アゴラまでまだ少し 第5回
とろみを終えて、その身を超えて
葛生賢治

携帯電話会社auのコマーシャル、これを読んでいる人の多くが知っているだろう。桃太郎やら浦島太郎、乙姫様たちが登場し「みんな英雄」という例のシリーズ。今年の正月からは新シリーズになった。「やってみよう」というテーマで、登場 … Continue reading アゴラまでまだ少し 第5回
とろみを終えて、その身を超えて

アゴラまでまだ少し 第4回
広げた翼と、欲望のコレクトコール
葛生賢治

僕はアメリカで大学講師をしたり、日本でも大学や塾、専門学校で講師をしてきたので、悩み多き10代の人たちと接することが多くあった。みんな若者の特徴であるモラトリアムと怠惰を抱え、大人が造り上げた社会にウンザリし、世間を斜に … Continue reading アゴラまでまだ少し 第4回
広げた翼と、欲望のコレクトコール

アゴラまでまだ少し 第3回
語らない、語れない、カタルシス
葛生賢治

M・ナイト・シャマラン監督の映画「ヴィレッジ」(2004)は、ある有名な哲学的問いを中心にストーリーが展開する。 舞台は森に囲まれた小さな村(ヴィレッジ)。ほんのわずかな人口しかないその村の住民は、森に住むと伝えられる怪 … Continue reading アゴラまでまだ少し 第3回
語らない、語れない、カタルシス

バター抜きは「ドライ」 第9回 フレンチ・ジャーマン・コリアン・クッキー葛生賢治

「韓流ブーム」。いまやこの言葉を使うことに恥ずかしさすらおぼえる人もいるだろうか。日本で「ヨン様」やら「冬ソナ」がどうしたと大騒ぎになったのは2000年代の初めだったと記憶している。僕はニューヨークのブルックリンに住んで … Continue reading バター抜きは「ドライ」 第9回 フレンチ・ジャーマン・コリアン・クッキー

アゴラまでまだ少し 第2回
焼きそばソースの向こう側、あるいはファインダー越しの異邦人
葛生賢治

少し前に、親戚の集まりがあって秋田県に行ってきた。 全ての用事を済ませたあと、男鹿半島を観光し、時間があったので秋田県立美術館を訪れた。安藤忠雄の建築による、例の「打ちっ放し」の壁に包まれた近代的でスマートな建物。展示の … Continue reading アゴラまでまだ少し 第2回
焼きそばソースの向こう側、あるいはファインダー越しの異邦人

アゴラまでまだ少し
第1回 ピューロランドに陽は落ちて
葛生賢治

このエッセイでは私のアメリカ・日本での経験をふまえながらも、それから少し離れてより社会的・文化的な現象を語っていければと思います。文化的な現象の中にこそ哲学的な出来事が起きている、との持論からタイトルは「アゴラまでまだ少 … Continue reading アゴラまでまだ少し
第1回 ピューロランドに陽は落ちて

バター抜きは「ドライ」 第8回 魔の登山、他者の言葉と太郎夫妻葛生賢治

「驚いたわよ、ケンジ。あなたが最初に書いたことと比べたら今回のものは別次元で。一体どこへ行ってきたっていうの?」 セミナーが終わり、教室を出ると友達が話しかけてきた。そのセミナーは、卒業に向けて後は博士論文の執筆のみ、と … Continue reading バター抜きは「ドライ」 第8回 魔の登山、他者の言葉と太郎夫妻

バター抜きは「ドライ」 第7回 妄想の摩天楼、あるいは王様のブランチと愛の物語葛生賢治

ときどき、何をどう間違ったのか僕のことをつかまえて「かっこいい」なんて言ってくれる人がいたりする。 「かっこいい」という形容詞が似合わない世界大会などがあれば北半球地区で5位くらいに入る自信があるのだが。何故だろう。おそ … Continue reading バター抜きは「ドライ」 第7回 妄想の摩天楼、あるいは王様のブランチと愛の物語

バター抜きは「ドライ」 第6回 落下するクジラと、濁流の向こう岸と葛生賢治

世界があるとき突然、全く別の顔を持つものとして現れる。 そんな経験は、「別の世界が現れる」というより、自分がそれまでと全く違う世界にいることに後から気づく、というのに近い。気づいてみて初めて、ああ自分は少し前からもう別の … Continue reading バター抜きは「ドライ」 第6回 落下するクジラと、濁流の向こう岸と

バター抜きは「ドライ」 第5回 ピザにまつわるエトセトラ、あるいは矛と盾のラプソディー葛生賢治

ニューヨークで坂本龍一さんと握手したことがある。 「坂本龍一さん」なんて気安く呼ぶと、まるで僕があの世界のサカモトと知り合いのような印象を受けるかもしれないけれど、そんなことは全くなくて。ニューヨークにある日本人組織「ジ … Continue reading バター抜きは「ドライ」 第5回 ピザにまつわるエトセトラ、あるいは矛と盾のラプソディー