぶんにわからないこと・できないことがあっても、そういうものはこの世に必要ないって考えてたんだな。実際、おそろしく有能で、頭の切れるひとだったしね。でもね、どれほどの天才だって、わからないこともできないこともあるわけじゃない?

グールド:ノーベル物理学賞とったかたでも、世阿弥さんみたいにお能がやれるとはかぎりませんよね。

世阿弥:義教さんは、お能にかんしても、ぜんぶわかるつもりでいたんだな。ところが実際にお能をみてると、義教さんにもすぐには理解できない箇所が出てくるわけだよ。そうなるとね、そんな演技をした役者のほうが、世間を惑わす悪を犯したっていわれて処罰されたりしてね。

グールド:そんなかたが国の権力をにぎってるって、まさに恐怖ですね。

世阿弥:そうなんだよ。どこに義教さんにとっての地雷が埋まってるかはかりかねる・・・・・・から、わたしたちの一座もちぢこまって、ひたすら義教さんにわかってもらえるように演技をしてた。

 ところが義教さん、頭はいいもんだから、わたしたちが義教さんをこわがっているだけで、ちっとも敬服してないことに気づいてたんだよ。それでね、そういうわたしたちが、刑罰をうけるほどの落ち度をみせないってのがまた、しゃくにさわったんだろうね。まったく身におぼえのない罪を着せられて、あっちで興行打つな、こっちのイヴェントに出るなってまあ、どんどん弾圧されてね。

 思うに、義満さんにかわいがられて、義持さんの時代にも沈没せずに生きのこったわたしをいじめてさ、芸能の世界だって当事者に好きにはさせないぞっていう、みせしめにしてたんじゃないのかな。

グールド:でも、こんなことを申しあげたら失礼かもしれませんが、世阿弥さんも僕も、一介の技術屋じゃないですか。権力の座にあるかたがわざわざ目のかたきにする必要は……。

世阿弥:もちろんないよ。なのに、そこまで何もかも思いどおりにしようとしたところが、義教さんのおそろしさだよ。

グールド:僕がまちがってるかもしれないですけど、義教さん、世阿弥さんがこわかったんじゃないのかな。じぶんには理解できないもののなかに、切りすててはいけない宝ものが埋まっていることを、世阿弥さんをみるたびにみせつけられてる感じがして。

世阿弥:それはグールド君の買いかぶりだよ。

 とにかく、わたしをみせしめにする最後の仕あげが、佐渡への島ながしだったわけだ。

グールド:うかがえばうかがうほど、ことばもないっていうか……

世阿弥:まあ、ふつうに考えたら、悲惨な話だろうね。

 おまけに、島ながしになる二年まえに、後継者として期待してた息子の元雅に死なれてね。

グールド:じゃあ、一生かけて築いてこられたものを、ほとんど失くされたわけですね?

世阿弥:そのとおり。お能の世界にじぶんの居場所を確保するとか、権力と折りあいをつけて一座を繁栄させるとか、あちらの世界でわたしがもとめていたものは、年寄りになってからぜんぶくつがえされた。

グールド:なのに、シアワセ、だったんですか?

世阿弥:島ながしと決まった直後には、たしかに思いきり腹を立てたよ。

 ところがね、佐渡にむけて舟が陸をはなれた瞬間に、奇妙にすがすがしい気分でいるじぶんに気づいてね。

グールド:ふつうはそこ、すがすがしくなるところじゃないですよね?

世阿弥:もう、他人のためにお能を演じたり、文字を書いたりしなくていい。これからは、じぶんのやりたいお能だけを演じ、ほんとうにつづりたい文字を記せばいい。そのことに気づいたら、ふしぎな解放感がわいてきたんだな。

グールド:僕にはそれ、ちょっとわかりかねますね。

世阿弥:だってグールド君は、ずっと「じぶんの音楽」をみうしなわずにいたんだもの。わたしは手段と目的をとりちがえて、「じぶんのお能」を守ろうとしてあれこれやってたつもりが、原点をわすれて世間のほうばかりみていた……そのことにようやっと気づいてね、あちら側での暮らしの最後の最後にさ、「じぶんのお能」ともう一度むきあえたってわけだ。

グールド:だから、佐渡に上陸なさったときのことを書かれた最後のご著書は、あんなに晴れ晴れとしてるんですね。

世阿弥:考えてみれば、わたしもほんとうに業のふかい、わがままジジイだよな。栄誉も息子もうしなったのに、「じぶんのお能」と再会できただけで大よろこびなんだから、鬼畜のきわみだね。

グールド:……。

 世阿弥さん、今日はなんだか、とっても感動しました。最後にひとつ、おねがいがあるんです。

世阿弥:どんなたのみでも、わたしにできることならきくよ。

グールド:僕のピアノを聴いてもらいたいんです。バッハのゴールドベルク変奏曲を弾きます。

世阿弥:いいね、いちばんはじめのディスクのテンポで弾くの? それとも最後のディスクの?

グールド:わかりません。そこは指まかせです。

 例によって主題をハミングしながら、グールドはバッハのゴールドベルグ変奏曲を弾きはじめる。世阿弥は、グールドの半歩左うしろに立ってそれを聴いている。あちら側の世界は日暮れどきである。あかりのついていない薄ぐらい部屋に、グールドのピアノとハミングが響きわたる。

(了)

助川 幸逸郎(すけがわ こういちろう)
1967年生まれ。東海大学文化社会学部文芸創作学科教授・岐阜女子大学非常勤講師。おもな著書に『文学理論の冒険』・『光源氏になってはいけない』・『謎の村上春樹』・『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』・『教養としての芥川賞』(共著)・『文学授業のカンドコロ』(共著)などがある。