ロックと悪魔 第十六回 カトリック文学の悪魔3黒木朋興

前回は、テオフィル・ゴーティエの悪魔小説を三つ取り上げた。今回は、やはりゴーティエの『魔眼』(1856)を見てみたい。この作品は、悪魔を現実の存在とも空想の産物とも解釈できるように描くことによって読者の想像力を刺激すると … Continue reading ロックと悪魔 第十六回 カトリック文学の悪魔3

ロックと悪魔 第十五回 カトリック文学の悪魔2黒木朋興

前回は、カトリックであるフランスの文学作品における悪魔表象を見るためにジャック・カゾットの『悪魔の恋』(1772) を見た。今回はテオフィル・ゴーティエ (1811 – 1872)の小説を取り上げる。ゴーティ … Continue reading ロックと悪魔 第十五回 カトリック文学の悪魔2

ロックと悪魔 第十四回 カトリック文学の悪魔1黒木朋興

前回まで、しばらくプロテスタント圏の文学作品における悪魔表象を見てきた。今回からは、しばらく、カトリックであるフランスの文学作品における悪魔表象を見てみたい。 フランス文学における悪魔の描き方の特徴は、ロベール・ミュッシ … Continue reading ロックと悪魔 第十四回 カトリック文学の悪魔1

政治支配を考える─マルクスを中心に─田上孝一

前回と前々回のコラムで紹介したように、ここ最近は編著を数多く出している。前回の『権利の哲学入門』は2017年、前々回の『原子論の可能性』は2018年に出版した。そしてつい最近も、『徳と政治』という共編著を出した。この本は … Continue reading 政治支配を考える─マルクスを中心に─

権利の大切さ田上孝一

 前回のコラムでは最近出版した編著の一つとして『原子論の可能性』(法政大学出版局)を紹介し、原子論哲学の魅力の一端を伝えるように努めた。何分専門的な論文集のため、広く一般に知れ渡るということは流石に無理なものの、研究者を … Continue reading 権利の大切さ

アゴラまでまだ少し 第15回 家族とノイズを笑う時間 (後編)葛生賢治

(前編のまとめ)繰り返し報道される児童虐待事件とCMやドラマで流される美しき家族愛のイメージとの乖離。現代社会の「家族」はまるでスピルバーグの映画『トワイライトゾーン』に登場する「殺伐とした他人の関係」と「薄っぺらなファ … Continue reading アゴラまでまだ少し 第15回 家族とノイズを笑う時間 (後編)

原子論の魅力田上孝一

2015年12月から2019年1月まで、20回にわたって連載を続けてきた「楽しく学ぶ倫理学」に一先ず区切りを付けることができ、次には本来の専門である初期マルクスに関する連載を始めることを計画しているが、その前に何回か、私 … Continue reading 原子論の魅力

アゴラまでまだ少し 第14回 家族とノイズを笑う時間 (前編)葛生賢治

ホーム・スウィート・ホーム スティーブン・スピルバーグ製作のSFオムニバス映画『トワイライトゾーン / 超次元の体験』(1983)の中に「こどもの世界」というエピソードがある。新たな職場となる学校へ車で移動中の女教師ヘレ … Continue reading アゴラまでまだ少し 第14回 家族とノイズを笑う時間 (前編)

ロックと悪魔 第13回 プロテスタント文学の悪魔3黒木朋興

それ以前の作品に対して、ホフマンの長編小説『悪魔の霊酒』の最大の特徴は、悪魔が実際に姿を現さないことである。悪魔は人の心に取り憑き、悪事を唆すのだ。 人の心に取り憑くとは、一言で言えば、内面の声ということである。例えば、 … Continue reading ロックと悪魔 第13回 プロテスタント文学の悪魔3

娯楽と中国文化―白話小説のキャラクターたち―第11回 戦うヒロイン―十三妹(シーサンメイ)『児女英雄伝』石井宏明

前回では、十三妹が使う武器、弾弓、袖箭について見て、最後にやはり彼女が使う武器の一つである日本刀について見てみました。今回はその続きです。 前回で見たように、中国では宋代(960~1279)にすでに日本刀の存在が知られ、 … Continue reading 娯楽と中国文化―白話小説のキャラクターたち―第11回 戦うヒロイン―十三妹(シーサンメイ)『児女英雄伝』